現在のNAKISURF USAにあるラインナップ。
6’0″ボンザーが見えないが、このときはマックスに貸していたのだと思う。
さて、フォードアーズ。
ペソズの連中はもちろん、EPMムービーの大ヒットで、
ウナクネ教祖となった摩訶天(ジャスティン)仇無須(アダムス)もいて、
このカルチャーを愛する私にとっては楽しくてたまらないのであります。
ジャスティンに美女が集まる傾向があり、
それはなぜかと考えるまでもなく、彼が崇拝されているからであろう。
私が崇拝しているボンザー。
総帥(アレックス・ノスト)が好んで乗っていることも同じで、
世の中はトライかクアッド、
またはツインかシングルという風潮にヒネリを加えているのが痛快ですらある。
摩訶天(ジャスティン)の御料車 と、
私の新型というか、キャンバス試乗板。
ものすごく良い波で、ミッドレングス気味のボードだからこそのライン。
ピークの後ろ側にフェイドさせたり、
斜面が広いので、長い時間レイルを傾けて大波のようにターンをつないでいった。
天気が悪いからほぼ無人であるというのもすばらしい。
「明日は雨」とみんな怯えていて、
それを例えるのなら日本で言うところの「台風=雨」という感覚だろうか。
こちらはそれほどまでに雨が少ない。
それにしても干ばつが心配でもあります。
キャッチサーフのスキッパーと、世界的な良い波。
「こんな波に乗る日のために今日の波を乗る」
凡庸なコピーだが、真実でもあります。
□
さて、昨夜のペソズライブに行けることになって、
ウナクネ族たちと親交を深め、大好きな楽曲を聴いてきました。
マットの息子フォーちゃんこと、
フォード・アーチボルド(左)も来ていて、
右にいるのは、前座を務めたテレック・ウエグナー。
そのライブのことをたっぷりと書きたいのだが、
これから「勝手に陰陽師(おんみょうじ)」の続きを書かなくてはならないので、
来週に先送りとしよう。
すばらしいギターの腕前はブラッドフォード。
前出した摩訶天仇無須(ジャスティン・アダムス)もいつものように来ていた。
本当に明日は雨になるのだろうか。
とにかくすてきな日でした。
すばらしい週末をお迎えください。
明日またここで!
□
[今週始まった文学系の連載で、『勝手に陰陽師』です]
昨日読んでいない方はこちらのリンクからどうぞ。
[その一]
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/62656
[その二、三」
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/62662
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四.
ケリー・スレーターは、この国の東海岸の生まれである。
若くしてその才能を認められ、さらには競技も好きで、そのほとんどを勝ちまくり、王者となり、
さらには長い間勝ち続け、その名をケリー王として、この国はおろか、世界に知らしめていた。
特別に師を持ったわけではないが、その才知は優れ、鳥よりも速く舞い、剣の一閃のようなターンをする。
その頃、まだ法師になっていないジャスティン・アダムスと、まだ総帥ではなかったアレックス・ノストは、テーラー・スティールの映像でケリー王の波乗りを解析し、その腕を磨く毎日だった。
さらには各地のコンテストに出て、そのケリー王の背中を追いかけていた。
しかし、自分たちの表現と、コンテストのジャッジが求めているものが違うということを知り、そのシーンから去る決意をふたり同時にしたという。
勝ち負けがない世界。
バレルが好きなものはチューブにだけ入り、ノーズライドが好きなものはノーズライディングをすればよい。
コンテストは、好きな場所と潮位の波に乗れず、
さらには20分や30分という時間枠の中で、競技基準に沿って波乗りする不自由さ。
全員が同じ形状のボードに乗っている不自然さ。
競争に没頭し、すぐに目を吊り上げて波取りをする人たち。
シーンを離れてみると、見えてくる不快な、さまざまなものがあった。
そんな監獄のような世界から自由になったふたりが、自由な説法を持って波の上を舞うように乗ると、『サーフ・サブカルチャー(波乗り界でメインストリームではない新しいものという意)』という大きな種子が誕生し、たおやかな芽が出てきた。
