今日のマンデーブログは、
ある出来ごとで希望が持てたというお話です。
ちょっと不思議なことですが、
気の持ちようではある種の「希望」を感じたのです。
先日、韓国からサーファーの友人が来ていて、
日本の海を楽しんでもらおうと波乗りに向かった。
その日は低気圧が抜けて間もなく、
多くのスポットで流れがきつくハード気味のコンディション。
「乗りやすい波」を提供してあげたかったので、
比較的うねりをかわし、
落ち着いているスポットを狙ったため、
海はちょっと混雑している状況。
休日でも空いている午後を狙ってのセッションだった。
はじめは人気の少ないピークでやっていたが、
友人も楽しんでいるようなので自分のサーフィンに没頭していた。
(友人は思ったよりしっかり乗っていけるので安心していた)
セットに数本乗ってゲットアウトしている最中、
ふと気づくと友人が上手いサーファーに何か言われているではないか!
接触でもあったのかと心配になり、
近づいて話しかけてみると・・・
わたし「何かあったんですか?」
上手いサーファー「一回前乗りされて文句言ったんだけど、また同じ波にパドルしたから”上がれ”と言ったんすよ」
「そうでしたか、韓国から来ている友人なので…」
「それは何となくわかったけど、ダメでしょ!ルールがあるんだから」
「確かにそうですね」
「俺は英語も話せないから、”もう上がりなよ”と伝えてくださいよ」
(と手のジェスチャーで伝えていた)
「ルールはわかるんですけど、韓国じゃまだサーフィン人口も少ないようで日本の海を楽しんでほしいと思ったんです」
「そうかもしれないけど、誰だって邪魔されたら嫌な気持ちになるでしょう?」
「そうですね。ただ海を楽しんでほしくて…」
「自分だって邪魔されたら嫌でしょう?」
「いや、おれは”どうぞ”って感じなので」
「そうっすか。おれは前乗りされた嫌な気分になりますね」
「まぁ混んでる場所だし、そういう人も多いから、ちゃんと説明しますんで」
「おれは嫌な気持ちにさせられてますから。そういう人に入って欲しくないですよ」
「人の少ない場所に連れて行きますんで」
「いや、上がってくださいよ」
「すいません。代わりに謝りますんで」
「だったらルールを教えないとダメなんじゃないっすか?」
「たしかにそうですね。サーフィンを嫌いになってほしくなかったから」
「だからって邪魔しちゃダメでしょう」
「甘かったです。みんな気持ちよくやりたいですもんね。しっかりルールを説明します」
「そうっすよ、俺は嫌な気持ちにさせられてますから」
「あっち連れて行きますんで、すいませんでした」
「ちゃんとルールを教えてやってくださいよ」
・・・と、そんな会話になりました。
友人を楽しませてやりたいことがあったとはいえ、
もちろん悪いのはこちら側なので、
なんとか折り合いがつく結果になって安心した。
結局はピークを移動して無人の場所に連れていった。
その対話の中でも、
不思議とイヤな気持ちにはならなかった。
やはり上手いだけあって、
心根はグッドサーファーのようだった。
ぼくは沖に浮かびながらその会話を反芻していてた。
海の中ではそれぞれの価値観があると思う。
ただ、誰もが純粋に「海を楽しみたい」という心があること。
それは間違いのないことだ。
「気持ちよくサーフィンしたい」
みんながそれを叶えられることが至上のハッピーだと思う。
しかし休日の混雑したスポットでは、
誰もがその思いでサーフィンすることは難しいのかもしれない。
前もって笑顔で挨拶をしあえれば、
価値観の共有ができるのかもしれない。
共有といかないまでもイガミ合うことは避けられるはずだ。
この日はそんな希望も持てたセッションだった。
きっと対話した上手いサーファーとは、
次に会った時には笑顔で挨拶ができるだろう。
海がすべての人にハッピーな場所でありますように♪
(じゅん)
コメント