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【naki’sコラム】vol.15 コスタリカ・純粋人生 PURA VIDA – パンカーの憂鬱 (PART4)

第10章 The Wind Cries Mary. 明日、信号は緑に変わり、光は俺のベッドにやってくる。小さな島の小川(小さな街!?)は流される。風は葉(メリー・ジェーン)を切り裂いたんだ。(The traffic lights they turn on blue tomorrow. And shine as if they look down on my bed. The tiny islands down stream. Cause the life that lived is dead. The wind screams Mary)

のどの痛みで目が覚めた。風邪を引いたようだ。暗いので、雨が降っていれば休める、と窓を見ると端麗な夜明けが始まるところだった。首も痛く、よく考えると昨日のトゥリンで、バレルセットした際にリップギロチンを喰らったことを思い出した。悪いことは一気にやってくるし、流れがあるのでこれ以上悪いことを引っ張らないようにと祈った。海に降りると、昨日の嵐からのウインドスウエル(風波)が入っていて、それが重なってかなり形の良いブレイクを見せていたが、弱った体では浜から望遠を構えるのがやっとだった。ブラックのホップ(前乗り)に怒ったジョンが次の波でリーシュを引っ張り、また険悪な空気が流れる。撮影後、カリチェのタイドプールに行って体を温め体調を復活させようとしたのだが、到着3分後に結構な量の雨が落ちてきて断念する。こんなときは何をやってもうまくいかないものだ。
中毒化したカサドと生ジュースを食べに行く。毎回感じるのはどの店もおいしく、安いことだ。お金を節約したいならソーダ(SODA)と書いてある店に行けばいいだろう。ソーダというのは飲食スタンドという意味で、一食を2~300円で食べられる。ここで告白するが、俺は日本食中毒である。それも超のつくほどで、世界中のどこに行っても、いかなる時も食べたくなるが、ここコスタリカだけは例外だった。なぜ?

午後のセッションは恒例となったエストリオ。だが波の面があまりにも緩いのでハモサのバックヤードに戻る。海に入るとあれだけ暖かかった水が冷たくなっている。あまりにも寒いのでウエットスーツ・タッパを取りに車に戻るが積み忘れていた。隣でやっていたパーキンスに冷水温の話題をするが、彼は昨日と全く変わらずに暖かいよ、と言う。速く、面が硬く、力強い波は、この体力では全く手に負えず、体が更に冷え、震えが止まらなくなり、どうやら風邪は悪い方に進んでいると悟る。この脆い体を悔やみながら車内ヒーターを最高温にし、家に帰り、Tシャツ4枚を重ね着し、スエットパンツ、靴下2枚を履いて寝るが寒くてなかなか眠れない。スエットシャツのような厚着を持ってくれば良かったと痛い頭で深く悔やんだ。ホブグッズ、シエィ達はまだということ。何かあったのだろうか?

翌日某日、快晴。10時間の睡眠も実らず、のどの痛みは続いていて、加えて頭痛、関節痛。もう一日あったはずだが、今夜に空港ホテルまでに行こうというローガンの提案で、突然、波乗り可能な実質上の最終日となってしまった。フライトが朝9時だから、6時のチェックインに向け、通常は朝4時前に発ってサンホセ空港まで向かう。だがこの方法は綱渡りに近いものがあり、それは天候や交通事故の影響で時として空港まで到着できないリスクを回避したい、というのがその理由だ。特にローガンは全米TVネットワークで放映中の『54321』の生出演を控えているから絶対に飛行機は乗りたいんだ、と言う。「最後だから一緒に波乗りしようよ」とローガンが言い、今から1時間後の6時に海に出発と決まった。
重い体で荷作りするのだが、はかどらず、あっという間に約束の時間がやってきた。

