『都会は、本当に星が見えないね。
だいたい明るすぎるんだよ。
明るけりゃいいってもんじゃない。
ライトアップされた何とかブリッジを見ながら、
「夜景がキレイだね」なんて、
おネェちゃんを口説いてる奴がいるけど、
どこがキレイなんだ。
そういうのは始末におえないね。
夜景ってのは、
本当は星空がキレイじゃなきゃいけないんだろ。
ハッキリ言って、
あんな照明、ただの無駄だね。
おいらがガキの頃なんか、
この東京でさえかなり星が見えた。
要するに、電気がもったいないから、
夜更かしする奴がいなかっただけなんだけど。
ちょうどその頃、スバル360っていう車があってね、
そのマークが星の並んだものだったわけ。
そしたら本物のスバルを近所のおじさんが望遠鏡で見せてくれたの、
あの星を見てみろ、スバルのマークと同じだろうってね。
おいらは、スバルって意味はそういうことだったのか、
なんてえらく感動したわけだよ。
おいらの家は貧乏で、
天体望遠鏡なんて買ってもらえるわけなかったし、
一言、欲しいって言ったら、どうせ父ちゃんに殴られる。
これじゃあ、天文少年になんかなれるわけないよな。
気づいたら芸人だよ。
ところが「今」、この歳になって、
また星の観察を始めようとしたら、
いつの間にか星がなくなってるじゃないか。
見えるのは月と飛行機と高層ビルの光だけで、
肝心の星は数えるほどしか見えない。』
ーーービートたけし
たけしさんは、
今は東京から離れた別荘で、
“星しか見えない夜景”を楽しんでいるといいます。
『そういう星空を見る機会のないまま、
都会で生まれ育った若い奴は、
いかに気の毒かってことだよ。
人間の寿命の範囲でしか物事を考えられないもの。
諸行無常だなんてことを100年やそこらで意識するのは大間違いだね。
星空を見てると、つくづくそう思うよ』
諸行無常とは、
仏教の用語であり、
「この世に存在するすべてのものは、
同じ状態を保つことなく移り変わってゆき、
永久不変のものなどない」
という意味です。
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では、
その仏教に目を向けると、
『死後の世界があるかどうか?
そんな分からないことを考えるのは無駄な時間であり、
今をどう生きるかということが私にとって重要なことです』
ーーーダライ・ラマ
チベット仏教の最高位であるダライ・ラマ氏は、
仏教でよく語られる死後の世界への質問に、
「今」を考えるほうがはるかに重要と語っています。
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サーフィンに目を向けますと、
死が隣り合わせにある究極のビッグウェイバー、
レイアード・ハミルトンはこう語ります。
『恐怖心がぼくを成長させる。
恐怖は自分を強くしてくれる大切な味方なんだ。
前に踏み出すことを止まらせるのか、
それとも何かに挑戦する燃料となるか。
それは結局のところ自分次第さ。
恐怖心をコントロールするか、
恐怖心にコントロールされるかで、
結果的には大きな違いが生まれる
サーフィンを通して学んできたのは、
恐怖心を自分の味方につける術だったのさ』
世界屈指のビッグウェイブサーファー、
レイアードは大きな波に乗れば乗るほど、
人間には抵抗できない力を目の当たりにして、
気付くのは「自分のちっぽけさ」だと言います。
『波に対する恐怖心があるからこそ、
海への畏敬の念が生まれる。
それは今を謙虚に生きることに繋がる』
ということを語っています。
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サーファーにとっては、
「今」ということはとても重要なファクターですね。
たとえば、
日の出わずかな時間に、
すばらしい波がブレイクしていても、
急にオンショアが吹きはじめて、
うつくしい波は影も形も無くなってしまう。
そんなことは誰もが経験することだと思います。
うねりの到達に喜んでも、
翌日も期待した波は、
風で抑えられて一気にサイズダウンなんてことも。
その「今このとき」を大切にすることで、
得られるものは大きく違ってきます。
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抗いがたいものに、
対抗して生きるのではなく、
今そのものを柔軟に受け止めて、
新たなる流れに沿って進むことの重要さを、
サーフィンは教えてくれます。
そして賢人たちの言葉を借りれば、
『日々変化しつづける中で、
“今を生きる”という考え方が、
人生を豊かなものにしてくれる』
ということなのでしょう。
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新月の夜に砂浜に立ち、
真っ暗な海を見ていると、
それは引き込まれそうな恐ろしさと、
宇宙的な無限さを湛えています。
それが本来の自然の姿なのかもしれません。
その一方で、
すべてがひかり輝く姿も本当の自然です。
「太陽、海、風、波、砂・・・」
そのすべてを感じられるサーフィンに、
ぼくらは恋い焦がれて生きています。
うつくしき夏の波に向けて、
季節でさえ、たえず動いているのですね。
今にまっすぐ向きあって、
純粋な波乗りライフを送りたいですね!!
(じゅん)
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