ジャック・ケルアック(Jack Kerouac 1922-1969)の
「BELIEF & TECHNIQUE FOR MODERN PROSE 現代文章の技術と信条」
という言葉群に出会った。
その中に、
Write in recollection and amazement for yourself
(驚きと記憶を持ち、自分のために書け)
とある。
先日とおるからのアタッチメントで、ベン・ハーパー(Ben Harper 以下ベンちゃん)が彼にとっての神様であるフィル・ジャクソン(NBAレイカーズ監督)に初めて会った時の感想を語っているTV番組を見た。
「君は誰のだめに音楽をやっているのかね?」と監督。
「はい?」ベンちゃん
「音楽はファンのために演じているのか、それとも…」監督
「それは自分のために作り、演じています」ベンちゃん
「良かった。それなら君はずっと音楽を続けていられるだろうね」監督
こんなやりとりがあって、俺は誰のために写真を撮っているのかを自問してみた。
無論答えは「己のため」である。
今朝も深夜からごそごそと水中ハウジングのカメラを組み、ウエットと足ヒレを車の後ろに入れて、北西のイナリーズまでハイウエイ50号線を走らせた。
感謝祭の朝は車もほとんど走ってなく、夜明け前の空が白みはじめる前に到着した。
貿易風を背中に受けて、目を凝らして沖を見ていると、やがて北からと西北西の混合うねりだということがわかった。
見渡す限り誰もいない世界。
ショアブレイクで小魚が跳ね、弱い波紋を作った。
カメラを持ち、足ヒレをつけ、ゆっくりとゆっくりと海に浸り、泡と砂の塊であるショアブレイクを越えた。
少し大きな波が来たので波の下に潜ると、「ジャワー」といつもの海の音がした。
毎日のように聞いているのに懐かしくなる音だ。
海からの誘いなのだろう。
沖に出て薄暗い海面に漂いながら、暗蒼な空の色を見ていた。
隆起するうねりが通り過ぎていくと、重力が変わるのか、心地よい浮遊感覚が起きる。
ずいぶん経って大きなうねりが来た。
闇を開くように壁は炸裂し、一瞬その宇宙的な内側を見せ、崩れ通り過ぎていった。
それは誰にも触れられていない無垢な波のクライマックスだった。
選ばれた真の波。
そこからのメッセージを知ることはできなかったが、暗闇の閃光のように俺の瞼に焼き付いた。
どの波とも違って、深く強く印象的だった。
オフィスに戻ってきて、ファイルをアップロードしRAW現像すると、その閃光が柔らかく焼き付いていた。
海の魂を分けてもらったような気がする。
(了、2006/11/24)