そして内向的なジャスティンには、熱狂的な信者が集まるようになり、ーー彼は望んではいなかったのだろうがーー指導者(しかし彼が説法することは、基本的には内弟子にしか行わない)となり、
アレックスは、その新サーフサブカルチャーのリーダーとして世間に認識され、波に乗るために必要なサーフボードや、さらには生きていくために必要な金銭を与えてくれるスポンサーが彼の側についた。
なぜジャスティンが指導者になり得たのか、読者にはもう少し説明が必要だろう。
まずはこの根本にサブカルチャーという軸がある。
このサブカルチャー人は、メジャーな、つまり有名なものには目を向けないという性質がある。
つまり有名な、メインストリームのものを追いかけず、一風変わっている、極めて哲学的だ、波乗りの真理を求める、という共通の思想が底辺に流れている。
さらには、普通に生きたくないという個性的な欲求もこの磁力に向かって集っていくことになった。
彼ら自身のコンテスト等での、酸っぱく、そして苦い経験がさらに燃料となって、その個性は加速していった。
そうしてアレックスはこの派閥の総帥となり、またジャスティンは法師となり、世界中から思想を共にしたい弟子たちが集うようになった。
摩訶天(ジャスティン)仇無須(アダムス)という漢名がついたのがこの時とされている。
その摩訶天の愛弟子で力を付けてきたのがヤーンだ。
彼は類い希な才能があり、それは歌だったり、写真や映像、さらには人心をつかむことに長けていて、すぐに多くの信者にヤーンの名前を知られるようになった。
そのヤーンが、キャピストラノビーチにいたロビー・キーガルと一緒にモロッコに行き、相まみえたのがブラッドフォードだった。
ブラッドフォードは、”音楽こそ人生”という生涯を過ごしてきたサーファーで、さらにはケリー・スレーターと同じ東海岸の生まれ、そのヤーンは総帥と同じコスタメサ出身というのは、何の示唆があるのだろうか。
ヤーンは法師へと格が上がり、ブラッドフォードとも徐々に意気投合していった。
そしてヤーンが曲と詩を書いて歌い、ヤーンの親友ジョーイがギター&ベース、
音楽の骨組みをブラッドフォードが支えて誕生したのがペソズ(The Pesos)である。
そしてその頃、総帥は個性に磨きをかけて、ウナギクネクネ・ムーブメント、短くしてウナクネを世界に拡げていた。
前章で博雅が晴明に訊いていた『鰻捻』というのはこのウナクネのことである。
そのウナクネの持つ世界観と、ヤーンが求めた理想が合致し、さらには摩訶天仇無須法師が大好きなサーフブレイク『フォードアーズ』に総帥も含めた全員が集まるようになったのは、偶然ではなく必然だったのだろう。
やがてそれは、摩訶天法師を奉りあげることによって、密教への深さを拡げていった。
摩訶天は、その透きとおった瞳の視線、哲学的な論、的中する予言、自身の生活もミニマリズムを基本に寛大なる日々と、さらにはその長い手足を活かしたクネスタイルがEPM等のムービーで広く知られることになった。
時代の後押しもあり、メディアでいえば、厳格なサーフ世界を紹介することで知られるザ・サーファーズ・ジャーナル誌が、彼らの特集を組むほど注目が集まった。
そうしてつい先日、ウナクネアイコンとなった摩訶天仇無須法師が神格化した。
このウナクネ教だが、信仰の目的が他者やもちろん、一般大衆にはその意味を知らされておらず、それを知るためには、入信し、より深い探求心と、忠誠心、さらには波乗りの「深み」というどのメディアでも表現していないことを知ること、その教典と教えをより理解していくと、さらには自身の位が上がっていくという教義を持つ。
「波に乗る協奏」というテーマが根本に流れ、包容力のある不文律を持ち、そして宗教につきもののお布施は「皆無」であるという事実から、貧しく、さらにはメインストリームサーフィングに疲れた、または心が離れたサーファーが随時信徒となっていく。
摩訶天のターンは絶対であるということから指導者として、しかも前出したが、内弟子にしか伝えない閉塞的な方法でそのウナクネ教は静かに、そして確かに拡がっていった。
筆者も例に漏れず、日々このウナクネ思想に没頭するほど、この広大かつ強力な磁力に吸引されている。
