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naki's blog

【naki’sコラム】vol.12 コスタリカ・純粋人生 PURA VIDA – パンカーの憂鬱 (PART1)

俺の明日はわからない。自由に本性のままさまよっている。このままではいられない。いまだ心の奥底に光は射さず。闇で包まれた棺桶の底を、暗黒世界をさまよっている。欲望が渦巻く世へ回帰するため、見ず知らずの者から救いをもらえれば、という思い…。もし、新しい日が来たとしても答えはないのだろう。何もせずに時が去る恥を知れ。こんな話に付き合わせて悪いな。正しいことなんてどこにもない。
— (I Don’t Live Today.ジミ・ヘンドリックス、1945-1970)

第1章 Foxey Lady. お前を連れて帰りたい。(I wanna take you home.)

プレヤ・ハモサを見渡せるローガン山に立ち、眼下に広がる太平洋を見ている。水平線は蒼く、ゆるやかに湾曲して、その海原の手前には河からの茶色が帯となり流れ出ていた。頭程度の熟れきった波が誰にも触れないまま、触れられないまま、たわみ、勃ち、悶え、極み、達し、ふるえて無数の泡となっていた。その永遠無限の繰り返しの上、遥かなるそらにはペリカンの群がV字隊形を組み、北へ移動している。熱気で焼け、重くなった大気、手前には放牧地があり、牛たちは昼寝中なのか、木陰で静まっていた。永いあいだ想い続けてきた聖なる「世界」。昨夜まで霧と寒気のカリフォルニアにいたことが遠く、昔に去っていった。年を重ねて旅を繰り返してきた。到達地への期待、希望は歓喜や伝説へと変化し、その同じ数の失望と後悔があった。その結果、全ては自分の目で見るまで、乗るまで、揉まれるまでは、一切何も感じなくなってしまった。実際にここに立って、椰子の木の向こうに拡がる熱帯地でのパーフェクションを見ても、である。俺は、しばらくそこにたたずんだ後、ボードケースからサーフボードを取り出した。

昨年の仲間がまたコスタリカに戻ると聞いた瞬間、この旅が発芽した。熱風にリップを翻して崩れる波や、恐ろしいまでの雷雨、積乱雲を浮かべた青空が、フラッシュバックしては消えていった。俺は徐々に熱病に冒されていき、救いを求めるように航空券を手にしていた。
黒砂と、蒸気で満たされた浜でTシャツを脱ぎ、トランクスのまま海に飛び入ると、湯温の安らぎに満たされた。気泡が体にまとわりつき、それらが細かく、小さく、ささやかにはじけ、パドリングで腕の筋肉がブルブルと動き、マッサージされているように心地がいい。腹に当たるワックス擦れ、重く強い白波、海中での砂の舞い、それら全てに浸った。柔らかな海水が首の凝りをほぐし、美しい角度で傾斜する波の斜面にときめく。時間を超越した魂のセッションは、雷雲の到来によってその終焉を迎えた。海面に落ちてくる雨粒、遠くで咆吼する雷。車に戻り大きく息を吐き出し、濡れたまま座席に沈むと、雨粒は車にバチバチバチバチという強い音を立てていた。音はさらに大きくなり、その量を増やしていった。やがて水滴は小さく弱くなり、薄くなった雲が残り、陽が隙間から抜けてきて、オレンジ、紫、ピンクを色づかせ、湧き出してきた。それは暖かく、端麗で、絢爛で、心は穏やかに満たされていった。いったいこれは誰からの、何かのメッセージなのだろうか?

家(ローガン山頂上)へ戻る途中、ダート道の深度のつかめない水たまりをいくつか越え、レンタカーへ泥化粧を施した。あてがわれた部屋に入り、華奢なベッドに横たわり、興奮を静めるように体を伸ばし、眉を開き、これからを期待しないようにそっと目を閉じた。

第2章 Purple haze. 頭の中は紫霧の世界。わかっちゃいるが変な気持ちだ。失礼、お先に空に飛び立つよ。(Purple haze in my brain. Maybe things that don’t seem the same. I feel funny, but I don’t know why. Excuse me while I kiss the sky)

