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naki's blog

イスラエル・プレシアド_ミニノーズライダー_ドン・エスコンディード大地_船とロバというふたつの岬波_デサユーノで_(1626文字、短編です)

メキシコ。

現地の発音だと、メヒコとなる。

そろそろ馴染んできたようで、

写真も撮りやすくなってきた。

最初は怖いイメージがあったが、

人々はやさしく、陽気で、

幸せ度がかなり高まってきている。

物価もお安く、

ちなみに四大卒の初任給が10万円だということで、

逆に言うと、

一ヶ月10万円あれば優雅に生きていけるのだと知った。

先日、サユリータでサーフしていたら、

美しいフォームのサーファーを見かけた。

彼も俺のダララン・ニコリンサーフが気になるようで、

沖でサーフボード談義から親交が始まった。

Graceful(優雅な、上品な)な波乗り。

サユリータで育ち、

ロングボードの貴公子。

「あの立ち振る舞いはメキシカンとは思えませんね」

とメキシコ大地に言わせたほどの

品があるサーファーなのであります。

その彼と一緒に『ロバ』や

『船』という名前の岬に行き、同じ斜面を共有した。

キャンバスに興味があるようで、

「ミニノーズライダーに乗りたいのです。ポルファボール」

と丁寧に聞かれたので、

「ドーゾドーゾ、ポルファボール(プリーズ)」

とふたつ返事をし、

交代でサーフすることとなった。

上の写真は『船』という岬波のレフト側。

ローワーズみたいに手前側に寄ってくる波で、

サーフ用語だと『ベンド』という形で、

それは良い波だった。

けれど、沖のピークに一つ、

インサイドに五カ所ほど水深15cm程度で岩が沈んでいて、

それが危険なので人が少ないと知ったのは、

セッション後半だった。

こちらはロバのライトで、

ウニがびっしり海底に付いているので、

ボードを流すと、最上級の拷問となる。

そんなことを知らなかった俺はノーリーシュでグライド。

水温もまだ低く、

気合いでウエットスーツを着ていないが、

7月の茨城か福島というほどの冷たさで、

体を動かしているならいいが、

パドルを止めてしまうと、

歯の根が合わないほど震えてしまう。

海水温は波情報の発表だと、

21度と例によって嘘だったが、

実際にはせいぜい18度程度だろう。

とにかく冷たく、そして寒い。

イスラエルによると、

「ボクの知っている限り、イチバン寒い2月デス」

ということで、

やはりこれが異常気象なのだと知った。

イスラエルが、

「キャンバス(ミニノーズライダー)に乗りたいです」

と言うので、

大喜びでお貸しすると、

それは見事に乗りこなしていた。

ニコリンが伝染した瞬間。

波乗りっていいなあ。

新しい人と知り合い、また世界が拡がりました。

ボードを替えると、気持ちも変わります。

帰り路はかなり歩くんですよ。

サンダルだけではなく、

靴を持ってくればよかった。

外気は暑いので、波乗り後は、

なにかのシゴキなのかと錯覚するほど歩く。

コールはメキシコでも有名で、

イスラエルは、

キャノンボール(仮名)に乗りたそうだったが。

70kgの彼には浮力が合わないだろうと断念した。

メキシコ大地は、

『ドン・エスコンディード大地』

(Don Escondido Daich=裏番長大地)

に改名しようかと思案中。

なぜならば、

ウエットを人に洗わせたり、

威厳があるところと

色々なことがドン(番長)みたいなんです。(笑)

イスラエルの友だちが生まれたての子犬を見つけた。

こうしてみんなで大事に育てている。

早く大きくなりますように。

地元の人が行く、

『デサユーノ』に行った。

(Desayuno=朝ご飯屋さん)

イスラエルが注文したのは「レングア」。

訳すと牛タン定食だそうだ。

ここではライスに豆、牛タンにサルサの4点盛り。

おいしそうでした。

メニューのセレクションがあまりない俺は、

またもやタコスで、

今日は牛肉と、フィッシュふたつで攻めました。

ドン・エスコンディード大地もたっぷりと食べて、

すてきな時間です。

地元のサーファーの子に

NAKISURFステッカーを進呈したら大喜びでした。

こういうのがうれしいのです。

The 十字架、

つまりラ・クルス街に戻ってきた頃には、

黄昏後の時間となっていた。

さあ、今夜はどこでどんなタコスを食べようか?