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naki's blog

【naki’sコラム】vol.29 青き波と、1光年彼方に蒔いた種子

「まだ高校生になったばかりだけど、スゲエサーファーがいるぞ。老成している奴だし、会ってみるか?」

「いや、いいよ」

「ふーん、もったいないことだな。会うだけでも会えばいいのに」

と、ハービー・フレッチャーから彼のことを聞いたのが4年前。

そして「ヘイ、ナキさんよ、サンクレメンテの高校生がオーストラリアのヌーサまで行って、ノーズライダー・コンテストで優勝したのは知っているかい?」

AVISOのニックが彼の名前を出したのが2年前。

「BD3に乗ったすごい子がいたよ。あんな美しいミニボードの動きを始めて見た」

と、これは去年。
こうして俺は彼を知っていった。

なぜか会う機会がなかったが、ある日彼は俺の前に現れた。

澄んだ青い瞳をしていて、こんなやさしそうな男のどこにそんな波乗りの骨組みがあるのだろうか?
「グレイトサーファー=頑強な男」というイメージがまた変わった。

それから俺は、いくつもの旅に出て、幾千もの波を滑っていた。

記憶に刻むような強い波に乗った日、俺はカウアイ島の西側にいた。

電話が着信音を発していた。エリアコード949から始まる番号は以前住んでいたサンクレメンテを含む南オレンジカウンティを示している。

「ハイ!ワタシのナマエはクリスチャンです。この番号をニックから聞きました。おじゃまじゃなかったらいいんだけど」と日本語を交えての第一声。

「大丈夫だよ、ちょうど良い波に乗ったところさ」

「よかった。5月の終わりに日本に行くけど、その頃はどうしているんだい」

「偶然だ、俺も全く同時期に行っているぞ」

「ヒュー、すごいな!その時にどこかにショートリップに行かないか?」

「考えておくよ」

そして、この時はお互いの都合がつかず、トリップは不履行となった。

それからおよそ一年が過ぎようとしていた。
クリスチャンは「ノルウエイ旅に行くからBD3を貸してクダサイ」と工場サンプルを持って旅立っていった。
そして旅先では彼の接続があるときには、「HI」という挨拶で始まるスカイプチャットがやってきて、その後はメールにていくつもの画像が届いた。
これではまるで愛する二人のようだが、そのくらい彼は日本で俺とどこかに行きたかったのかもしれない。

何回かのチャット。「なんだか、ナキと一緒にいるとすごいことがおきる気がしているんだ」

というので、「俺も同じさ」と返した。

結果、「奄美大島以南か東北、つまり梅雨前線を避けて波探しに行こう」となった。
横浜で開催されるグリーンルーム・フェスティバルの前週、俺はドッキーというシェイパーの友人を連れて奄美大島にいた。
クリスチャンから電話があり、「Hey,ニージマはいい波ですか?」といきなり想定外の行き先が現れた。

新島。
あそこは何年か地形を深くしていたが、今年は地形が戻ってきたとも聞いたので、新島も悪くないな、とあの青く、透明な波、そして石の村とゆったりした時間を回想していた。
宿の料理、揺れた記憶の船旅、強大なる波、そんな遠くにあった記憶が、奄美の新月星夜に重っていった。

閑話。
「波乗りで人格形成はできない」ということを仲の良い友人と話したことがある。
武道をやっていたときに、厳しい鍛錬があり、その根っこには『人格形成』という大きな名目があった。
「各人が規律を守り、人の模範になるように日々の鍛錬怠ることなかれ」という題目の下で、心技体の稽古を繰り返していた。
俺から見る先輩たちは、武道、すなわち格闘技を好んでいるほどなので、血の気が多い人がたくさんいた。すばらしき人格と、そうでない人の混合率はおよそ九分一分だったのだろうか。
波乗りを始め、26回目の四季を通過してから腰を置き、そのことを考えてみると、「模範的人格のグレイトサーファー」というのは武道者と同じく、九一の混合率だろうか。
カリフォルニアに住んでいたときは、あるプロサーファーと一緒に旅をしていたが、サーファーズジャーナル主宰のスティーブ・ペズマンに「Youはなぜこんな奴と付き合っているのだ?ドラッグと暴力は容認するのか?」と真顔で質問されて、そんなことは寝耳に水だったので答えに困ったことがある。
先日もサーファー誌の特集で、サンタクルズのフリーが「彼はいかにドラッグと暴力に手を染めていたか」という記事を掲載していたが、彼はグッドサーファーであったが、暴力とドラッグで自分を落としてしまったことは事実だろう。