太平洋沿岸、山側から昇る朝日。眼下のプレヤ・ハモサビーチは一夜のあいだにサイズアップしていた。クルー全車で急勾配なダートロードを後輪を滑らせながら降りる。4輪駆動車だが、突然コントロール不能となり、ヒヤリとさせられる。この山道の片側は崖で、その操縦ミスは命と密接な関係にあった。舗装道路の国道に出て北に向かう。大きくなったうねりの機会を利用して、入り組んだ海岸線の発見されていないリーフ、またはポイントブレイクを探索しようと企んだのである。はたして、いくつかの岬や湾に出られたのだが「あの岩さえなければ」とか、「もう少し浅ければ」、「うねりがこの倍あれば」という問題点を提起するにとどまった。北集落に壊れた吊信号機の交差点があり、そこには[港]の標識。旧道の、湾曲する道を下り、港に出た。船着き場の男に波乗りできるところはないか?、と訊ねると「墓場横の坂を上って行け」とスペイン語で言った。その通りにすると、美しい高級住宅地が現れた。だが、海に通ずる道はここより厳重なゲートで閉ざされていて、警備員が頑として居住者以外の進入を拒んでいた。断念し、みんなは引き返すことになったのだが、ある感覚がここに何かがあることを告げていた。そこで、このゲート周りに拡がる極彩色の草花を撮りながら散策していると、偶然住宅地内に入れる抜け穴を発見し、そこから忍び込み海を見下ろせる崖に出た。サーファーの理想である三角形に突き出た岬、その馬の背に沿ってライトとレフトの両方が雄大に、美しくブレイクしていた。沖にはうねりの線が無数に押し寄せ、順序よくその三角形に沿って白い泡を作っていく。目を瞠り、息を飲み、歓喜によって錯乱しそうになるのを抑えながら、みんなとの待ち合わせ場所の港まで急ぎ、見てきたことを控えめに伝えた。そして3台の車でそこへ行くが、車を降りる間もなく警備員がやってきた。【この人数ではその抜け穴は使えない】短い議論の末、彼らはさっきの港から舟をチャーターするということとなった。

その岬波の全貌を岬から撮りたい俺はひとり抜け穴に向かう。降りてきた坂を車でかけ上り、ゲート内に入りこみ、浜に機材を下ろし、ボードを持ち、ワックスをトランクスのポケットに押し詰め、入り江を走り、岬から飛び込んだ。海底の溝であるチャンネルは、小さな流れとなり、ピークへ注いでいた。波が近づいてきた、海底の珊瑚礁を反映させているのか、粗いフェイスが、規則正しいブレイクを開始した。沖に大きい岩が潜んでいるようで、ピークの下に段差を作り、泡を吹きだしている。岬波の正しい特徴である内側湾曲(ホーシュー)を起こし、ショルダー側からフックに向かってウエッジ壁を寄せてきた。テイクオフを始めると、波の高さがウエッジによって倍近く屹立し、リップは一瞬でフェイスを巻き込む。自分の意志が伝わらないサーフボード、硬いままの体と精神は、分裂しながら海面に向かって急降下する。気持ちを閉じ、体を丸め、波の下に入った瞬間、硬いなめらかなもので頭を打った。「ああ….」と覚悟と後悔を持って浮き上がり、その打った部分に手を当てるが、幸いなんの傷も痛みもなかった。後で水中撮影の際に潜って確かめてみると、杭上の岩が沖とピーク部に2本突き出ていて、沖側は直径2mにも満たない小さな岩で、ピーク部は二等辺三角形の、軽自動車サイズの滑らかな隆起だった。
次の波は用心しすぎるくらい吟味し、波の中に全力で漕ぎ入った。遙かに伸びたショルダーが海面を這うように寄ってきて、自分のいる場所を押し上げる。サイズと慣性を増した壁がカタパルトの役目をしてくれ、ボードをボトムに発射するように降下させる。あらかじめレイルにかけておいた傾斜が進行方向を産み、テイル側に移した重心でターンする。リップにボードを引っかけ、レイルに体重をかけて降りる。この繰り返しで岸まで向かう。最後のセクションでは浅く拡がる岩棚によって波は立ち上がり、浅瀬に乗り上げることを覚悟しながら突き進み、岬先端の岩に跳ね返るバックウオッシュと共にキックアウト(プルアウト)した。

アドレナリンの分泌によって体が、足の裏が熱かった。至高な波に、永年暖めてきた情熱が沸騰しているのだろう。
湾の南から一艘の舟、ローガン達がやってきた。– 同乗していたダニエルによると、三つ目の湾奥にこの波はあったという — 全員が狂喜に近い歓声を上げ、こちらに向けてパドルアウトしてきた。
慌てて機材を準備し、撮影を開始する。ゴーキン、アッシャー、ブラック、パンカー、ダニエル、ジャラ、ブラッキー、ケーシー達のダンスを撮り続けた。

俺が来る前の週末に、クイックシルバー社主催のエアショウがプレヤ・ハモサビーチでビキニコンテスト、全米TV中継という大規模に開催された。それで優勝したゴーキンの調子の良さは、ものすごかった。サーフィングはメンタルで、またモメンタム(慣性)、コンフェデント(自信)ということを実証するようにターンを弾けさせている。3本目の波でものすごいヴェロシティ(高速)・ダブルグラブ360をメイクし、舟上からローガン、ジョンで結成されたビデオチームの歓声が聞こえた。その後連続で高度な技をメイクするゴーキン、それを追尾するアッシャーがバックサイドでシリアスなクーランガッタ・ターンを見せ、その俺達だけの盛り上がりはまるでハードロック・コンサート会場か、と思うほどに沸き、興奮していた。

