念願のアメリカ本土、
カリフォルニア州はサンクレメンテまでやってきたボク。
ピコ通りにあった『ウエアハウス』というレコード屋で、
ピンクフロイドのアルバムに偶然再会!?しました。
1980年代後半のお話であります。
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Tストリート
初カリフォルニアでの滞在は、
サンクレメンテという静かでおしゃれな街。
人々も笑顔を絶やさずに安全な場所だった。
今もここに住んでいるのは偶然か必然か。
良い波でサーフしようと、
サーフショップの店員から教えてもらったのは教会岬。
けれど、
駐車場からあれほどまでに遠いとは信じられずに引き返したが、
その途中でアッパー・トレッスルズの波を見つけた。
そのスムーズでほぼセクションレスの斜面と、
軽く50mは乗れる距離に驚いたボクは毎日そこでサーフしていた。
波乗りの合間にはペドロスタコスでフィッシュタコスを食べ、
ファットバーガー、ビリーズ、
またはエルカミノ通り南にあった
『アルファ・ベータ』というスーパーマーケットに行っていた。
(現在はラルフス)
その後は街の探索。
サンクレメンテは小さな街で、
当時の街人口は1万人くらいだっただろうか。
見かけるのは白人がほとんどで、たまにメキシコ人。
日本人サーファーのボクのことは、
多くの人に知られていたようだ。
さて、そんなとき、
住宅地を海側に探索していくと、
たくさんのサーファーで賑わうブレイクを発見した。
Tストリートという名前と聞いた。
名前の由来を聞いてみると、
T字の交差点からなのか、
トレファグラー・ストリートからなのかわからないけど、
昔からTストリートと呼ばれているそうで、
(現在は地図にもTストリートと記載されるほど、市民のサーフブレイクになっている)
早速サーフしてみると、
千葉の部原海岸メインピーク周辺のようなリーフとサンドのミックスで、
変化や消滅、ウエッジ、切り立ち、バックウオッシュが激しく、
見た目と違って、普通に乗るのがむずかしいほどの波質だった。
北側、つまりピア側からライトがメインに向かって走れて、
メインからはライト&レフト。
ライトの向こうには2、3のピークが続いて拡がっていた。
(ピアの向こう、サーファーたちが沖で波待ちしているのがTストリート)
そのピア側から不思議なるスタイルのサーファーが波に乗った。
黄色、赤、青、茶色という当時も今も奇色ウエットスーツ。
オレンジのボディグローブ・ロゴが胸に。
彼のサーフィングは、
今で言うところのウナクネ系アクションなのだが、
トップアクションが激烈で、そんなところも奇天烈だった。
ボトムに降りると、
瞬時に体を折りたたむように引き絞り、
そこからマッハの速さでリップにボードを当てる。
跳ね返されるようにボトムに行き、再びトップに駈け上ると、
今度は首をあらぬ方、
つまりは進行方向と逆側に倒し、
「デジュバズズデュー!!」とカットバックしていくではないか。
今まで全く見たことのない動きと速さ、そして力強さに驚いた。
これはアメリカのD先輩であり、
こちらの師匠になるかと感じたのはジム・ホーガンだった。
さらには、美しいフォームと、
信じられない滑走速度はASPランカーであったブライアン・マクナリティ。
ハワイではマルイ・パイプラインマスターズの常連だったので、その名を知っていた。
そのブライアン・マクナリティがこの街出身だったとは知らなかった。
すぐに彼の弟テレンスと仲良くなって、
さらにはジョー、ショーン、パトリックと、
プロサーファー5兄弟全員と家族付き合いをするのは、
この少し後のことになる。
とにかく、
このTストリートでは、
連日腕ジマンのサーフセッションが繰り広げられていた。
当時、彗星のように登場したのはポッツこと、マーチン・ポッター。
彼がここでさっきまでサーフしていたと聞き、
興奮していたら爆音ハーレーに乗ったノーヘル男が現れた。
まるで映画俳優かと思わせる容姿、
ロングヘアのブロンドは珍しくないが、
ビカビカと輝くようなスターのオーラをまとい、
そしてムラムラと発散していた。
白いバンがやってきて、
私たちの前に駐まると、
その中で彼はウエットに着替えている。
サーファーなのか!
