新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

NAKISURF創業5周年のご挨拶と感謝を!!_(3385文字、中編です)

おはようございます。

本日はみなさまにごあいさつがございます。

弊社は2005年12月25日にUPSIDE DOWN INC.業務内での

『NAKISURFコム』

を開始して、ちょうど満5年の記念日となりました。

https://www.nakisurf.com/blog/staff/archives/13193

ありがとうございます!

2005.12.25

この日にNakisurfがインターネット上に誕生しました。

当時はお店もなく、

もちろん倉庫というものもなく、

カリフォルニアのアパートの一室と、

志を持った仲間たちだけがいました。

“サーフィングの持つパワーと、

その楽しみから得た魂を全面に押し出して、

本物のサーフボードや用品を販売してみよう”

そんな漠然とした理由でのスタートでした。

ある人は言いました。

「無理無理、できるわけがないよ」

またある人は、

「サーフボードをインターネットで買う人がいるわけがない」

「そんなの信用ならない」

当時はそのような向かい風の状況ではありましたが、

同志と共に真のサーフィングだけを見据えて、

サーフボード製造業、

サーファーたちとの人脈作りに勤しんできました。

これが当時のアパート兼事務所兼、住居の場所。

ハンティントンから内陸側に入ったウエストミンスターという街。

405フリーウエイ沿いのアパートの一室でした。

ちなみにNAKISURF以前は、

サンクレメンテ市にあるエルカミノ通り沿い、

その昔伝説の”アーチズ・ガレージ”があった店舗の隣でした。

そしてオフィスはアーバイン市にある

4ベッドルーム、

2カーガレージの家となり、

現在ではまたサンクレメンテ市に戻り、

オフィス街に事務所兼お店、

倉庫を構えられるようになりました。

当時のトップページとその番号。

色々と模索していましたが、

スタイルは今と変わらないことがわかります。

NAKISURFコムウェブデザイン担当の森田は、

オーストラリアからすべてのサイトデザインを、

創業当時から担当してくれています。

当時からのシェイパーであるコールも初来日を果たし、

俺の懸念は1500kgの巨体が飛行機に収まるのか?

