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naki's blog

昭和58年にタイムスリップした日_湘南鎌倉でのウナクネサミットは涅槃の境地に達する_(2335文字)

 

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Cole Da Creature 5’7″

台風10号、湘南鎌倉。

朝は無風快晴でありました。

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自分が波乗りを始めた場所、

峰ヶ原に行き、

昔乗り尽くした波にコールの新作で乗る至福を味わってきた。

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干潮から上げに向かって潮がのってくると、

うねりは上がり、セットは無限のようにやってきた。

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バリー・マッギーのキャッチサーフが歩いていくのを見て、

もしかしたらビームスの種市さんが近くにいらっしゃるかも?

そんな直感が当たった日でもありました。

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先日男の約束を果たせなかったヨゲさん。

ウナクネ=オルタナティヴ・サーフ_ウナクネ会_エアストリームのカリスマ・ヘアアーティスト『Hair California』_(2007文字)

カラーズマガジン主宰の彼は、

あの日まで激務でほとんど寝ておらず、

やはり起きられなかったというが、

今日はしっかりとカメラ片手に約束の地に現れた。

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先日、おやっさん=父を亡くしてしまった中村豪さんが、

おやっさんの友人でもあった美佐さんと握手をしていた。

「おやっさんはさ、峰が好きだったから、豪が来て俺はうれしいよ」

美佐さんは遠くを見ながらそう言っていた。

私たちには知らない1970年代の男の友情を、

息子が引き継いだ瞬間でありました。

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Go Nakamura & Tomo chan.

私もそうだが、

豪さんと同じ気持ちで波に乗っていて、

海のパワーをたっぷりと受け取りました。

がんばれ豪さん!

彼の海_嵐の今日_停電と雨漏りチャンピオン_(1258文字)

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カラーズマガジン主宰のヨゲさんは、

ウナクネ度1級で、

こうしてカットバックリバース等を簡単にメイクするあたり、

ただものではないが、ウナクネ1級士なら当然のことだろう。

彼が今回の歴史的なセッションを

『ウナクネサミット2016』というハッシュタグを付け、

これからどのようにこの日のことを語り継いでいくか、

それは楽しみなことであります。

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私たちの師範でもある美佐さん。

昔から後輩の面倒見が良く、

ずいぶんとお世話になりましたが、

30年後の今日もお世話になりました。

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ウナクネ部長に就任したYoheyさんの、

バックサイド・クネリーネ。

インスタグラムにはこう投稿しました。

「香ばしく滑るクネクネセンタースタンス 山下達郎のメロディーに乗せた涅槃風味で グラブレイルと峰のマリアージュ」

さすが七里ヶ浜、かなりの精度でパーフェクト波でした。

 

豪さんとYoheyさんの友人のボードは、

「これはウナクネ風味のハルで、

インスピレーションは1980年代のハービー・フレッチャーなんです」

そんなすばらしいミッドレングスでウナル至福。

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ここはサンオノフレのフォードアーズそっくりの波質で、

なるほど私がなぜあそこまであの波が好きなのかがわかった。

それほどまでにカリフォルニア波に酷似リーフ&サンドブレイク。

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他に勝又さん、平野彩子さん、

私の元スポンサー&シェイパーであるシモジュウさんもやってきたので、

【特大号】16秒の南うねりは伝説的なフォードアーズ_ブイ計測値のおさらい_私の波乗りの歴史_第18編_昭和64年の長沼サーフボード_(4784文字)

ここはまるで、1983年かとタイプスリップするような感覚となり、

「やばいっす、涅槃の境地に達しました」

そんなウナクネ部長やカラーズ主宰の感想を賜った。

それにしても先輩方のパドリングが変わらずにうれしかったのと、

自分もまだまだサーフを真剣に続けなくては、

そんなことを感じたウナクネ回想セッション。

たっぷりと5時間サーフして、

美佐くんのお薦めシチリアーナでおいしいランチをいただき、

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逗子サーファーズに波をチェックしつつ、

片瀬にあるウナクネ合宿所に戻って、

カラーズマガジンをチェックすると、

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こちらも鎌倉の先輩NISIさんが亡くなったときの記事が出てきたので、

読み返していくと、それは、

「Nisiさんとクリスチャン・フレッチャーとのお別れ」

というものだった。

ちなみにNISIさんは少年だったクリスチャンにいろいろを教え、

義理堅い弟子は師の訃報を聞き、日本まで飛んできて、セレモニー、

そして散骨までのドラマが、すばらしい文体に収められていた。

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「クリスチャンのボードショーツのポケットの中で、

(骨となって)一緒に旅を続けるNisi」

このフレーズに涙し、

また海に行く前、午前3時に読み返すと、

嗚咽が止まらなくなるほど、悲しくなってしまった。

これは師弟コンビでありながら、父子の物語なのだと感じ、

前出した中村豪さん、

そして自分が中学生のときに失った父とも気持ちが重なり合い、

人が生きていくさまざまを深く知った日でもありました。

そう考えると、

その人生ドラマを掲載したカラーズマガジン、

さらにはそれを誌面にしたヨゲさんと、執筆者Yoheyさん。

登場人物のふたり。

そんな邂逅は、波乗り仲間を越えて、

人生の仲間であろうと再確認した台風10号。

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そうやって、

私は33年前から今も大好きな波に乗り続け、

ふと外を見ると、台風からの大粒の雨が落ちてきた。

忘れられない日の忘れられない波に乗った日。

波乗りを始めたときのヒット曲を思いだし、

そのメロディとリズムで波に乗ると、

昭和58年の夏に再び戻り、少年になった自分たちがいた。

JODY 君となら
きっとわかり合えた
ひと夏が過ぎ去った
浜辺は
もう誰もいない

JODY 悲しみを
消してあげたかった
一人きり泣いていた
姿を
僕は見てた

君の肩を
そっと抱いて
歩く夢 今も
残っているのさ
ずっと…

JODY 君の事
もっと知りたかった
だけど もう遅過ぎる
OH JODY
二度と会えない

君の事
忘れない
いつまでも
OH JODY
君を

 


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