小川河口とバックヤードの中間地点がいいブレイクを見せていた。総勢(パンカー除く)でワックスアップしていると、波チェックに通りかかったコスタリカ人2人がやってきた。彼らは写真とビデオを撮って欲しいらしく、俺達を見かけるとセッションに参加してくる。しかも遠慮なしに波を取り合うので、クルーは彼らのことを快く思っていなかった。「がら空きの海なんだから他に行けよ」とパーキンスが言うが、聞こえたのか聞こえていないのか。実はトゥリンに彼らがやって来たこともあり、その時はあまりにも強引なテイクオフやポジショニングに不快が高まり、全員が海から上がってしまったほどだ。【誰もいない海+ガッツキローカル2人=不幸】という公式が成り立ったのだが、彼らはそんなことはおかまいなしにあちらこちらで波を取りあっている。ターンを繰り返すが、チョップホップという幼稚なテクニックが多く、いかにこちらのサーフシーンが成熟していないかがよくわかる。そのうち彼らを見つけたコスタリカンが集まり、あまりの混雑に今日はドミンゴ、日曜日と知り、海はポイントパニックと化していった。ここでコスタリカン・ローカルについて、稚拙だが感じたことを書いてみる。彼らの多くは、この登場した2人と違い、人を憎まず、メローで純粋な人間が多く、人なつっこいが、しつこくはない。どこかの国のローカルと大違いである。そこには豊富な波と、少人数という条件と、国民の根底に「純粋な生活=PURA VIDA」という気持ちがあるのだろう。

第11章 Are You Experienced? 俺の手を握って、どうだ世界を感じるだろ?この世界に行ったことがある?今までそこに入り込んだことはある?入り込むのには何もいらない、本当に美しい.(If you just take hold of my hand. Oh, but are you experienced ? Have you ever been experienced? Not necessarily stoned, but beautiful.)

家に戻る途中に例の雑貨屋風ミニマーケットでヨーグルト、アイス、バナナを買う(1000コロネス)。荷支度をしながらまだ痛い頭で考えると、「この世はバランスによって成り立っている」という識者の言葉を思い出した。なるほど旅前半の煌びやかな光景と、後半に起きたことは良くバランスがとれていると思う。それでも良いことの方が多いなと感じてしまう。まだ何か嫌なことが起きるのだろうか?と心配になる。
昼まで荷作りを進ませ、レンタカーを戻しにハコに行く、1週間のレートで285ドル。合計10万円近くを払う。そして空港とハモサ家への送迎代金が往復で160ドル。それも加算すると、結構な金額となる。昨年空港でジープチェロキーを借り、2週間で480ドルだったので、レンタカーは空港で、ということか。ローガンはいつもこうしてここ(ハコ)で借りているそうで、理由を聞くと空港までの運転が恐いからバンタクシーを雇っているそうだが、俺は空港までならむしろ自分で運転したい。なぜならそういったタクシー運転手の多くが飛ばし屋で、そんなカミカゼ野郎の運転に当たると、後部座席だろうが、シートベルトを2重にしようが、生きている心地はしない。
ランチはウィッシュボンで締めることにした。最後だから違うものを頼みたかったが、結局カサド。「またすぐに来るから!」とお決まりのセリフでレストランの友人達と別れる。オーナー夫妻のカリチェとクリスには割引もしてもらい、何度かごちそうにもなった。ここでそのお礼を述べさせていただく。本当においしく、清潔でフレンドリーないい店だ。

ハコ在住の友人、流離いの寿司職人/ソウルサーファーのルーディさんがお別れに来てくれ、手伝ってもらいながら最終荷作りをしていると階下が騒がしい、見るとパンカーとブラックが喧嘩していた。最初は濡らしたTシャツを投げつける幼稚なものだったが、そのうち本気となり、ブラックがパンカーに飛びついた。それをあびせ倒すパンカー、ブラックが後ろ向きに倒され、「ドフッ!!」と嫌な音がし、ブラックが降参し、勝負はあっという間に決着がついた。ブラックを起きあがらせるパンカーに紳士を感じ、彼を見直す。みんなは階上から「もっとやれ!つまらないぞ」と勝手な野次を送っている。