黒髪のブラックが(その低いエアによって)自己嫌悪に陥り、自分の顔を殴りながら波に乗ってきた。望遠レンズを覗き、ビデオ班の顔を見ると、全員が唖然としている。この旅はコンテストから離れ、質の高い波で最高の最新鋭のサーフィングを記録する、という大義目的があって、それは争いとは全く無縁のことと信じていた。だが勝負師の彼達は競争を糧とし、スコア(得点)によって己を表現するという逃れられない宿命を背負っているのだった。お気楽パンカーがこの不機嫌なブラックにちょっかいを出し続け、点火し、発火し炎上させた。彼らは罵りあいながら同じ波に乗り、どちらも押し出される、または押し倒されるまで止めない、という低次元のタタカイをこの夢の波上で展開した。それは傍観者にとってはおもしろく、またそれをこのパラダイスで目にすることはある意味、非常に哀しい光景であった。

潮が上げるに比例して波のサイズが上がり、この日は最大高で頭半(約2.5M)となった。真実のセッションは日没まで続き、クルーの疲労を乗せて舟が離れていった。波乗りを再開してすぐに陽は傾き、絶美な夕陽は、疲れ、想い、瞬間を溶かす。暗くなるまで写真を撮り、崖の上から幽玄なこの波を眺めなおし、感銘し、押し寄せてくる満足感をこころに深く刻む。
余談だが、コスタリカで知り合った友人の名を取って、ここをカリチェ岬(プンタ・カリチェ)と名付けた。地図でこの湾、岬位置を確かめてみると、沖に島のように見えるコスタリカ北部地形の張り出しによって、狭い角度のうねりしか受けないことを知る。それは南西225度、たった前後10度幅しかない入射角だった。

第3章 Red House. 待ってくれ、何かが違う。神の情けはドアの鍵を開けられないこと?俺たちは何か間違っていたことを知っていた。(Wait a minute something’s wrong. Lord have mercy, the key won’t unlock this door. Wait a minute something’s wrong. We all know something’s wrong)

気絶するような睡眠を実体験する一瞬の夜が過ぎ、朝日の昇る前に目を覚ます。3時56分だった。みんな昨日の疲れなのか、家全体は静寂に包まれている。すべての機器の清掃をすると、湿気でメインユースの水中ハウジング2機が壊れていた。漏電した電極の応急処置をしていると、ローガンが俺の様子を見にやってきた。ベランダから見る下(プレヤ・ハモサ)はあいかわらず豪快にブレイクしている。壁の切れ間、隙間を見つけるために下の浜まで見に行くのだが、やはり潮は干きすぎで、クローズアウトバレルが全てのセットで走っていた。そして潮が上げてくる頃、正午にエストリオでやろうということになった。
さて、このエストリオだが、スペイン語辞書で引くと「潮の差す広い河口域」とあり、そのままの河口景観が拡がっている。遠浅で、(こういった)波の大きいときは何㎞も沖からブレイクしてくるため、サイズの変わらない頭程度のインサイドのリフォーム(再生)波がその目的となる。ここはシェーン・ベッシェン(昨年)や、ゴーキンが大好きな、Tストリート/カリフォルニア、またはフロリダのニューサマリナビーチに似た波質である。

余談だが、ここの海岸線に60才程度の痩せた、初老の男が住んでいる。彼は大きな丸太にいつも腰掛け、波を見ていた。撮影中も波乗り後もその男は揺らぎもせず、水平線を眺めることに一日を費やしている。暗くなり、蚊の出はじめる時間が来ると浜に建てたトタンの、赤茶色の掘っ建て小屋に帰っていく。ここに行けばいつでも見られる光景で、それは見る度に馴染んでくるが、瞳を持ち上げて考え、都会の男の忙しさと比較すると、鈍い輝きを放つ、真実の人生が浮き出してくる。ローンに追われ、老後の蓄えにおびえるのも生き方だし、この男のように何も追われずに、海を眺めているのもまた人生なのだろう。どちらが真の人生(True life)なのかは、自分に決定権があるということをこの男から教えられた。

