AMSTERDAM ウェットスーツ
AMSTERDAM WETSUITS
AMSTERDAM WETSUITS
アムステルダム ウェットスーツ
誕生から20年以上経った今でも機能的でありながら美しく普遍的なデザインが魅力のウェットスーツ。
「機能的であることと同時に美しくあること」「黒いスムーススキンならではの着心地と光沢」を追求し、
カリフォルニアのサーファーたちのアイデアと熟練したクラフトマンにより生まれたブランドです。
アムステルダム・ウェットスーツをNAKISURFで扱えるようになるとは、
隔世の感がある。若い人にわかるように書くと、まるで夢のようだ。
元々は、石田さんがジョエルに
「日本製が世界一だからさ、きみに宇宙一のウェットを作ってあげるよ」
そんなことから始まったと記憶している。
ジョエルとは、
ジョエル・チューダーのことで、
石田道朗(みちあき)さんは、
California General Storeを主宰していた人で、
このアムステルダム・ウェットスーツの創始者だ。
大きな視点で書くと、
サーフボード業界ではカリスマ的存在だ。
それでいて聖人であり、
トーマス・キャンベルの処女作『シードリング』の背中を押し、
ドナルド・タカヤマ・サーフボードを盛り上げた辣腕プロデューサーだ。
はたまた「バリーくん」などと、
バリー・マッギーを呼び、
互いにその神力を通じ合わせてもいた。
『潜り』
ウェットスーツのエジソンである「オニール」も、
老舗ボディグローブもこの範疇で名高いが、
ダナ・ポイントの名誉漁師だとして知られるほど、
石田さんは潜りも得意だった。
果ては見たことのないほどのアワビを捕ってきてくれて、
私にダナ・ポイントの由緒正しきエナジーを注入してくれた。
また実験的な人生を送るアレックス・ノストが来日した際には、
鎌倉極楽寺のハレノバ環境と、
小田のそば(石上)と久昇(南口)の親子丼の、
クラシックかつプログレッシブなコード進行で感銘を与え、
その包容力で生涯のオヤブンだと石田さんを認識させた。
もっと書くと、
日本で唯一最後の、
JT’sダクトテープ・インビテーショナルが湘南鵠沼で開催されることになった。
石田さんの地元でもある。
ダクトテープは、
ジョエル・チューダー(JT)が、
このサーフ(ログ)界で伝えたいことのすべてだった。
ただ、会期が近づくにつれ、
波予想が貧困で、
具体的には、
会期中はフラットからスネという予想だった。
これはサーフイベントであるが、
バンズのイベントなのでスケートボードのイベント、
ライブもあり、
出店も含めてその日にMust Goサインだ。
小波でもログなら乗れるだろうと人は言うが、
スネ波であれば何もおもしろくない。
さらには、
世界から集まったオルタナ・サーファーたちが日本の波に対して、
悪い記憶を抱いてしまう懸念があった。
これは推測だが、
故人となり、
空に浮かんだ石田さんは、天からの天力(てんりき)で、
誰も予測すらできなかった南うねりを出したのだと、
多くの人がいまだに信じている。
冷静に鑑(かんが)みても、
あの時期(11月頭)の湘南、
低気圧もないのに二日間も波があったスペシャルなサーフイベントとなり、
ジョエルを「ミチアキ・ウェーブだ!」とストークさせつつ、
私たちが手を合わせるほどの感動を与えてくれた。
追記だが、
ジョエルは、
人生をかけたダクトテープから離れてしまったので、
この鵠沼のイベントがJTの唯一最後だと書いてみた。
そんな石田さんがプロデュースしたウェットスーツです。
ジョエルから見ると、
これが世界一の天力であり、
トーマス・キャンベル、
アレックスとバリーにしてみると、
我らオヤブンが作った渾身のスーツがここにありました。
NAKI