◎この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などと一切関係ありません。
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第一章 序
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「東京オリンピックの競技種目にサーフィンが加えられる」
そう報道されたのは2015年の夏の終わりだった。
大原洋人がUSオープン・オブ・サーフィングで優勝したのは、この三週間前のことで、今まで日本人が世界のメジャーイベントで優勝するという確率などは1%も存在していなかったと信じていた日本のサーフ業界人たちはその耳を疑っていた。
公益財団法人である日本オリンピック委員会が「世界一のウエイブプール建設」を切り札に1964年以来56年ぶりの2020年東京オリンピックに向けて、無気力だとされる若者への強いカンフル剤となるのはサーフィンしかない、そういった理由を後ろ盾に政府が踏み切った奇策か、いや、これこそが正攻法だったのだろうか。
『東京五輪追加種目 「若者へのアピール」に透ける組織委の思惑』日刊ゲンダイが斜め記事を書いたように、世間は「サーフィン=ただの遊び」という目で見ているからこその内容だった。
これからの日本経済を支えていく若者たち。
ただ、それは「ゆとり教育」だったり、ソーシャルメディアの台頭で他の世代からは、無気力だとされてきた若者たち。
「彼らが熱中できるスポーツを」そう日本オリンピック委員会が考えるのは、軽く一億人という人口を抱えるサーフィン業界からしてみると、正しいことだと思えた。
一般社団法人日本サーフィン協会に2002年より会長職に就いている杉本が、東京大会種目追加検討会議のヒアリングを終えて、廊下に出てくると、その表情はすでに決定したかのような安堵に満ちていた。
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【日本サーフィン協会の会議室】
「JOC(日本オリンピック委員会)は、とにかくサーフィンを第一に追加種目に決定するようだぞ。若者が熱中できるものをーーー」
「ウエイブプール、スタジアムはどうするのですか?」
杉本の会話を遮って、高橋がきいた。副会長職に杉本と同時期に就き、二人三脚でやってきた男である。
取材許可や競技内容への質問などの鳴りやまない電話の対応に追われている事務員たちの声が遠くから聞こえてくる。
「新国立競技場のこともあるからさすがに文科省も慎重だが、ウエイブプールのメンテナンス・コストと利用者推測、そして広告収入を見て、建設にかかった予算は即座に回収でき、向こう50年間の利用が見込め、さらには新世代への継続的な健康を促せると、すでに決定事項で進んでいる」
「ほう、それはかなり実現に近いと、杉本さんはそう見るのですね」
「十中八、九、いや99%実現するだろう」
「他の種目よりも上なんですか?」
「IOC(国際オリンピック委員会)の『新しい競技を』という強い後押しもあるらしい」
「やりましたね!」
「これからが大変なんだぞ。気を引き締めていこう」
「そんなことはわかっています。けど、大きな、いや新次元の扉が開いた気がします」
「空前のサーフィンブームが来るな」
「杉本さん、高橋さん、ちょっと待って下さい」
口をはさんだのは、協会の最古参であり、常日頃からソウルサーフィンの普及を唱えている星野だった。
「サーフィン競技は二種目とされていますが、やはりショートボード男子・女子ということでしたか?」
「競技人口的に他には考えられませんよ。星野さん」
「競技よりも心の育成を、この協会はそう掲げて今までやってきました。それがオリンピック競技決定だと浮かれていて、今直面している大切なことを棚上げしましたが、ゲレンデである各ブレイクはどうなってしまうのでしょうか」
高橋は杉本をチラリと見て、そして二人は視線を下に移した。
「競技が優先される日本の各ブレイクは、コンテスト・ルールが浸透していています。その結果、少しでも上手なサーファーたちが幅を利かしていて、ラインナップが弱肉強食のようになっているのはご存じですよね」
「新しく・波に乗ることを始めた人が・定着しない」
杉本と高橋はいつもそうしているように声を重ねてそう言った。
「そうです。これを是正するためにショートボードとソウルサーフィンという2部門にしてみてはいかがでしょうか?」
「ふたつの、異なるルールとマナーをこの機会に一般的に普及させるのですか」
杉本は一度高橋に目をやり、次に会議室の入り口を見ながらそう言った。
ふたりがこの話を終わらせたいことは星野にはよくわかっていた。
「星野さん、よしんば、もし、そのソウルサーフィンという競技があるとしたらどのように審査するのですか?」
高橋が大きなため息をつきながら、やれやれという表情になってそう言った。
星野は眉を少し上げ、両手を輪にしてみせた。
「和です。日本のサーフィンが必要としておるのは和なんです。オリンピックにショートボード部門があれば、彼らの競技欲は十分に満たせると思います」
「その通りです」
「世界でのサーフィン競技人口は3000万~4000万人、日本では約200万人とされています」
「だからこそ、競技です。星野さん、ショートボードなら日本人がメダルを取れるチャンスがあるのですよ」
「しかし競技者以外のサーファーはその500倍はいます。日本のサーフ人口が一億人とされていますが、全てのサーファーが喝采を送る競技、それがソウルサーフィン部門です」
「それでは、例えばですよ。アレックス・ノストたちが出場するような競技をどう創造させるのですか?」
「それはまだわからないが、シェアライドだったり、ソウルグライド、動作や芸術点と、体操競技のようにしてみてもいいのではないでしょうか」
「じゃあ、音楽に合わせて波に乗るのですか?」
高橋はすでに笑いだしそうな表情になっている。
「そうです。そうやって、サーフィンの優雅さ、美しさを競い、それが和となって普及すれば、もしサーフィンブームが来ても各ブレイクでの問題は全て解決すると信じています」
「星野さん、それでは具体的にそのソウルサーフ競技をお考えになられて、スキームを練ってみていただけますか?」
「わかりました」
杉本と高橋はお互いの顔を見合わせて笑みを浮かべ、そしてスマートフィンを少しいじってから会議室を出ていった。
座ったままの星野は、
「ソウルサーフィンだよ。日本のサーフィンは魂がないとな」
そう独り言を言ったまま立ち上がる気配すらなかった。
(いつかに続く)
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