エストリオの波は一言で言うと緩慢。これはうねりが大きいと、遥か彼方でブレイクした泡波が、岸近くにやって来て、その海底についた窪みによって、怯んで泡の中にこぶ、ふくらみを作って、ショアブレイクに向けた再生を開始するという、台風の時の木崎浜(宮崎、九州)のような波だった。河口地形によって角度のついた海底にこれがはまり、薄いリップを投げ出しながらきれいにブレイクしている。簡単に言えばショアブレイクなのだが、泡の押しの強弱により、ある程度沖から乗り継ぐことが可能だから厳密に言うとショアブレイクではない。波のパワーはひどく少なく、気楽に入れるアミューズメント的な波の反面、「生を震わす魂感覚」という衝撃が味わえないことが残念だった。分析してみると、「波の始まりから乗れない」というのが主なジレンマなのだろうか。あいかわらず優しい気持ちだが、海の持つ真のスリルから逃れ、少し堕落したように感じさせてくれる場所である。英語の格言に「the proof of the pudding is in the eating.(そのプリンがうまいかどうかは食べてみなくてはわからない=論より証拠)」というのがあるが、ここでその言葉を思いだしていた。

リビングルームに全員を揃え、2004年公開のサーフィング映画『スナップト2』の監督、プロデューサー、そしてこの旅のコーディネーター、山の頂上御殿オーナーのローガン・デューリアンが立ち上がり、これからの予定を説明した。
「ジョシュ・カーは足を、カイルは腕を折ってしまったけど、それ以外のメンバーは5体満足でここにやってきてくれた。心から礼を言う。現在南うねりが入っているので、この太平洋で各種の波を撮り、東うねりが入り次第、カリブ海側まで行き、国境を車で越えてパナマに入り、渡船で無人島に渡り、そこでトム・カレンだけが乗ったことがあるというパーフェクトライトに行くのだ!」と言い、全員から拍手と歓声が上がった。そしてフィジーからCJ&ダミアンのホブグッド兄弟、そしてファロ・エスコンディーダに家を持つシエィ・ロペスがニイジマWCTまで合流し、ローガン映画にスパイスを添えるという。

この夜、壁が蠢いているのでよく見ると、一見蛍に似た茶色い虫が異常発生していた。蚊取り線香の煙で弱り、壁からぼろぼろ落ちるのだが、殺生なのと、煙たすぎることを理由に追い出すことをあきらめた。なんとか睡眠に戻ると、体中をこの虫が這い、口に耳に入り込んでくる。まだ笑い飛ばせる余裕があって、眠れないままーー天井をよたよたと回転する扇風機(ファン)の羽根を眺めながらーー考えていると、「旅はまだ始まったばかり」という結論に達した。また、これはここでの快楽への代償なのか?と哲学的に自問しながら、なかなか進まない永い夜にべっとりと絡まっていった。
ようやく陽は昇り、ダブル弱の南西うねりは、単方向の雄大なパイプを形成しながら断末魔の轟音を発して、一直線に果てている。この旅は雑誌取材を兼ねているので、通常表紙や広告用にクローズアウトでもバレル内の一瞬を強引に焼き付けたりするのだが、誰もそれを口にはしなかった。カリチェ岬での波乗り以来、クルーは本物の波乗りセッションだけを求めているのだろう。

またもやエストリオに行き、堕落で緩い波乗りとなる。ゴーキンたちはあいかわらずリップの上で回ったり、飛び出したりしている。俺のやる気がないことが伝わるのか、早々と海から上がってくる。その後、軽く波乗りして、帰りに雑貨、または駄菓子屋風の路面マーケットに(バナナ、マンゴ、ビスケット)軽い食料を買いに。しかし、車に戻ってきたときはフライドチキン2ピースに*鶏挽肉パンの油を染みこませた紙袋を抱えてしまっていた。この旅行で体を引き締めようと決意していたのに、と自己嫌悪となるが、昨夜の虫事件、堕落波エストリオへの不満から食に欲求を求めたのだ、と部屋に戻る。

湿った柔らかすぎるベッドに沈み、虫の声をバックミュージックに本を読む。かなりの時間が過ぎ、活字を追う力が緩んできた。突然、虫の声が止まり、外は暗くなり、湿気をたっぷり含んだ雲が覆ってきた。しばらくしてそらは泣きだし、たっぷりと水分を落としてくる。屋根を叩く、窓を鳴らす音と聞き分けていると、ドロロロドドド…と雷鳴が強烈に地響きを伴いやってきた。もしかしたらこの世が終わるのか、と思うほどの激しい雨だった。この世に散らばる不快と、困難、不安を頭に渦巻かせ(パラノイアか?)ながら意識は闇にゆらゆらと落ちていった。気が付くと部屋は闇に包まれ、まだ雨の音が満ちている。7時30分と表示している時計。水を飲み、ファンを止め、より深くに落ちていくような眠りに戻った。 »PART2へ

*(こちらではポヨパイ/Pollo Pieと言えば求められる絶品。この店ではマジックでガラスケースに大書きされていた)

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