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【naki’sコラム】vol.35 波乗道、『渦動と孤海』のコクウゾウグモンジホウ

『真上にはためく虚空をひたすら垂直に眺めあげたい衝動に駆られて、「私」は紗帽山に登ることにした。
麓にある倶楽部で食事をしながら、経営者の中年婦人に山のことについて聞いたら、ヘビが多くて誰も登ったことはないという。』

これは埴谷雄高著(1960年刊)の『虚空』内にある文だ。
そして、それはこう続いていく。

『その日の夜、ジャングルのなかで苦しんでいる友人に手紙をしたため、翌朝、紗帽山に向かった。
半時間後に頂上へ到達し、虚空が目の前に広がっている。
静謐(せいひつ)な蒼穹(そうきゅう)から目線を下のほうに移すと、「私」は思わず飛び起きた。
台地の向こう側から黄褐色にそまった旋風が凄まじい速度で迫ってきた。
近付くにつれ、竜巻は色が変わり形も変わった。
「私」の間近に来たときは、透明なガラスの柱になっている。
この巨大な柱の動きを目の当たりにして、「私」はただ息を殺して眺めるしかなかった。
やがて閃光をはなっている白熱光の渦が通過し、次の瞬間、「私」は旋風の外に投げ出された。
すべては数秒で終わり、紗帽山の頂上はもとの静けさにもどった。』

これは波体験とよく似ているなと、その渦の通過を波の通過に重ねるように読んでいった。

「虚空」
という言葉は読んだこともあるし、知ってはいたけど、自身ではほとんど使用しない単語であった。
せっかくなので調べてみようと、検索してみると、「虚空蔵菩薩」というのを発見した。

「虚空蔵菩薩」とは、
「宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」
という意味で、無限にして無辺、福徳と智慧とを蔵するといった益をもたらす菩薩として信仰されている。
その真髄を極めるには修法があって、
「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)は、
一定の作法に則って真言を百日間かけて百万遍唱えるというもの。
これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。
室戸岬で修行した空海が、この虚空蔵求聞持法を、
「口中に明星が飛び込む神秘体験をもって完遂された」
と伝えられている。

で、俺たちサーファーの修法は何だろうか?
と問いてみると、それは「波を感じること」が修練ではないのか。
もっと広域で考えると、「海に触れること」。
波乗道だ。
「波を百万遍感じる」
または、
「海に百万遍触れる」
ということでそれを考えてみると、そろそろ口に明星が飛び込んできてもいい頃だと自惚れる。
実際の口には、砂か水しか飛び込まず、己の無能さと無力さを知ることとなるのだが、波乗道にはそれ以上の悦楽があるので、そんな険しい修練とは感じていないのも良きところだ。

「虚空」から「修行」まで深く考えてしまったのはなぜだろうか?
と自問するが、いつものように答えは見つからない。
春らしく、思考を風に飛ばして、もう一度海に目をやると、ちょうど美しい波が崩れるところだった。
「閃光をはなっている渦、その渦中がどこにあるのか?」
そんなことを知っているサーファーは、それだけでも幸せなんだと思う。

俺の楽しく、美しく、そして苦しい修練はまだ続いています。
「その苦節は、厳冬の冷波には道着(ウエット)を被て精進の道をし、
夏の大波には呼吸を断絶して朝暮に懺悔すること二十六の年に及べり」

こんな時代でもしっかりと、自然の教えに沿って修行できるのが、波乗りだと再確認する。

『波乗道』
やっぱりいいなあ。

さて、昨夜は『津波を無事に生き残った会』が長老家で催されました。
フレちゃんはあまりのうれしさに禁酒歴20年というのを「一杯だけ」解除されたほどだった。
フレちゃんはご自身の「波乗道のために禁酒している」というもので、これも見習わないとなあと、いつも波乗話をありがたく拝聴しているのですよ。
奥さんのキムと2ショット。

津波をリアルタイムで当事者として知り、人間の無力さを再確認して、日々生きていること、生かされていることを知った春のはじまりであります。

(津波については下記リンクを参照)
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/10954

 

(2010/3/1)

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