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naki's blog

【naki’sコラム】vol.56 ミニロングのテツガク滑走は、天に行きついたのか

ひさしぶりに見た壮烈な夜明け。
マハラプー岬の後ろに暖色を散らしながら、それはやがて淡く、薄くなっていった。

帰り路。
こちら側--つまりハイヤットの向こう--には舗装道路というものはない。

今朝もスイレン。

開いたばかりの花びらを厳かに撮ってみました。

この『ハーベスト』を聞いたとき、俺はメンタワイのボートトリップ中の夜で、エアコンに凍える(共同部屋なので)小さなベッドの上にいた。
今ノースハワイで聞いてみると、そのときと同じように“決意に胸ふるわせる自分”が現れたのだ。
I listened to “Harvest” when I was at a Menta-wai boat trip in a tiny bed on a cold night in the A/C and I now listen to it again in North Hawaii.
It still brings shivers down my spine. It always gets me determined.

南側の波は、あいかわらず小さいので、ビーチハウスにCANVASミニノーズライダーを浮かべた。
クリスチャン・ワック自身のブランドだが、お堅い、いやクラッシックなる紹介文体にするとこんな感じだろうか。
クリスちゃんを敬う、ということが背景になくてはいけません。
「クリスちゃん宮さま加州御成、北布哇の御大典、豪州での大演行幸にわたりまして、若き熟練の鍛冶屋ライアン・イングル(湯隆)がCANVAS社謹製波乗板を献上。
以来毎年、各地の将軍をはじめ、各家の皆様に御嘉納頂いております」

https://www.nakisurf.com/brand/canvas.html#parachute

これは6’12″であるのだが、5’0″やビーターちゃん(4’6″)を普段のサーフボードサイズとしている俺にとっては、これを「ロングボード」だと感じている。

いつだったかロングボード誌の編集長が言った。
「フナキさん、9’0″の長さがないと、ロングとは言わないのですよ」
「誰が決めたのですか?」
「うーん、そういうことみたいです」
「でもぼくはコンテストに出るわけではないので、自分の中で大きいボードをロングという区分けではいけないのでしょうか?」
「うーん。その通りですよね」
「もっと曖昧でもいい気がします」
「そもそもロング、ショート、という区分を付けること自体ナンセンスなのかもしれませんね」
「そう思います。“もっと自由に”ですよね」

そんなやりとりをパドルアウトのときに思い出していた。

ビーチハウスの最終セクションは深くなるのだけど、それまでの速度と、この浮力をもってすれば、分厚いうねりと一緒に「終点」まで進んでいくことができる。

--小さい波に意識を合わせただけだが、
ロングに乗って感じたのは、サーフ・ヒューマニストになった気がしたこと。
博愛、平等、人権、尊重、平和、無抵抗主義。
そんな言葉を乗りながら浮かべていた。
俺が上がると、誰もいない海に戻った。
空っぽの海。
週末なのにそれはある意味で不思議ではあります。
この波サイズだと布哇(ハワイ)のサーファーたちは食指を動かさないのか、それとも闘牛岬が混んでいるのかのいずれであろう。

Mini Noserider 6’12″(7’0″,213.36cm)。
これだけのボードボリューム(体積)があると、今まで乗れなかったささやかなうねりまでも捉えることができ、その浮遊感覚の虜になっていく自分がいた。
意志を持って海面を進み、そして波を滑走していく。
俺はまた決意に胸ふるわせながら生きている。
遙か遠くで乗った波、
その夜に聴いた音楽が生涯のメッセージを与えてくれて、
何千夜も経ち、それは同じように波の内側にしたためられていた。
波乗りって、すばらしい。

山側は雨が降ったようで、道路が濡れていた。
それはいつものように極地的なものだったのだろう。
その証拠にビーチ側はずっと快晴だったのだから。
「快晴のこころでありたい」
そんなことを感じた夏の日。
2011年の今日はまた去っていく。

滑板波来欲到天
辞郷見月幾回円
蓮花流水窅然去
別有天地非人間
サーフボードを波に走らせて天に行きつかんばかり
故郷を出てから幾度も満月になった
蓮の花も水もどこまでも流れていく
ここは世間がない別天地なのだ

 

漢詩で波乗りの気持ちを書いてみた。
この詩に書いたように波乗りの魅力は、
「世間から遠く離れる」
ということにあると思う。
自分と世間をつないでいるのはリーシュコードですらない。
ずっと浮いていてもいいし、どこまでもパドルしていくこともできる。
それが深い魅力になっているのは間違いはない。
切り立った波壁にきらめく光粒や、陶酔した滑走というのは、その次にある歓びだと思えるがいかがだろうか。

小波が続いて、ミニロングにばかり乗っている。
やさしく浮いて、ぐいっと進む。
5’11″だろうが、6’12″という数字が意味を持たないのも気に入っている。
全ては「小さいの」とか、または「大きいの」という言葉で事足りるのだ。
写真を見ていて気づいたが、俺はどうしてノーズに乗るのだろうか?

まさかメディアにだまされているわけではないので、一度目を瞑って考えてみると、
「(波への)違う展開を求めている」
と明言できた。
そして、この道の豪傑にこのことを聞いたことがあったのを思い出した。

ハービー・フレッチャーは「スリル論」を右の眉毛を持ち上げながら説き、
若きノーズライド王者クリスちゃんは、「体感速度感覚」、そして「セクションメイクのための美しく、激しい方法」だと言い切った。

波乗りにはさまざまな種類の乗り方が存在していて、それはノーズ主義、テイル主義からはじまり、無関心主義、中立主義、共産、社会等々さまざまに渡る。
感じたのは、ボードを変えると思想が拡がる、ということ。

 

下の写真はクイオ・ヤングで、この日が、
「生まれてはじめてロングに乗った日」
という記念日でした。

ミニロングの利点は、こうしてロングに乗ったことがない少年もを滑走職人として仕立て上げられることだと思う。
大きすぎず、小さすぎず、という中庸なことなのだろう。
または初心者にも滑走の歓びを教えられることだろうか。

このボードにひさしぶりに乗ったノアは、毎日ミニロングに乗っているかのように熟練なるクルーズを見せた。

クイオとノア。
おそろいのトランクスで、一緒に波に乗って育っていくのですね。

ショートでは滑ってくることができない厚いセクションの延長インサイド。
ミニロングだとパドルも早く、その一漕ぎ一漕ぎが反映される楽しい洋上移動が待っているので、どこまで行ってもそれはそれでまた楽しい。

ノーズに乗って、楽しくて仕方がないノア。
波の上を滑っているだけで楽しい時代のようです。

クイオの古典的な乗り方。
「浮力あるボードの滑走」
を知った日の満面の笑みをカメラは捉えたのだった。(川口浩探検シリーズ風に)

グニャリフィンを使用して、テイルに乗るのも楽しい。
ターンが弧を描き、ボード速度が頂点に達した瞬間にフィンが抜けたようになる。
それはほんの一瞬のことなので、実際にはスプレイ音の変化と、過ぎ去った挙動を感じるだけなのだが、そんなことも楽しさのエッセンスとなり、セッションは和洋中幕の内弁当のように多味が詰め込まれていく。

ノアのナチュラルグライド。
中央に乗らなくてもまっすぐ滑るのですね。

そんなミニロングセッションが終わり、写真を撮ってくれたカイラが波に乗り、大団円でひとつの景色が閉じていく。

明日は南うねりブイが2ft@20秒と大きく動くはずなので、ひさしぶりのホワイトハウスとなるのだろうか。
ミニロングさえあれば、波はこのまま小さくてもいい。

 

(了、2011.07.11)

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