波乗りの総意はスリルに身を投じるものである。
Cole Da Creature 5’7″
うねりを読み解き、波の強さをはかる。
風、オフショアガスト(=陸からの風が強く吹いたとき)はどのくらいのものであるか。
強い風はボードを降下させてはくれない。
流れを感じ、地形を見透かし、
ピークを読み、どれに乗るかを選び出し、そしてパドルアウトする。
波に乗ることは己の決意そのもの。
ひとたび行くと決めたら胸を反らし、
腕を回し、息を止めて全力で、そして果敢にテイクオフしていく。
波先がウエッジして跳ねた。
全ての意識を足下に集中する。
そして滑落しそうなサーフボードをたった少しの面積のテイルで立て直し、
めくるめく波壁に向かって突進していく。
バレルセクションでは、
玉砕か緻密かの判断がコンマ秒で展開され、円弧を描く波に包まれる。
その中にひとつだけ存在するラインを信じて、飛沫で滲む視界の中を進み、
そのバレルを抜け、陸が迫ってきた瞬間に飛ぶようにキックアウトする。
安堵、
歓喜、
喝采、
夢到来。
全身が振動するほどの感動に包まれ、瞬時のドラマ、その連続が蘇る。
このエモーショナルを燃料として再び沖に向かう。
ピークに戻るまでに幾多の試練がある。
天変地異かと見間違うほどの恐ろしいうねりがやってきて、
持ち上がった海が、
我が世界の真上に炸裂し、
己の全てをさらう。
意識を閉じ、無に近づき、いつか波から外れ、無数の泡と一緒に浮き上がってくる。
しかし、たいていはさらなる大波が来ている。
そんなときは「立つんだジョー」と丹下段平(©あしたのジョー)の言葉を思いだし、
何度でも海面に浮き上がる。
それを繰り返していると、
「己を啓(ひら)く」という浄化感覚がやってきて、
激烈な波乗りは宗教的なものとなった。
秋が深まっているようで、
フリーウエイ5のオフランプを降りると、
もうすぐ陽が沈んでしまうことがわかった。
ホームブレイクに行くと、幾筋もの美しいゴールデングリーン波が迎えてくれた。
横にいたVWバスに乗ったグッドサーファーがいて、
俺はひそかに彼のことをカリフォルニア・デューク・カハナモクと呼んでいる。
彼の妻が美しい波群を見て、
「これこそがフォール・カリフォルニアよ」
と波を見据えたままうれしそうに言っている。
すぐさまパドルアウトして、
波がやってきたときに「この波はノスタルジアそのもの」と直感した。
それは波乗りをはじめた年にやってきた鎌倉の台風波にそっくりだった。
沖縄の横にあった台風からのうねりは何日も太平洋を旅して、
やがて相模湾まで入り、
遠浅の沖に届き、速度を緩めながら岸にやってくる。
砂地で徐々に浅くなる海底の影響を受けてさらに速度を落とす。
うねりは江ノ島のラインを越え、
小動岬と稲村ヶ崎沖の海面を身長の高さほど持ち上げる。
その鎌倉記憶波と同一の柔らかな波。
しかしここはカリフォルニアで、
さらには年も時も違って今現在だということ。
夏の間乗り込んだ6’4”のシングルフィン、
何ヶ月も続く水温22度のエルニーニョ年。
ピークの下に入り、波の芯部分にテイルを合わせ、
そこからボードを押し出して、そして深く全力で漕ぎ出した。
冒頭に書いた歓喜波のテイクオフと違って、
立ち上がるまでの時間がたっぷりある緩やかな波壁が持ち上がっていく。
俺とシングルフィンはハイラインを進んでいく。
こちらに向かってくるレフトセクションが見えた。
トップディレイさせたタイミングで波先に向かっていく。
予測通り波が切り崩れるコアエリアにボードの腹、
そしてフィンの軸を合わせるとふわりと飛んだ。
そのまま着水し、波から離れた海面でボトムターンを斬り、
速度を円弧に換える。
そのまま泡波にバウンシング(ボードの腹と泡波をぶつけること)させると、
思惑通り泡上部まで上昇していって、
また円弧を描きながら落下させて至高のマンライ(マンゾクライディング)を得た。
黄昏の中、胸を反らしながら陸に上がってきて、
かつて乗ったあの伝説波、そしてこのセクションで受けたことを回想し、
異なるふたつの波をもう一度なぞらえていた。
すると、前述した
“伝説の大きく強い波”
よりもはるかにインプレッションが多いことに気づいた。
そして、緩い波だからこそ、
それらモーメントを強波よりもはるかに多く感じることができ、
さらに詳細に解析できるのだと知った。
そして柔らかく、遅い波の良さが明らかとなり、
さらに波乗りが美しく、そして愛おしく思えてきたのであります。
◎
(初出自、BLUE誌巻頭コラム2014年11月号)