3日前にここで、
『近代フィンの歴史1』というのをポストしました。
それはボブ・シモンズのデュアルフィンが登場したところまで、
1945年、65年前まで時をさかのぼったのです。
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/58233
(その続きです)
1957 San Clememente U.S. Highway 101 (El Camino Real)
正面からやってくるグレー茶色のトラックは、
ブライアン・ベントも乗っている1950年代のステュードベーカー製で、
さらに1954 Chryslerと、1951 Chevrolet、1953 Fordが見えます。
もうこの年にグレイハウンドの大陸横断バスが走っていることに驚いた。
ハンバーガーが一個15セントの時代です。
さて、この頃のサーフィング世界。
1955年になって、
南カリフォルニアのサウスベイにデール・ベルジーが現れて、
彼はフィンの内側をくり抜くように削りだしたドルフィン・ドーサルフィンと、
デュアルフィンを等分アングルで設置したバタフライフィン(下写真)
という独創的なフィンセッティングを登場させた。
このフィンによって回転性が良くなり、
サーファーがキックアウト(プルアウト)ができるようになったのが59年前。
Canvas “44” 10’1″ Christian Wach
しかしこのフィンセッティングは全く普及しないで消え去っていった。
ボードはまだ木製で、
ちょうどこの頃から軽量バルサ製ボードが出回り始めたようです。
当時の値段は150ドルから200ドル。
米国年俸平均が4130ドルなので、月給平均が344ドル。
なので、お給料の半分からそれ以上の値段だったようです。
ただ当時のボードはご存じのようにほぼ木片だったので、
シェイプというより材料費と手間代だったと思えます。
みなさんはこの時代のボードに乗ったことはありますか?
かなりやっかいな代物です。(笑)
そう考えると、この時代のフィンはかなり重要なので、
そこに着目したデール・ベルジーはやはりさすがなのであります。
日本は昭和30年。
サザエさんの新聞連載6年目突入、
映画が100円、米10kgが845円時代のことであります。
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/53241
1960年になって、
故ホビー・アルターが、
ダナポイントでポリエスター(ポリエチレン)製のボードの生産と販売をはじめた。
なんとこれは現在も使用されているものとほぼ同様な素材であります。
このときほぼハーフムーンフィンも同様にレジン製となってボードに装着された。
そして値段は、なんと65ドルというお値打ち価格。
それまでの1/3〜半分という値段です。
この格安、そして軽量ボードによってアメリカにサーフィンブームが起こったともされている。
このポリエスター製のボードは売れ続け、
60年代の中頃までに6500本のボードを製作販売したという恐るべき記録がある。
そのときホビー社長はまだ22歳のことでありました。
翌年、
奇才サーファーとして、
コアサーファーに支持され続けるジョージ・グリーノウがここで登場します。
彼は細く長いフレックスフィンをツナテイルというこれまた薄いボードテイルに装着したが、
商業的にも一般的にも普及せずに、
今日(こんにち)53年後にそのことを知り、
あまりのすごさにただただ感嘆してしまった。
1965年、私が生まれた年に前出のホビーが脱着式のフィンを開発した。
それはデッキ側からスクリューでマウントする方式で、
今ではそれを見ることがない。
翌年デューイ・ウイーバーがハチェットフィンを想像し、
1970年になってサンディエゴのビル・ベーンが現在のボックスフィンを開発して、
シングルフィンのシステムはここで完成を迎える。
現在もそのグリーノウからインスパイアされたフレックスフィンと、
ビル・ベーンのボックスシステムを重用するタイラー・ウオーレン。
彼もまたフィンとサーフボードは同体だとしていて、
それはまたとても重要なことだ、という認識のひとりです。
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2014年現在も、それらフィンは最新鋭のボードに装着されている。
50年後の2064年はどんなサーフボードとフィンなのだろうか?
(3に続きます)
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