North Tiger, Chiba
波に乗ることが猛烈に好きなのだが、
こうして波がずっとあると、とっくに四十九歳の体力が尽きてしまっているのがわかる。
夕食を食べ終わるころになると、重力が10倍くらいに感じ、
よたよたとベッドまでたどりつくと、この世界の幕は閉じ、そして一瞬で朝になっている。
熟睡しているはずだが、この数十年は疲れなどは取れたことはなく、
朝になってもずしりと重い身体があり、背中は鉄板を入れたように硬くなり、
なんとか立ち上がって水を飲んで、空を見ると夜明けが近い色になっている。
また波はあるのだろうから海に向かう。
波に乗ることを毎日するというのは、
「好き」とか「愛」を超越した何かが存在しているのだと思う。
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/64347
2ラウンド合計の9時間強サーフを湘南でし、
それから千葉に来て、夜明けと日没時間の2ラウンド。
翌日も夜明けからサーフし、今日も明日も波に乗る。
こうして私は32年間ほぼ毎日波に乗ってきた。
それは執念でもあり、気合いも根性も必要で、
何が自分をここまで波乗りに駆り立てるのかがわからぬが、
海に向かい、いつものように「怪我をしませんように」
「海に波に、全てのことにありがとう」そんな祈りの中パドルアウトする。
どんなものでも長く続けると見えてくるものがある。
「石の上にも3年」
「10年で一人前」
「武術一万日」
そんなことで語れる世界。
最初は好きで、そして憧れとなり、それが病みつきとなり、
さらには執念や根性を通り越して愛となり、今では人生そのものになったとすら思える。
さて、千葉ノースタイガー。
ここは北東浪見。
昨日蛸操さんのご長男とセンドーでお会いしたが、
蛸さんは東浪見にいらっしゃるレジェンドプロサーファーである。
夷隅にサーフボード工場を構えられていて、
私がサーフィングを始めた当初は、この工場員になるのは、
プロサーファーの一歩手前であり、千葉サーファーのあこがれであった。
蛸さんというお名前を聞くだけで、
サーフィンクラッシック誌の松部編を今でも思い出す。
ビッグウエイバーであり、真のローカル、つまり心の大きな人であります。
ーー業界のならわしなのだがーー
通常は良い波のブレイクやスポット(アメリカではポイントとは言わない)の名前を公表しないので、
私はここを勝手にノースタイガーと呼ぶようになった。
その太東側の小堤防をノースジェッティとし、
サンライズとを隔てる大堤防をサウスジェッティと勝手に命名し、
ここの波の良さをマーケティングとし、それが広まりつつあることがうれしい日々。
(良い波はみんなで楽しく乗りましょう)
Nation Ryan Engle’s Sonic Boom 5’7″
そのノースタイガーの波を愛するはぎうだ。
彼はNAKISURFでボードの検品、オーダー受理、
発送やその他を担当しているいわゆる守備側の人であります。
彼のニコリンサーフ愛は、あふれるものがあり、
明るく、清潔で真面目な好青年だから、誰からも好かれるというのもよくわかる。
彼は健康なのと、
波乗りに対しての想いが彼を海に駆り立てているのだろう。
波乗り人生ストーリーだと、彼の今はどの章にいるのだろうか。
そう考えると、彼もまた私たちと同じ路を歩んでいるのだろう。
いつまでも楽しく波に乗り続けて欲しい。
寝ているときに汗を受けたTシャツとトランクスで海に入ることを「サーフウオッシュ」と呼んでいる。
濡れたものを潮のまま絞って、夏の天日に干して、また着ると、
塩の粉がそこに浮いていて、そんなこともうれしい。
もっと言うと、どこかについた砂も好きだし、ワックスのついた裾とか袖までもにニヤリとする。
それは「サーフ愛」の一部なのだろう。
この南東うねりでノースジェッティからセンターに乗っていくというのは、
斜めに波が来るということ。
こうして波のショルダーがどんどん開いていって、
岸に近づくというより、真横に乗っていけるので、
永遠に波に乗っていけるような感覚となる。
実際には岸に近づいているのと、巨大なサウスジェッティが迫ってくるので、
堤防から堤防までが限界だが、
Jベイとか、イナリーズのようなラップ(うねりが回り込む)系の波質なのがよくわかる。
実際にはショルダーがたっぷりとあって、
ピークというよりコーナーからテイクオフするため、
慣れない人にはクローズアウトにも見えるほどのフェイスの開き具合だろう。
そんな波質の2015年の台風9号だったことをここに記しておく。
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