ということだったが、

そんな冗談を繰り返していたら

「1500kgもう言うな!」

と怒ったので、

みんなで大笑いしたのも今となっては懐かしいエピソードです。

人柄とシェイプの両立。

ハンドシェイプのバランスにこだわって、

レイルやロッカーからボトムを決め、

最後にはフィン位置を自在に動かしている現代の名匠。

上の写真はイナリーズでのJJ6’2″ 。

当時はなぜか、

「大波には大きいボード」

というのが常識でした。

それをバットフィッシュ5’4″から短いボード、

いやミニボードへの提案が始まりました。

この五年間でミニボード、

(写真は5’0″のBD3)に移行を完了したようです。


日本が世界に誇る千葉公平さんは、

フォーカラットという旗艦をひっさげて参加してくださった。

さらには景気づけにイナリーズまでやってきて、

この波を当てるという幸運セッションもありました。

そして豪傑、英雄、個性派、怪物、異風、編集者、

主人公、非エリート、たたき上げ、ドドゲ、店長、

放浪者、まじめ、宇宙人、外人、美人、じゃじゃ馬、

詩人、俳人、ミュージシャン、写真家、老人、

型破り、独特異彩人たちがNAKISURFに集いはじめました。

『NAKISURFはサーフィング界での梁山泊』

と噂されているのはそのせいなんですね。

アパートを引き払い、

現在ではカリフォルニア州サンクレメンテ市にオフィス兼倉庫+ストアと、

東京原宿にオープンしたショールーム、

そして千葉九十九里にアジトと、

さらには倉庫兼事務所+店舗を築きました。

ショールームスタッフには、

川本、大西、金子(亮太)、児玉(ヤス)たちがいて、

深谷は渡米してスタッフとして参加してくれ、

それからカリフォルニア在住の三枝、篠沢、

そしてメキシコからは佐藤、

さらにメディアを担当する谷沢も加わり、

現在のNAKISURFファミリーが揃いました。

ショートボードのチームライダーでは、

おそらく世界最高齢(67歳)の長老フレディもここにいらっしゃいます。

彼は今日も5’0″のボードでノースハワイの凄波を攻めています。

そして、

日本が誇るソウルサーファーの真木勇人さん。

NAKISURFでは彼の元で浪滑隊を組織しました。

別名”浪滑白跳”の異名を取る浪滑総隊長。

彼の伝説的なソウルライドは、

ノアたちの次世代まで受け継がれ、

それが終結することはないだろう。

「シェー!」

さらには、

GA(グライド・アテンダント)として、

コロンタンこと池田潤ちゃんもライダーとして加わってくれて、

自由でスムースで、

カジュアルなスタイルの波乗りを体現してくれています。

それから少し月日が経ち、

ドッキーことジェフ・ドク・ラウシュ主宰の

『Surf Prescription』

もNAKISURFに入寨(にゅうさい)してきました。

頭領は世界ソウルサーフィング18年連続チャンピオンの

ドノヴァン・フランケンレイターです。

ドノヴァンはサーファーとして天才的なセンスを有しており、

NAKISURFのソウル面におけるリーダーを務める。

英傑としての風格とカリスマ性を漂わせ、

海に、ときにはステージ上に身を置くことを好んでいる。

NAKISURFの読者独占で、

『彼と一緒にステージに立って曲を奏でる』

という伝説的なオーディションが一昨日終了しました。

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/17706

このステージからの景色を見られるのは誰なのだろうか?

発表をお待ちくださいね。

さらには、

『ノーズライディング世界チャンピオンX4』

というクリスちゃんこと、

クリスチャン・ワックも自身の唯一の旗艦である

“CANVAS”

をひっさげてやってきました。

現在ミニ・ノーズライダーブームが起きているんですよ。

このブログのレギュラーメンバーで、

最年少のノアとニコリンしていますね。

この噂のバターゾーンが新作です。

創業当時の2005年は、

一流書家、

麗翠先生にもロゴを書いていただきました。

そういえば、

開業当時にエンジンをかけてくれたメンバーたちで、

『NAKISURF結成記念』

としてバリに行くと、

まさかまさかのこんな波に当たり、


「幸先が良い」

その言葉をお守りのように胸に秘め、

私たちは大海荒波のビジネスシーンに漕ぎ出して、

いわば大きな波も、ジャンクな波も、

もちろん小さい日も波に仕事に向かい続けました。

NAKISURFスタッフたちの勤務は

「いつでも早足長駆で懸命に」

なのです。

「ぜひ」

というのが創業当時のスローガンで、

現在は、

『ニコリンサーフ』(HappySURFING)

となりました。

ここにも進化を感じてしまいますね。

休みなき1826日。

『石の上にも三年、風雪五年』

とありますが、

おかげさまでようやくこの日を迎えることができました。

これもひとえに、

お客さまをはじめ、家族や友人たち、

ソウルライダー、

ニコリストたちからのたゆまないご支援、

ご指導によるものと深く感謝しております。

今後も

「魂のニコリンサーフ」

をモットーに、

サーフカルチャーの創造と、

サーフ業界の発展に関わるストアとして、

スタッフ&ファミリー、同志一同、

みなさまのご期待に添えますように進み、

多くの方からの笑顔を賜ることができますように努めていきます。

五年といいますと、

このノアのときの5歳児と同様で、

ようやくこうしてボードをひとりで持ち、

ショアブレイクを越えるべく、

水平線を見据えている状態でもあります。

懸命に真剣にがんばりますので、

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

THANK YOU & ALOHA!!

ほんとうに、

ほんとうにありがとうございます。

2010.12.25

NAKISURF主宰

船木三秀