誰だって望んで誤りを犯すわけではない:I Might Be Wrong.

誰だって、
誤りを犯したいと望んで、
誤りを犯すわけではない。
ただ、晴天の日に、
翌日は雨が降るとは考えないだけである。
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この言葉は今読んでいる本の中の一冊、
現実主義の中で中世ヨーロッパに生きた、
ある思想家の語録本にかかれていた言葉です。
「うんうん、そうだそうだ」
「そのとおりだ!」
と、
「本に書かれている言葉はすべて真実で、
あなたにとって的を得た言葉である」
という小学生時代の危険な洗脳教育?の影響か、
丸ごと鵜呑みにしそうになっていました。
でも、ちょっと待てよ!?
僕たちは永遠の小学生ではなくて、
波に乗るサーファーである。
明日の天気はもちろん、
数日先の波や、
次の季節の波すら予想しながら生きているはずである。
だとすれば、
明日の天気のことすら考えないで誤りを犯してしまうのでは、
それはもうあまりに現実主義的過ぎる。
現実主義的過ぎるというよりも、
ぱっぱらぱー(浅はか)な思考が一時的な感情に欲情したようなものだ。
こんな書き方はちょっと強引にこじつけたような感じがしないではないけど、
「僕はセイウチ」
と歌ったビートルズに、
わがままな自己解釈を投影して、
セイウチになって海を泳ぐ姿に自分勝手に陶酔するようなものだ。
たしかに間違えることを恐れてその場にとどまっているよりも、
間違えながらも前に歩いていける勇気を持つほうが何倍もすばらしい。
だけどそれはヤケクソでも勘違いでも自分勝手でもいけない。
それではエゴと自滅に回帰するのみである。
波の乗ることだけによろこびを見出すサーファーもいる。
それはそれで最高だと思う。
だけど、
波乗りに深く深くのめり込み入り込んでいくほど、
波や海や風、
太陽や月や流れる雲や雨、
季節のうつろい、
山の姿や川の流れ、
海流や水の透明度や、
口にふくんだ潮の味や濃度、
沖から眺める陸の景色を意識したとき、
自然の圧倒的な偉大さと厳しさと優しさを感じることこそが、
自分の命を輝かせてくれるということを意識するはずだ。
波に乗ったときに意識する至上のヨロコビと、
波に巻かれたときに命を自覚する苦しみを知る僕たちは、
例えば波と海を知らない多くの人たち、
サーファーではない人たちへ対峙したときに、
それが大きなゆとり(アドバンテージ)となって、
自分の中にそれが存在しているはずだ。
だったら僕たちサーファーは、
この厳しい世の中でさえも、
攻めながら生き抜いていくこともできるし、
たゆたうようにしなやかに、
おだやかに流れていくこともできるだろう。
落ちているゴミを一つ拾うことも、
心にゆとりを持って他者に接することも、
一人のサーファーとしてできることの一つです。
サーファーとして波乗道を生きていくのなら、
陸にいる時間のヨロコビを見つけることも、
海の中での時間をより高めてくれる大きな要素につながると思うのです。
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今日の一曲:I Might Be Wrong / Radiohead [Amnesiac]