さらには6チャンネルのサーフボードを無造作に抱え、
仲間とふざけながらワックスをかけている。
その途中で、
少し怒ったように仲間を追いかけ、
坂の上まで走っていき、
少し経ってから逆側から歩いて戻ってきた。
彼は半分しかワックスを塗っていないノーリーシュのボードを抱えて、
砂浜に通じる鉄網で包まれた歩道橋を降りて、
左側のピークに走っていく。
多くの人が彼のことを見ていたことに気付いた。
さらには、ビーチにいた、
または駐車場や丘の上にいた女の子たちが、
当時あったブランコ周辺に群がるように集まり、
その金髪サーファーの行方を私と同様に見ていた。
彼が波に乗ると、電気が走るような速度で、
壁を伝い、波が崩れてくる際でエアをすると、
見たことのない高さで飛び上がっていった。
マット・アーチボルドだった。
こんな世界があることは想像すらできなかったボクは、
「これだ!」
震えつつも、ほとばしるものを感じ、
自分がしたい波乗りが具現化された思いであった。
そしてちょうどミラマーシアターで上映された
『サンクレメンテ・ローカルズ』
というジェフ・ニュー作品を見ると、
そこにはこの街のすごさが詰まっていたが、
現実のほうがすごく、溢れるような毎日だった。
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第14編に続きます。
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Matt Archbold 1985 Chiba
Photo by Sizuo Hoshi
アーチの写真を探していたら、
31年前の日本は千葉、部原での写真が出てきた。
撮影者はなんと星さん。
キリンビールを飲んで、刺身の舟盛りをしていた。
18歳の彼は、日本で何を感じたのだろうか。
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さて、こちら現在のサンクレメンテ。
嵐が来ていて、雨と曇模様。
南風が続いていて、ソルトクリーク以外は波面は荒れていた。
日本から鈴木猛さんとSafari誌のボス、
さらにはDeusさん一家が来られているというので、
その南風を避けるマンハッタンビーチ(LA)までタイキくんと出撃し、
雨の中、みなさんとハッピーサーフをご一緒させていただいた。
そして、その後、
ロスアンジェルスの『アート地区』を闊歩し、
さらにそこからダウンタウンまで歩いて、
マニアのマウンテンバイク屋まで行った帰り路。
かなり恐ろしい地区を通ってしまい、
小さな精神病院の前は浮浪者であふれていた。
水の流れない公衆便所の匂いがあたりを漂い、
暇そうな浮浪者たちは、ほぼこちらを見ていた。
こういうときはブルースリーに見えるように歩けば平気なので、
しっかりと、さらには電光石火のキックは10発くらいできるぜ。
そんな気概で歩いていると、
路上にすばらしいピックアップトラックが停まっていて、
渋いキャンパーシェルを積んでいた。
写真を撮りたい。
うーん、でもこんなところでカメラを出すのは、
ピラニアの水槽をベーコンをヒラヒラさせながら泳ぐのと同じだろうと、
撮りたい衝動をぐっとおさえていると、
知った顔が前から歩いてきた。
その囚人服か船員服のカラフル版のいでたちは、
チェイス・ストップニックだった。
なんでもここにチェイスの友人家があるそうで、
この通りは危険じゃないぜ、とは言うが、
どう見てもオソロシ通りなので、さっと写真を撮ったのが上の作品。
さて、ファッションと車輪マニアな一行は、
18時から始まるDeus x Luftgekuhlt x Modernicaに向かいました。
こちらも明日に続きます。
:)
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