Tyler Warren’s Tracker 6’4″
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どこかで読んだ本の中にあった
“人は魂に溺れることがある”
“Man can drown in soul.”
というフレーズを思いだした。
現在はトライフィン全盛である。
またはクアッドか。
私が波乗りをはじめたときもトライフィンが主流で、
ツインフィンの炎が消えようとしていた時代だった。
ワックスはセックスワックスのみ。
チャンピオンのワセリンにテンフィートコードのリーシュ、
シーガルに袖を付けてフルスーツのつもりをしていた昭和58年。
シングルフィンは確かにあった。
初めてサーフしたボードはケン・ブラッドショウのシングルだったし、
ディック・ブルーワーのシングルも乗った。
当時はトライもシングルも違いがわからなかったが、
トップにカキンと当て込んだとき、
シングルフィンでの角度が、
トライフィンほど軽く変わらなかったのを
「性能が悪い」と勘違いしていた。
インターネットはおろか携帯電話もなかった昭和50年代。
その角度が変わらないのはステップバックしていなかっただけで、
もしあの時に私がシングルフィンに乗り込んでいたらこんな記憶ではないだろう。
もしくはみんなと同じようにサーフしたかったから?
他のサーファーと競争しかった自分もいたのだろうな。
もったいない。
シングルフィンの良さは「流れ」だと思う。
英語ではファインラインとか、
磨かれたマニューバーなどと称されているが、
そのファインラインの良さは乗り手が一番感じることとなる。
トライフィンは軽すぎる、しかしシングルが重いわけではない。
その滑りを表現するのなら「品格」と言ったらいいのか。
逆にワイルドでもあり、円熟の趣もある。
「シングルフィンでラウンドハウスカットバックはできるのですか?」
この類の質問はよくされる。
シングルでもトライでも、
もちろんクアッドでもツインでもラウンドハウスカットバックはできる。
できないのは、フィンレスボードであろうか。
「エアリアルもシングルフィンで簡単にできる」
クリスチャン・フレッチャーがそう言ってきた。
「じゃあ見せてよ」
という私の挑発を受け、
私のミッドレングス6’4″トラッカーで実践して、
軽くメイクしてみせた。
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/58546
トライもシングルも何も変わらない。
違うのは意識とラインだろう。
例えばミック・ファニングがジェフリーズベイで見せたターンはできない。
さらに言うと私が彼の体重となって、
彼のボードに乗ったとしてもあのターンはできない。
乗ることはできるが、
あのターンをするためには、
「信じられないくらいの時間と才能と忍耐と努力、
そして情熱、さらに時代の後押しがあっての結果」
ということに気づかなくてはならない。
そんなこともわからず、メディアのあおりも受けて、
「あんなターンのマネごとをしてみよう」
と懸命に練習した私がいた。
等身大の自分に立ち戻ってみる。
自分の魂が求めているサーフィンは、
流れるように、ときに飛ぶように、
現実ではありえないほどのスリルに身をさらし、
集中、技術、祈り、
偶然という全ての要素をときどきに含ませながら、
かけがえのない1本を得て、
それをに永遠に胸の中に刻める波を滑ること。
もちろんトライフィンも大好きだし、
クアッド、ツイン、はたまたフィンレスにも乗るが、
シングルフィンには特別な何かがある。
1999年にジョエル・チューダーと波乗り話をしていたら
「ミニマリズム」という内容となった。
それはミニマル(形容詞)でもあり、
最小限度まで突き詰めようとしたサーフィング、
ミニマリズム(最小限主義=minimalism)と言っていた。
サーフボードで最小限フィンは一枚=シングル。
だから彼はシングルフィンを愛していたのだと今は完全に理解できる。
シングルフィンは究極と覚えておいてもいいだろう。
釣り師の最後は鮒釣りに戻るという。
二刀流の晩年は1本の刀になるように、
1/f ゆらぎターンや、
単一マニューバーを知る有益さと、
かけがえのない波が魂の救済となる、
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それではすばらしき連休となりますように!
今日もNAKISURFにお越しくださってありがとうございました。
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