「ドラッグは遠くにありて、近きもの」
とは誰が言ったかは知らぬが、サーファーにみならず、他スポーツ選手や芸能人までも蝕んでいる。
昔はその道の事情通とか、クスリ方面に強いコネクションを持った人がいないと手に入らないモノだったが、最近ではどこにでもあって、誰にでもドラッグを手にするチャンスはあると思う。さらにドラッグ関連の書籍を読むと、酒もたばこも間違いなくドラッグであるという。
なるほど、「酒」というのは常習化するな、と己の弱気心を反省しながらも、その上に位置するドラッグは悪に身を落とした人はもちろん、善人たちのすぐそばに迫ってきていることがわかる。

とにかくも国、またはその場所、環境、混雑状況によってその「善人悪人混合率」は変化していくのだろうけど、ご存じのように群を抜いた善人もサーファーには多く、公私をよく知るドノヴァン・フランケンレイターは、愛を歌うにふさわしい人柄だ。
彼にはその悪人混合率はなく、その達観した意識を刷り出したかのようなマニューバーが魅力だ。
彼が良く使う言葉に「STAY FREE」というのがある。
意訳すると、「自由でいようぜ」となるが、この自由という単語には、ざっと思いつくだけで、

という意味が秘められていると信じているが、
さらに骨となる「強さ」という言葉も「自由」に含まれていると感じ始めてきた。
「夢を全うする強さ」
「宝を得る強さ」
とくっつけてみると、どの言葉、単語にも良くなじむ。
少し話は逸れたが、これは人間がそのスタイルを突出させているのなら、それと同じくらい善人、または悪人度が高いという典型なのだろうか。

ドノヴァンは、「サーフィングが俺を育くんだんだよ。色んな海のコンディションを多く愛せるために心が強くなったのさ」と言い、これは自然相手のサーフィングが人格形成に多く役立った典型的なサーファーだろう。

俺はというと、その波乗りで人格形成はできないと頭の端ではしながらも、波乗りの伝える愛と教える勇気を取り入れれば人格は飛躍的に良くなると信じている。
「人格こそが世をつなぎ、人生の推進力になる」とはドノヴァンから学んだことでもある。

俺は仲の良い友人と波乗り話をすることが趣味で、いつもそれらの話は詳細に渡り、精緻を求めながらも、時々軌道が外れたようにあいまいになる。
それは波乗りが持つ「酔う成分」が効力を発揮するようで、ついには話しながら酔いすぎてしまい、ふらふらになってしまうようだ。波の形については手の形を交えながら「こうだ」とか、「いやこうだった」となるのだが、「いかにその波が尊厳的だったのか」という証拠は、これらの話や言葉だけを長時間聞く、または読んでもその本物の持つ温度や迫力に近づくことができない、ということを知っていての戯れであることも承知している。
しかし、俺たちはそれらのストーリーに浮き上がる空想の波を想い、触れ、さらには乗りながらこころを熱くし、「輝く斜面」や「一本の感動」と、にわかコピーライターとなり、つまりは新しい波や通り過ぎてきた波をいつも思い浮かべてきた。
波に触れていないときはこころで波を感じていたい、というのはいつの時代からも続いている。

さて、話は戻るのだが、このカリフォルニアが生んだ奇跡の少年、そして悪人率ゼロの善人でいて、ニュートラルなサーファー、クリスチャン・ワックとはどんな人間なのだろうか?
今知っていることは、「ブログ執筆を愛す青年」、「10フィートのログからボディボードまで極限的に乗れるサーファー」、「人を大事にするやさしいハートの持ち主」ということだろうか。

そんな彼と横浜グリーンルームで再会した。
不思議なもので、この日からはどこに行っても彼を見かけることとなった。

そして、翌月曜日に千葉で試乗会があり、そこにも自分のBD3とハービー、CJノーズライダーを「乗りたい人がいるはずだから」と笑顔で持ってきた。

次に会ったのは、深夜の南青山「ル バロン ド・パリ」。
『ピカレスク』というサーフムービーの試写会場だった。

そこでテキーラベースのカクテル『ピンクキャデラック』を飲んでいると、彼がやってきて「明後日のコンテストに出るから見に来てクダサイ」と言うので、酔いの中で返事をした。

それをすっかり忘れていた当日、千葉に向かっていると、「クオーターファイナルまで勝ち上がりました。ヒートがもうすぐ始まります」と息を弾ませた電話があり、彼は俺がそばにいると思っている内容だった。

