フィッシュの歴史を振り返ると、
1972年にデビッド・ヌイーヴァが、
この短身で大きな二つのフィンのパフォーマンスを開花させた。
ご存じの方には釈迦に説法だろうが、
50年前のサーフ・ヒーローであり、
サイケデリックな天才と呼べばいいのか、
ジョン・ペックから続くカリフォルニアのサーフ鬼才である。
よってこのサーフボードは、
つまり1972年からやってきたタイムスリップ・スーベニアだと理解されたい。
1967年、
まだロングボードしか存在しなかった時代に、
サンディエゴ(ポイント・ロマ)のニーボーダー(スティーブ・リズ)が、
ロングボードをぶったぎって
「サンディエゴ・フィッシュ」をクリエイトした。
瞬く間に「とても優れた」波乗りイクイップメントだとされ、
リズがハングアウトしていたサンセット・クリフスで流行し、
*USオープン1971ではデビッド・ヌイーヴァに気づかれた。
(*当時の世界チャンピオンを制定する競技:the United States Surfing Championships)
そのままそのフィッシュを持ってハワイに戻り、
ロッキー・ポイントでサーフしているフィルムがいまも残る。
グラスファイバーが普及し、
各メーカーは普及と販売に日夜研鑽していた。
よって、
その(サンディエゴ・フィッシュ)は、
ヌイーヴァ・チームをして「私たちのデザインだ」と言い張り、
論議をわきおこし、
その後は疑問視されて、
王朝時代を築こうとするヌイーヴァ・ブランドを曇らせたという。
このサンディエゴ・フィッシュというのは、
それほどまでに
「究極の」、
そして「至高の」デザインだったことを物語っている。
サンディエゴ・フィッシュは短く重い。
よって、センター・コントロールとなる。
重い理由はブランクスとボラン・クロス、
グラッシングによって重くなるが、
重くなるほど速くなり、そして安定する。
耐久性もより高い。
短身は、
抵抗が少なく、
斜面が切り立つと高速滑走になる。
「体勢を低くし、足をそろえて、波の上を走ろう」
タイラー・ウォーレンにフィッシュを乗るための指南を受けたときの言葉がこれだ。
サンディエゴ・フィッシュは分厚い。
分厚いサーフボードは、
大きなボリューム(体積)が取れる。
大きなボリュームのサーフボードは、
かんたんにパドリングが進み、
積極的に波の中にボードを落とすことができる。
当時はシェイパーの腕の見せどころだったというビーク・ノーズ(イーグル・ノーズとも)は、
この高浮力のはじまりを意味している。
ふたつの頂点を持つ「スワロウ・テイル」は、
レイルの切り替えが容易で、
ターン時にはどちらかが波面に食い込んでピン・テイルの役割をし、
マニューバー・ラインを制定してくれる。
ダウン・レイルと、
スライトVEEエントリー〜ダブルtoスパイラルVEEボトムが発生させる加速感は、
いまもヌイーヴァ気分となるスピーディなものだ。
50年前、
当時のフリークは、
フィッシュに乗りつつ、
自身のサーフ魂のドギモを抜いていたと推測される。
私のドギモ抜かれ体験のナンバーワンは、
「サンディエゴ・フィッシュ」に乗ったトム・カレンだった。
カレンは、
ジェフリーズ・ベイの波で、
それまで歴史という納屋(ガレージ)の片隅に置かれていたサーフボードをメイン・ドア、
ひとつのカテゴリーまで昇華させたのだ。
そのボードはスキップ・フライのものだったので、
スキップはいまも超多忙だ。
*あのサーフィンは、今でも異次元系のコスモス・レベルというクラシック。
(*1990年代のリップ・カール映画『The Seach』収録)
真実のサーフィンに深い憧憬や焦燥(笑)、
または希望を持つ人のデイリー・イクイップメントを、
コスモス・サーフボードは提唱し、ここに制作実行いたします。
私たちは持てるすべてを詰めこんで、
50年間をも乗り続けられるサーフボードを作ります。
(グラスは通常巻き・耐久性巻き・超耐久性巻きなど様々ご用意しております)
コスモス・サーフボード主宰NAKI