こんにちは、
今日は海のそば、駅のそばのNAKISURFにおります。
千葉北はオフショア・グッドコンディションでサーフ可能なので、
週末の計画にいかがでしょうか?
ディーン・モリソンのインスタグラムには、
この古典的波乗の画があり、コメントは、
「これはどんなものだって波に乗れることを示している
それはかっこいい写真だ!!」
原始で自由な風を感じました。
これを見ただけでサーファーとして良い日になりました。
ディンゴ(ディーンの愛称)ありがとう!
昨日はあれから地下鉄メトロでの移動が始まり、
これは新橋駅のカルディさんとカルディーノカフェ。
すばらしい!
銀座のアップルストアに行き、
辻堂のニコリンサーファー班長の浅田健三さんにお会いして、
新作卓上カレンダーをお渡ししました。
私が将棋マニアだということはあまり知られていない事実だ。
地下鉄車内でこの到達点に達したので、
ここにご報告します。
将棋をやられる方ならおわかりの通りこれは奇妙な陣形ですね。
『ダイヤモンドクネクネ』
という大山康晴永世名人もびっくりのこれ。
むずかしいのが「詰まないこと」、
そして300手以内にこの陣形にしなくてはならないこと。
使用コマも多すぎないようにして、
完成した平成二十六年新陣形であります。(笑)
なのできちんとこれを将棋会館に報告し、
そのままやってきたのは原宿千駄ヶ谷にリニューアルオープンした
『キャプテンズヘルム』さん。
なんとなんとジャパンバージョンは本国以上に洗練されていて、
これもこの神宮付近というハイファッションの地がそうさせるのだと感じ入った。
店内に知った顔が何人かあり、
そのひとりはアルちゃんことアルベルト柴田さん。
個性的ですばらしいファッションであります。
EPMことエクスペンシブ○○○ムービーTがあったり、
マニア的な小物の数々もあり、かなり好感度の商品群。
エリックのお兄ちゃん、
クリス・クリステンソンのミニシモンズやメイソンのミッドレングスもあり、
ボードラインナップは未来そのもの。
カリフォルニア発のクラフトビールの王セント・アーチャーがあって、
これはすごすぎるを通り越して夢っぽい事実。
ホワイトエールのドラフト(タップ)もあり、
これは日本ではここだけの魔法ビール道だと感じ入った。
ものすごいメンバーが集まってきたところで集合写真を一枚。
左から巣鴨のブライアン・ベントこと染宮さん、
サーフ業界の坂本龍馬と言われるKATSUさんこと中村さん、
オシャレなアリゾナベストを着ているのは、
ハーレージャパンから本社(コスタメサ、カリフォルニア)に栄転となり、
そしていまは日本のVISSLAを牽引するアルベルトさん(前出)、
キャプテンズヘルムさんのストアマネジャーのSOSHIさん。
これこそが新しいムーブメントのビッグバンだという確信を持った瞬間であります。
ロンハーマン・カフェでイカメンOgoJunさんが合流し、
大井町がセンベロ(1000円でベロベロに酔うの意)の聖地なら、
こちらの値段は最高価格に近いので、
マンホロ(一万円でほろ酔い)の地なのではないかと発火し、
「これぞアクシュアルな土地文化を表す言葉だろう」
と確信を持ちつつ胸を張ってその言葉を掲げてみた。
だが、全員から「音感が悪い」という反動的な意見が出て、
じゃあ「マンライ」はどうなるのでしょうか?
と反論するが、結局日本語のスラングは、
過去の社会イデオロギーによって形成されたものに依存しているということを知った。
イカメン=イカス・メンズもイカ、
つまり烏賊=Squid、海生軟体動物を連想するのでNGだと言われ、
新たなネーミングの地平線を持った荒野が出現した会となった。
そのままマンホロ未満の四人はタクシーに乗り合わせて渋谷JR新南口付近のEDGEに行き、
チャーリーさん主催のELECTRICパーティに参加しシンハービアをタダベロ・グビー。
(タダでベロベロ)
最近の流行ワードは「サーフで、油くさいこと」。
なるほどここはとっても油くさい。
ストップニック兄弟主演のショートムービー
『Generation Breakdown』の公開試写会でもありました。
すてきな単車もたくさん展示されていて、
これがサーフ&ライドという新時代なのでしょうね。
グッズもやはりすばらしい。
そして油くさい。
サイクルゾンビー。
やばシブ。
撮影会も熱を帯びて、
アルちゃんとスカッティ・ストップニックの再会記念写真を撮るに至り、
ウエスアンダーソン・ムービーの
『ライフ・アクアティック』風に見えるDJスカッティを激写し、
満員御礼のタダベロ宴は、
ムービー上映と共に最高潮に達するのでありました。
そして今これを書き上げて、
パーティのときに夢を見たのは「波に乗ること」。
「そうだ波に乗ろう」
そう思いウエットを持って、
私と谷沢は千葉の水平線に向かって漕ぎ出すのであった。
(終わり)
■