「これは何かの縁なんだろうな」と会場に向かうと、彼がヒートにパドルアウトし、準決勝進出を果たした。

星さんに「太東岬の歴史」というお話をそのコンペティションヒートを見下ろすドライブインで伺っていると、クリスチャンがさらに勝ち上がり、決勝進出を果たしたことを知った。

決勝の相手はボンガ・パーキンス。ボンガのものすごいパフォーマンスサーフィング対クリスチャンの優雅なクラシカルグライドの戦いは、はっきり言って異種格闘技を見ているようだ。例えるのなら柔術対ヨガだろうか。

クリスチャンの決勝ヒートのサーフィングは歓んでいるようだった。

さて、話はなんにも始まっていないが、彼と翌日の竹芝桟橋で待ち合わせた。カリフォルニアの若い子なら、前日準優勝していれば、仲間たちでパーティがあるだろうから「早朝の約束時間には現れない」という確率が多くあったが、彼は約束の6時には笑顔で船着き場に先着していた。

ジェットフォイル船のために「ロングボードは持って行けない」とチケット購入時に知った。すると、その準優勝ノーズライダーは見送ってくれたユウタに渡してさらりとあきらめたクリスチャン。板きれであるアライヤと、ブラックダイヤモンド3というミニボードだけを持って、「ハンバーガーは新島で売っているかなぁ?」と話題は次に移っている。

さて、目的地の新島へは昔では考えられないほどーーあっという間に着くようだ。しかも揺れない。時代は変わる、技術革新だ、と絶賛しながらその「横になって寝てはいけないスパルタン規則の客席」とシニカルな感想を持ちながら大島港、そして利島港を客席窓から見送った。

やがて新島着岸となったが、クリスチャンは生まれてはじめて、俺にとっては17年ぶりのディストネーションとなる。

ノスタルジックな気持ちのまま港に降り立つと、そこには17年前があった、というよりあの時代をそのまま閉じこめていた。タイムマシンで過去に戻ってきたように街を抜けて、昔のままで営業している牛乳煎餅屋の前を抜け、抗火石を積み上げた細い道を曲がった。例外的にある新しい店を除けば、何もかもが昔のままだった。

その時代に戻った気となり、夢がたっぷりあった年令の自分を思い出していた。

「俺はいまだにその夢を持ち続けているのか?」と民宿の部屋で自問し、若かれし頃のスピリットを手繰る。これは長い時間をときほどくようで、加齢してきてはじめて知る感覚だということに気づく。

車で羽伏浦に行くと、こちらも同様に昔のままで、美しい波がブレイクしていた。

無人で、透明なターコイズブルーの波、流紋岩抗火石の白砂。まるでフィジー、トトヤ島の無人ビーチのようだ。クリスチャンと俺は目を見合わせて、「YES!!」と手を合わせ、「ここは日本なんだよね」という言葉を聞きながら、俺が初めてここに来たときに感じたことを思いだしていた。

それぞれのボードにフィンをつけたり、ウエットスーツを裏返したりと、これからの悦楽に向けての支度にかかる。

「クリスチャンはグッドサーファー」と前出したが、その特徴のひとつに「達観している」ということがある。次に「勝手にやってくれている」とあって、クリスチャンもまたその法則に違(たが)うことなく、ボードにフィンを付ける、ワックスを塗る、ウエットを着る、というあたりまえのことをきちんとこなしていた。コンテストで勝ったからといってグッドサーファーではないのですね。

さて、ゲッティングアウトしようと浜に降りたら誰かが沖にいた。しかも女の子のようだ。こんなに掘れる波に一人でとはすごいな、と言いながらクリスチャンとパドルアウトを始める。

ヒンヤリとした蒼き波にダックダイブすると、水底で大粒の砂が動いている「ジジー」という音が聞こえた。海面に出て、白泡をかきわけながらパドルしていく。ふくよかな自然にかこまれた青き海、そして強い波。

沖にいた子は、その笑った顔と仕草がキラキラと海面のように輝く、水の精のような美しい少女と形容すればいいのだろうか。彼女は14歳にも見え、または22歳にも映った。

「カワイイーです」と熱くなるクリスチャンの気持ちを感じながら「こんにちはー!」と挨拶すると、新島の幸せを圧縮して放出したかのような笑顔を返してくれた。

その子は次の波で上がってしまい、砂浜を歩いていた。ハイヌーン(正午頃)のはっきりとした境を見せた水平線があって、左横、つまり淡井側を見ると、濃緑の斜面がさまざまな新緑青葉をたずさえてその大自然をむき出しにしていた。火葬場の煙突、浜の崖。この上には、夏になれば海の家が建ち並ぶのだなあ、と少し広くなった砂浜、大きなジャッジスタンド、モヤイ、そしてシークレットに視線を移していくと、またブルーの海が視界を満たす。