しかし、これら全てが盲信かもしれず、それはつまり「こうしたサブカルチャーが持つ不安」、つまり少数派にいつも起きえる不安にさいなまれている弟子も多いというのも事実である。
あるものはわかりやすいメインストリーム側に戻ったり、または結婚をきっかけに組織から離れ、またあるものはクールの基準が変わっていく。
脱退は入信と同様に自由であり、誰もそれを咎めるものもおらず、また咎めるものはウナクネではないとされている。
世の中にはこのウナクネ教と似たようなムーブメントが多くあるが、アレックス・ノストが総帥、神格化された摩訶天仇無須法師、そして影の皇帝タイラー・ウオーレンがいて、そのライフスタイルをペソズが歌うという豪華さは、どの派の追従を許さないものである。
個性的でとことんユニーク。
ただ、そのペソズが危機に瀕していると晴明は言う。
「楽団が危険だ」
「それはいいが、晴明、もしかしたらこれからおれたちが行くのはそのペソズの集会なのか」
「その通りだ」
「でも、なんで摩訶天殿は、そのヤーンに対して怖れを抱いているのか。反対ではないのか」
「じつはな、反魂の術で、ヤーンが摩訶天法師と入れ替わってしまっているのだ」
「そんなばかな」
「本当だ。おれはずっとそのことを調べていたのだ」
「なるほど、それでわかったぞ」
「なにがだ、博雅」
「摩訶天殿の家に行った時、ヤーンのシングルフィンがそこにあった。摩訶天殿は自分でシェイプするので、人の、しかもヤーンのボードがあるのは妙だったことを思いだした」
「それなんだ。体は入れ替わっても乗りたいボードは同一だ」
「それがどうした」
「そこにこの術を解く秘密が隠されているのだ」
陽はすっかりと西に傾き、椰子の木がシルエットとなってその暖色の中に浮かび上がっていた。
その暖色の向こうに塔のような建物があり、大きな半月をその後に従えていて、それは美しい絵画を見ているようだった。
「そろそろ着いたようだ」
「う、うむ」
「ブラッドフォードが迎えに来たぞ」
「しかし、どうしておれたちが来ることがわかったのだ」
「摩訶天殿が話したのだろうよ。彼の元々はヤーンだからおれたちのことは伝わっていても不思議ではない」
「ヤーンに話したのだろうか?」
「いや、ブラッドフォードは頭の良い男だ。彼はビールを買いに行くと言って出てきたのだろうよ」
ふたりは公園の芝生の上に立ち止まると、やがてブラッドフォードのスクールバスがやってきて、バスはふたりを乗せてやってきた方向に戻っていった。
夕陽は弱くなって、影というものを失い始めた刻でもあった。
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五.
スクールバスはその美術研究所の出荷場というようなところに停まった。建物の陰になっているので、黄昏も夕焼け色もなく、闇の中にナトリウム灯のオレンジ色が照らし出されていた。
ドアを開けると、ジョーイが、持ってもおらぬギターを弾きならす仕草をし、
「晴明さん、おひさしぶりだね。サンディエゴにようこそ。そしてペソズライブにようこそ」
「ああ、おれの友人の博雅だ」
博雅の端麗な顔立ちを見て、そこにいた女たちがいっせいに博雅を見た。
「ヘーイ、晴明、来てくれたんだね。まずはビールを飲んでくれ」
かなり酔ったように見えるヤーンがやってきて、缶ビールをふたりに差し出した。
博雅はそのナトリウム灯から伸びたヤーンの影が、まるで鬼の形をしているのを見て晴明にささやいた。
「み、見ろ」
「気づかないふりをしろ」
「う、うむ」
その出荷場のどこかで鳴っている音の悪い携帯スピーカーからは、
トーキングヘッズのバーニング・ダウン・ザ・ハウス(1983)がかかっていた。
(俺の家はまともを通り越したぜ。平和でいたかったんだけど、俺はあっさりと足をすくわれてしまった。 俺の家を焼き払え)
訳注、この俺の家というのは、歌い手、主人公のことだろうか。
めちゃくちゃになった自分自身を焼いて新しくしろ、そんな詩なのだろうか。
( 六に続く)
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[昨日のペソズ・ダナポイントライブからのおみやげ]
大好きなカムダウンを動画で撮ったので、
ここに共有します。
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