外は雨。
干ばつが続いているので、
待望の雨である。
もっと降ってほしいと願っている。
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昨夜、Blue誌の原稿を無事に編集長に渡し、
昨日に引き続き、読書半日としてみた。
今日は夢枕獏さんの『陰陽師、付喪神ノ巻』と、
北方謙三さんの『岳飛伝、第一巻、三霊の章』。
そして芥川竜之介の初期作品である『羅生門』と『邪宗門』を。
この邪宗門の文章内に「うらうえ」という単語があり、
おぼえているような習ったような、はて?
辞書を引いてみると「裏表」という意味の、
昭和初期によく使われていた言葉だとあった。
こうして使われる表現がかすれるように消えていき、
その代わり、
新しい言葉が出現していくのはいつの世のならわしでもある。
でも特にこうした慣用句には、
そんな消失してしまうような、
つまり水性インクのような呪(しゅ)や宿命をまとっているように思えてきた。
邪宗門の文体と時代に引き込まれながら、
当時は誰もが知っていた
「陰陽師の護符」ということまでさかのぼり、
その時代の娯楽要素も含めて考えると、
それは多くの読者が、
芥川作品群に酔いしれたことは容易に推察できる事実だろう。
突然、
これら芥川作品の文体、つまり文章構成が、
翻訳的でもあるということに気づいた。
手塚治虫先生の作品を読むと、
視覚的、ストーリー、そして時間の進み方等々が、
映画的であることに対して、
芥川龍之介は、
「映像を闇の中で結ぶような文学」
という世界を貫き通したのだろうか。
とまぁ、こちらのことだが、
長い旅路であった原稿を書き終えると、
このように文章世界の中に浸ってしまうことが多々ある。
読み方もとらえ方も自由なのだと、最近わかってきた。
そこで、いつものことではあるが、
文章の勉強も兼ねて、
羅生門の文体で波乗り風に書いてみた。
題して『羅生岬』であります。
さてさて、はじまりはじまり…. 。
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羅生岬
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ある日の暮方の事である。
一人の風月人(サーファー)が、
羅生岬(フォードアーズ)で夕焼けを待っていた。
ささやかな岬には、この男のほかに誰もいない。
ただ、新月干潮で露出した、
大小の玉石に、青矢太刀(アローヘッド)が置いてある。
羅生岬が、聖暮綿帝(サンクレメンテ)にある以上は、
この男のほかにも、
波乗りをする滑走女(かっそうめ)や浮遊人(ふゆうびと)が、
もう二三人はありそうなものである。
それが、この男のほかには誰もいない。
この淡く、
それでいて濃い夕陽空が、
風月人のSentimentalismeに影響したのかどうかはわからないまま、
闇が、崖の方からゆっくりと降りてきた。
翌日となって、
風月人は、
満潮のたよりない斜面をこの羅生岬で求めた。
沖風となる弱い北西風をまといながら、
海中着(ウエットスーツ)を着て沖に漕ぎ出ていった。
八尺四寸という長いような短いような太刀だが、
膝漕(ニーパドル)するに足りているようで、
左右に小さく傾(かし)ぎながら砂浜を背にしていく。
風月人はうねりを見つけたようで、
途端(とたん)に青矢太刀を陸側に回し、
力いっぱい数度漕ぎ、すばやく両手を付き、
海の上を弾(はじ)くようにその青い矢のような、
それでいて太刀のような木片に飛び乗った。
そうして、そこから、青矢太刀と一体となって、
波の勢(いきおい)いと、折からの春風にまかせて、
岸に向かって矢のように向かっていった。
うねりは一度たわみ、大きくなったかと思うと、
散らばらずに白波となって、
海面にはいつくばるように青矢太刀を追っていく。
鴎(カモメ)が3羽南から飛んできて、
風のやってくる方角に向かって去っていった。
いつのまにかあたりは海と、
曇天(どんてん)たる空が拡がるばかりである。
さきほどまでここにいた風月人と、
青矢太刀はどこにも見えなくなっていた。
その行方(ゆくえ)は、誰も知らない。
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photo by ©Tuckertuna
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(タイラーのアトリエ。絵はここまで進んでいます)
私の早朝アート2種。
春一番が通過したようですね。
風世界でも春認定日。
良い週のはじまりとなりますように!
今週もどうぞよろしくお願いします。
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