透明な波を滑る歓びは、サーファーであることの達成であるのだろうか。海表面、つまり海面の数千、いや数億の起伏が目に入ってくる。起伏の全てに小さな斜面と、それぞれのピークがあり、それらは全て何かに導かれるようにゆっくりと海原を移動していた。膨大な数の起伏を見ていると、人の人生もこのようで、100年をひとつの単位にするのなら現れては消え、また現れては消えるという無常なるものなのだ、と哲学的になる自分を抑えられなかった。

跳躍するように波に入ったクリスチャンの髪が舞い、その腕はまるで羽根のようだった。彼がしたたかに鍛えてきたその滑りが飛翔していき、その美しいダンスを見ていると、突然何かの啓示がやってきた。

波に乗ることは瞬間的な快感のほとばしりに見えるのだが、その行為を記憶に刷り込むことによって永続的悦楽となる。剣一閃のようなギラリとした斜面を捕らえて、奔放なる切り返しを自発的(spontaneous)に行い、大滝を飛び降りるかのような傾斜のテイクオフを成功させ、自らを讃えたことなどをより多く刻みこむと、それからの日々が灯をともしたように明るくなる。さらに言うと、さまざまな場所に行き、「THE DAY」の波に乗るということは「神話の種子をこころにまく」ということで、その記憶は永年自らを支え救うこととなる。そんな海からの教えを「功徳」と感じ、または豊饒の瞬間を繋げていったのかは定かではないが、セッションは宗教的な深みのある時間へと昇華していた。

本村に戻り、なつかしの道を走り、洋品店の前に車を停め、これまたなつかしい路地を歩いていくと、「かじやベーカリー」があった。味の記憶というのは不思議なもので、そのパンの独特の風味、舌触りの詳細まで覚えていたことにひとり驚く。すると、あの頃の風景が蘇ってきた。花火の煙が酒屋の灯りに揺らめいていたこと、民宿にあった扇風機が首を振るときにゴトリと発する音、公衆電話に10円玉が落ちていく連続音、風呂場のひんやりとしたタイルの質感などが次々と現れては消えていった。

いつも泊まっていた民宿は廃業したというけど、「あのおじさんとおばさんは健在だろうか?」と思って訪ねると、おじさんは亡くなっていた。おばさんは老人ホームに行っていて、まもなく帰ってくるけど、「あなたのことはきっとわからないでしょうね、痴呆症になっちゃったのよ」と、すっかり老け込んでしまった娘さんが言う。

「いいです。また来ます。お元気でとお伝えください」と、その民宿を後にすると、なんとも言えない寂寥感が重くのしかかってきた。そして俺は年を重ねるという意味を知った。

少し早い民宿での夕食タイムとなったが、彼の友人たちからは「クリスチャンはハンバーガーに入っている野菜でさえも食べられない」とか、「ハンバーガーとピザだけ」とアメリカジャンク食限定ヤングマンと聞いていたが、ここでは刺身にお新香、肉じゃがに冷や奴、さらには味噌汁にご飯を何杯もぺろり食べて、「おいしい、ジャパニーズフード大好きデスsweet!」と幸せそうな笑顔を見せた。クリスチャンは保温ジャーに入っていた白米を全て軽く平らげ、そのまま公民館前の「マルマン商店」に行き、とんかつとパック入りの大盛りご飯を購入し、さらに満腹にした。

この食欲には驚かされるが、「彼はまだ19歳なんだよね」と友人が言う。

クリスチャンと俺は、美しい波と、太平洋に浮かぶ島で、夢のような時間を過ごした。
新島波の形容をしてみたくなった。
瞬間、壮大、清浄、明、電撃、強弱、甘、辛、奇、薄厚、傾斜、珍、夢、魔、精、輝、核、深、爽、念、無、躍、鮮、充、長、頂とあって、さらには燦爛、美、贅、光彩、金、蒼、濃淡、赤、青、紫、黄色、緑、明暗という単語が浮かんできた。どう書こうか?と考えていると、「波を語ることなかれ」とメントゥアー(導師)からの教えを思いだした。波の質と形、そして色をこんな貧弱な言葉群で語ることなく、「語らないで乗れ」と導師はおっしゃっていたのだろうか?