約束時間の2時半にワゴンが迎えに来た。ありったけの荷物を積み込み、よろよろと山道を降りる。走り始めてすぐにローガンが、「前回乗ったときはスピード狂のひどい運転手だったからチップをあげるのをやめたんだ」と運転手を牽制。アフリカンのドライバーは「うん、オレ大丈夫、ゆっくりの人だ」と言ってみんなを安心させたのも束の間、同業車の追い越しによって、目に火が灯り、カミカゼドライバーへと変転身した。まずは後方衝突スレスレでヒヤリとさせ、その5分後には路肩を歩いていた女性をはね飛ばしそうになり、それからいくつかの『大事故寸止め』を見事に、何度となくやってのけた。車内のみんなは蒼白な顔となり、バーやらドアを固く握りしめている。なぜかローガンだけがジェットコースターに乗るように喜々顔。なぜに純粋な豊かな国で、優しく走れないのか?それが理解できない。そういえばハモサ村でもゆったり走っているとカミカゼが吹き飛ぶように現れ、後ろにピタリと付く。直線車線で追い越させるが、あまり気持ちいいものではない。彼らは目的地につくと、コモエスタス・プラヴィダなどといって、ビールなどを飲み、のんびりしているのに。車社会が成熟していない証拠だろう。命あるままサンホセ・エアポート・ホテルに付き、チェックインを済ませて、お湯のシャワー、TVに興奮する。いくらシャンプーをしても砂が出てくるのには驚いた。

サンホセ市内までタクシーを飛ばしてみんなはカジノへ、俺はダウンタウンの探索に出かけ、古着屋を見て歩いた。高地にあるため、気温が低く肌寒い。危険だぞと言われた夜の首都は思っていたよりきれいで、活気があった。メキシコのようにさっとやってきて、ガムを出して「さあカネよこせ」とせびる子供も、物陰で剃刀のような目をした男も見かけない。市民は陽気に大通り、裏通りを歩いていたのが印象的だった。後で調べてみると、この印象は正しく、ラテン圏でこのコスタリカだけが勤勉で清潔の奇跡なんだそうである。だが、ある裏通りでは観光客は闇に引きずり込まれ、身ぐるみを剥がされ、その裏側を冷ややかに見せることもあるというので、読者諸君は気をつけられたし。(古風な表現だな)

空港ホテルまでタクシーで戻ったのだが、またもやカミカゼに当たり、速度追求型の運ちゃんが(スピードメーターが動かない)自車最高速を有料直線上で披露してくれた。車体は軋み、小刻みに揺れ、いつコントロール不能となってもおかしくない状況は、15分を1時間に感じさせてくれ、コスタリカでの最後のアトラクションを終えた。その後、深夜遅くに戻った彼達はめいめいに200ドル負けた、とか30ドル勝った、と賭け事からの意識を引きずって疲れ果て、一瞬でベッドに這っていった。

早朝 — 「ホテルはまだチェックアウトするな」というローガンの教え通りに — ユナイテッド888便にチェックインすると、俺達の乗るべき機が天候不順(嵐)のため、まだエルサベドーを出発できずにいて、機の手配をしているが、間違いなく3時間は遅延するという。チェックイン後、搭乗カウンターには行かずにホテルまで戻り、朝食を食べ、お茶を飲みながら部屋でのんびりする。話題はあの喧嘩のこととなり、パンカーが勝った、というのは間違いであったことを知る。その真相は倒されたときにブラックがパンカーの首を絞め、パンカーが一瞬で降参したんだそうだ。パンカーが「喧嘩は生きるか死ぬかだ!」と固く言ったことを思いだし、それを教えるとローガンは「あいつ首締められたまま死んだ方がかっこよかったのになー」と笑い転げた。その悪童達、パンカーとブラック、ジャラはまだローガン家に滞在している。ブラックはカリフォルニアには帰りたくなく(警察関係?問題があるらしい)、パンカーはコスタリカに俺の光を見いだしたと言い、ジャラは単に飛行機の空席待ちであった。全員がお金を持たず、車もなく、徒歩でローガン山を降り、ツケでガーソンキャンプ食の世話になるという。彼らを、問題児達を自分の別荘に残したことをローガンはひどく後悔していた。

3時間後に出発カウンターに行くと、長時間待たされている乗客全員が死んだような目で苛立っていた。ローガンは俺のホテル戦法は大正解だろうと喜んでいる。ロスの空港まで彼女が迎えにくるはずのジョンとダニエルは怪訝な顔をして、どうして遅れるのがそんなにうれしいんだ、と少し怒っているようだった。
それぞれにバーガーキングの紙袋を持ち、ハンバーガーを食べている。「ブレックファースト、食べたばかりじゃん」と言うと、これを食べるのが今朝の目的でもあるのだ、とローガンはファーストフード中毒の片鱗を見せ、無理に笑った。行列、焦燥の人々を俺は焦点の合わない目で眺め、昨夜からのカミカゼ事件を思いだした。この遅延とカミカゼで今回の旅の善いこと、悪いことのバランスが取れた気もした。コスタリカの頭文字、Cがつながり、円となり丸く閉じ始めている。

