
自由へと導く真理
サーフボードにおいてフィンは、
かなり重要な役割をしていて、
脊椎動物における中枢神経と書いても遠くないだろう。
ボードから外せるリムーバブル・フィン全盛だが、
グラスオン・フィンしかなかった時代もあった。
歴史で言うと、太古からシングルフィンはあり、
1950年後半にTV番組
『ギジェット』(映画化もされた)
によってサーフィンブームが到来し、
初心者たちのために安定度が高いDフィンが登場した。
それからマリブ・チップ、
ジョージ・グリーノウのVeloフレックスが現れたのは、
各サーフボード・メーカーがフィンによって独自モデルを制定したからだろう。
ツイン・フィンはデュアル・フィンと呼ばれていた。
1940年初頭には、ボブ・シモンズが、
このデュアル・フィンをボードに装着したことは、
歴史やサーフボード好きならば知っているだろう。
(トム・ブレイク版も1943年に確認されている)

ちなみに1947年にマリブのジョー・クイグがトライフィンを世に出したが、
あまり人気がなかったという。
なぜならシングルフィンは、
前述のマーケティングかつ機能観点において、
デューイ・ウェバーはカーブ・フィン(ハチェット)を推し、
ビングはカッタウェイと派生させて、
ボトム・コントゥアーとコンビネーションでモデル化させて商業的に成功していたので、
多忙な制作側からすると、
設置が面倒なトラインフィンは普及しなかったようだ。

1960年後半にデュアル・フィンはツイン・フィンとなった。
サンディエゴのスティーブ・リズがフィッシュにツイン・フィンを装着し、
カルト玄人に知られつつ、
いまでも続く輝きを見せた。
1970年となると、
オックスナードのキャンベル・ブラザーズによるボンザーが出現し、
1980年にはオーストラリアのサイモン・アンダーソンが
いまも正確なトライフィンの位置を出現させ、
実際に彼はこのボードに乗る一流選手として隆盛を極めた。
フィンはこれらの試行錯誤があり、
その部族や宗派で代表を立てるなどして、
落ち着いてきた感があるが、
シングルフィン一族は純血を守る一方で、
マルチフィン族は侵略と衰退を繰り返している。
私はボンザーやサンディエゴ・フィッシュが隆盛だった
1970年ごろのサーフボードが好きなのは、
ファッションやカルチャーの輝きが礎にあるのだろう。
長いあいだサーフィンをやっていくと、
前述したフィン部族の派生のようにスタイルや思想の枠や筋があるようで、
俯瞰すると、
私は学校生活と同様に
飄々(ひょうひょう)としつつサーフィンを楽しんでいる。
違う書きかたをすると、
こだわらずに自分流に波に乗る派だとわかってきた。

1970年代の寓話「かもめのジョナサン」を突然思い出し、
主人公のジョナサン・リビングストーンと自分が重なると気づいた。
読み返してみると、
このパラグラフですべてが止まった。
“The only true law is that which leads to freedom.”
「唯一の真の法(dharma、真理)とは、自由へと導くものである」
作者はリチャード・バック。
いまから50年以上も前にイリノイ州のアメリカ人が禅思想を持っていて、
宗教的な探究をしていたのだ。
私は、
台風からのうねりをチェックするために崖の上にいて、
朝焼け色の波が砕けるのを見ていた。
これまでの波乗りの記憶にある炸裂と明滅や、
燦爛や豊穣を思いひろげていた。
一羽のトンビが左の岬から飛んできて、
目の前で帆翔(はんしょう、ソアリング)した。
それは、
理想的なサーフ・マニューバーを私に教えてくれているようにも映った。
(了、10/15/2025)

【あとがき】
千葉からおよそ880km南下すると、
まだ真夏の景色だった。
ちょうど台風22号からのうねりが入ってきた。
猛烈な台風だったので、
大きな波を出し続け、
鎮静したと思ったらほぼ同じコースで23号がやってきた。
結果、
9日間サーフし続けた。
いわばこの夏の集大成のような日々だった。
肉体的な辛さがあり、食と休みを考え、
より良い波に乗るために潮位と風、
そしてうねりの向きを読んでいた。
すると、
本文にあるように飛ぶ鳥のように
「無心でソアリングするように」
サーフすることとなり、
記念すべきサーフトリップとなった。
Happy Surfing!!