または「撮って語るな」と言っていたのかは定かではない。

「波で人生の濁りを飛散させることができる」
そんな一条の光を感じたく、俺たちは波に乗っているのだろうか。

結局クリスチャンとあの少女は、あらゆる場所での出会いがあった。それに運命を感じたのか、彼女に惹かれるように彼はこの青い海に浮かびあがった一本の道を見つけたようだ。薄く、どこまでも薄い茶色の瞳、やわらかい髪の感触をすばらしい波に重ねているクリスチャン。彼らの溶けてしまいそうな気持ちをしたためて、そらを色づかせながら陽は落ち、星の時間がやってくる。

昔見た映画のセリフに桃源郷を見つけた主人公が「車を売れ、家も売れ、金だけここに送ってこい!」とあったが、クリスチャンのそれからはまさしくそのままだった。もしあなたがクリスチャンを見たとしたら、それは新島から抜け出してきた亡霊で、本物の彼は今もあの青く広い海で、奇跡の彼女と一緒に最高の波を滑っているのだろう。

(追記)

すばらしい旅を終え、「感じてきたことを伝えたい」と意識が膨張しはじめた。それが収縮しないうちに書き、この悦ばしき時間をカメラで焼き付けた。文体がどうだとか、絞り、画角やピントがどうのとかというより、俺たちの存在を記(しる)したくなったのだ。今回は自身もクリスチャンと一緒に波を分かち合いたい、という理由で写心家(mind-grapher)のU-SKEに来てもらった。彼が撮った作品を見ていると、まるで天女が俺たちの周りを羽ばたいていたかのようだ。もしかしたらその天女とはあの子だったのか、はたまた新島の精霊だったのかは今となっては見分けがつかないが、そんな神々しいものに守られていたのは俺たちとしては大きな意味がある日々だったのだろう。
題名にある1光年とは、光の速度(秒速約30万km)で1年かかる距離で10兆kmとされている。そんな広大な距離を「俺たちはひょいと飛び越えられた」と自惚れてしまったような旅で、それをタイトルとして残してみた。クリスチャンの10代最後の日本旅、俺の43歳の慰めの日々が終わり、「意思あるところ道あり」という言葉をもって、この旅を締めてみた。■

(了、2009_08_23) 8035W
初出誌blue

Captions:

サーフィンの楽しみは波に乗ること、海を感じること、夢を見ること。
では波乗り旅の醍醐味とはなんだろうか?それは私たちが失ってしまった風景と潮風を体の中に連れてきて、波に恋して、朝、正午、夕の斜面に輝く光をこころに焼き付けて、それに酔うことだろうか。とすると、それは生涯輝きわたる酩酊の種子となるだろうね (リード、150W)

家族、愛車、自分のベッド。全てが遠く離れている。壮大な海と小さな人間が織りなす素朴なエピソード。波の澄度を見つけようぜ(3P、小見出し60W)

青いそらに白い雲、そして緑の大地と青い波。そこでゆったりと人生を濾過していき、俺たちは深遠を知った。一本の波ごとにこころの濁りが消えていく日々。旅の終わりに見る雲の白さは、魂の清浄度を表しているようだ。左上から自転車で行く羽伏浦、大海に浮かぶ湯の浜露天温泉、右下は新島に到着したクリスチャン@着岸港(4Pキャプション150W)

馥郁(ふくいく)たる波斜面が円くなるときには、無数の光の反射がやってくる。蒼や青、そして白色が閃く「滑走」という名の官能(5P、見出し、60W)

クリスチャンからのメールが届いた。
「日本のどこかに浮かぶ美しい島。そして最高の波と幸せな人たち。ローカルのみんなが私に波を喜んで分けてくれました。こんなすばらしい場所が地球上にあることを幸せに思います。サーファーである喜びを再確認させてくれた宇宙的な日々をありがとう。ボクの夢はまだ続いています」
(6P、スピンオフ差し込み原稿、150W)

クリスチャンの走りを見ていると、「優雅で華麗」という言葉が口からこぼれ出てくる。新島を舞台とした彼の軌跡のきらめきは見た人の胸に鮮明に焼き付いている。俺はその滑りで波の芯を教えてもらい、そして波が語り始めるような幻想を見た。右:和室とおにぎりを愛したクリスチャン。愛しいあの子を見ながら熱きターンを(6P、キャプション150W)

「遠き島 碧い海 波に乗って 光に酔えば 夢にまで見た 甘い世界」
人生はすべからくこうありたいと、俺はまた旅立ちの日を迎えるのだろう
(7P、見出し、60W)

(了、20090813)

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