俺達を慌ただしく詰め込んだ機はようやく飛び立ち、積乱雲の上に機体の陰を浮かべている。窓の下を見ながら驚愕、忍耐、昂揚、炎天、雷雨、強風、闇夜、滑降、跳躍、発掘、追跡、抗争、怒濤、虚無、発火、黄昏、広大、静寂、隆起、爆発という鋭く曖昧な記憶をちらりと回想し、しっかりとしまいこんだ。これからはそれらのかけらを小出しにし、時には微かに舐めながらの幸せに生きるのだ、と決意して目を閉じた。
帰国、さらなる旅への出発。安住の地を見つけるまで、俺は旅をいつまでも繰り返すのだろう。その疲労と焦燥、陰りに隠された発光と啓示を求めているのか、それとも新世界への扉を探し当てたいのか….。(了、7/7/03)

 

(蛇足) 51st.Anniversary. 17歳の君。走り回って、楽しく世界を垣間見るだろう。人生は始まったばかりさ。(And now you’re seventeen. Run around hanging out, And uh, having your fun. Life for you has just begun, baby.)

この原稿を書いている間に写真は現像から上がり、それぞれの光を焼き付けていた。カリフォルニアはあいかわらずの霧、小波、喧噪だが、コスタリカを想い胸を痛める、ということはなぜかなく、この弱い太陽の下、冷たく痩せた斜面を楽しく滑っている。あれからひと月が経つのだが、戻ったはずのブラックをスポンサーのロストが探していて、「あいつ帰ってきたか?」と昨日も電話がかかってきた。ローガンは南アフリカWCT撮影に行くため相棒のパーキンスと飛び立った。フロリダのブラッキーはeメールで、もうすぐそっちに行くからな、と書いてきたのだがまだ姿を現していない。ダニエルはヴィージックスのデザイナーに戻り、俺のシグネチャー・カメラバッグ(防水、堅牢、完璧)を製作している。シエィはフィジーで膝を挫傷してしまってコスタリカ入りが遅れ、ホブグッド兄弟もシエィに付き合い、一緒に遅れたのだそうだ。結局シエィは日本のWCTをスキップして、南アフリカ、ジェフリーズに向かった。ジョンは8月にあるUSオープンまではロスにいるから、と言っていたが、空港からの消息は誰もわからなかった。途中で帰った好青年アッシャーは日本のWQSまで行ってきたが負けて、ニューポートに?舞い戻り、エアショウに出場し、クーランガッタに帰っていった。ゴーキンはそのニューポート・エアショウにディフェンディング・チャンピオンとしてやってきて、そのプライドによって予選2ヒートをビッグエアに固執し、全くメイクできずに0点という自身最低点数に怒り、消沈?し、フロリダに帰っていった。このエアショウのジャッジがケーシーだったのは奇遇なのか。ジャラはニューポートのローガン家で居候し、(オーストラリアに)9月に戻ると言っているが「あいつ帰る気ないぜ」と大家のローガンは言っている。俺達が帰国してその後、4日間を過ごしたジャラによると、あのふたりがまた大きな問題を起こしたそうだ。それは、ブラックが雑貨屋マーケットのあの小犬を結局拾い、ローガン家に連れてきた。そのブラック犬にパンカーは眉毛をインクペンで書き、スプレーペイントでボードのステンシル模様を塗り、それに怒ったブラックと大きな喧嘩沙汰となったという。だが、翌朝ジャラは出発したのでその後は不明となっている。ガーソンキャンプからのeメール情報によると、パンカーがブラックから逃げるようにカリブ海側までヒッチハイクで出発して、それからの消息は誰もわからない。彼の両親(裕福)が心配し、俺達に捜索願いが出された。「また行けるかも」という俺のほのかな期待は、パンカー実兄のチャド(俳優)が「あいつ全く平気、来年行けばいいよ。その頃には頭が冷えて、おとなしくなっているでしょ」と言い、パンカーの捜索案は不履行となった。»PART5へ

波

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