今日は読書日で、
『エルマーのぼうけん』(福音館書店)
『羅生門』(新潮文庫)
そんな古典を読んだ。
幼少時に好きだったエルマーの奥付を見て驚いたのが、
初版が1948年とあって、
それはすでに68年も前に出版されていたものだった。
『羅生門』にいたっては、1915年(大正4年)とあったので、
100年以上も前の作品だと知った。
いつかここに
「文学ではなく、音楽のように文楽と表記すれば良いのだろうが、
すでに使用されていたので仕方なく学にしたのだろう」
そんなことを書いたが、
やはりサーフ文学というのがあったらどんなに楽しいことか、
そんなことを思って、
この101年も前に出版された『羅生門』をベースに
波に乗る文章を書いてみた。
連休中の息抜きだと思って読んでいただけたら幸いです。
それでは今日も良い日となりますように。
◎
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四枚扉
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一人の波乗人が、四枚扉の小屋《フォードア》の前で波を待っていた。
広い海の上には、この男のほかに誰もいない。
ただ、塗の剥げた扉の前に古くさい板《ミッドレングス》に、
割と大きめの舵《フィン》を一枚付いたボードが転がっていた。
四枚扉が、
鰻捻《ウナクネ》聖地である聖斧振《サンオノフレ》にある以上は、
この男のほかにも、波遊びをする浜女笠《はまめがさ》や河童男が、もう二三人はありそうなものである。
それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、米国には、
地震とか辻風《つじかぜ》とか火事とか饑饉とか云う災《わざわい》がつづいて起った。
そこでカリフォルニアのさびれ方は一通りではない。
旧記によると、教会の装飾物を打砕いて、
その丹《に》がついたり、金銀の箔《はく》がついたりした木を、
路ばたにつみ重ねて、薪《たきぎ》の料《しろ》に売っていたと云う事である。
米国中がその始末であるから、
四枚扉の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。
するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸《こり》が棲《す》む。
妖怪《グッドサーファー》が棲み、波に乗ることに耽《ふけ》っていた。
とうとうしまいには、行き先のない波乗人は、
この小屋の前で野宿すると云う習慣さえ出来た。
そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、
この小屋の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代りまた大鳥《ペリカン》がどこからか、たくさん集って来た。
昼間見ると、その大鳥が何羽となく波に乗るように飛びまわっている。
ことに四枚扉の小屋、その上の空が、
夕焼けであかくなる時には、それは美術品であるかのようにはっきり見えた。
大鳥は、勿論、小屋の前に来る最上級の波を、滑走《グライド》しに来るのである。
——もっとも今日は、刻限《こくげん》が遅いせいか、一羽も見えない。
ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた小屋の壁に貼られた
Live Alohaの文字が妙にかなしい。
波乗人は四枚扉の小屋の、
北側の壁が見えるか見えないかくらいの場所に山立て《やまだて》し、
逆光の燦めきで見えづらくなった水平線に目を凝らし、
日焼けですっかりと色落ちした枯草《カーキ》色の水着の尻を据えて、
板際《レイル》の感触を気にしながら、ぼんやりと海が動くのを眺めていた。
作者はさっき、「波乗人が波を待っていた」と書いた。
しかし、波乗人は波が来ても、格別どうしようと云う当てはない。
今日の空模様も少からず、この波乗人の Sentimentalisme に影響した。
申《さる》の刻《こく》下《さが》りから離岸《パドルアウト》していたはずだが、いまだに上るけしきがない。
そこで、波乗人は、何をおいても差当り明日《あす》の暮しをどうにかしようとして
——云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、
さっきから四枚扉の小屋の前に来る波を、乗るともなく見ていたのである。
波は、聖斧振をつつんで、遠くから、音も立てずにやってくる。
夕闇は次第に空を低くして、雲が海面に散らした暖色を纏《まと》わせていった。
(いつかに続きます)