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naki's blog

【特大号】33年間の想いを抱く夢波と、仲間(先輩)たち_(3474文字)

私は正式には湘南鎌倉でサーフィングを始めた。

昭和57年(1982)のことでありました。

そのときはまだ湘南モノレール道路が有料だったり、

小動岬にテトラポッドが入ってはおらず、

江ノ電が交差する交換所の前に波のある日も、ない日にも行って、

サーフしたり、泳いだり、パドリングの練習をしていた。

サーフィンをというより、”サーフィン”に出会い、

自身の全てが波乗り一色となった。

日中はもちろん、夢も波乗り、読む本も波乗り、そんな生活だった。

それから半年後、

当時ブルーワーサーフボードは長沼サーフボードであり、

そのシェイパーである下重さんに

「お前、サーフィン好きか、サーフボード貸してやるよ。一度工場に来い」

そう声をかけられて、

業界内のそういう貸し出し

(当時はテストライダーと言った)システムを知らなかった私は、

原付バイク(ヤマハ・サリアン)で手広の交差点を抜け、

恐る恐る寺分にある長沼サーフボードの工場に向かった。

ーー本当に信じられなかったがーー

貸していただいたのは、

182cmのトライフィンと、

185cmのクアッドフィンだった。

特にクアッドフィンというのは、

ちょうど発明というか、そのフィンセッティングが開発された頃で、

そのオンフィン

(シングルフィン以外はFCSなどはなく、全てオンフィンだった)

がそびえ立ったピカピカのサーフボードの美しさに

めまいがするほどクラクラしたのを今でも覚えている。

「これを貸すから波乗りを今よりもたくさんしなさい」(下重さん)

「はい」

「壊れたら自分で修理すること」

「はい」

「コンテストがあるときは呼ぶから一緒に来ること」

「はい」

「2本持っていて、他のボードに乗りたくなったら俺に言いなさい。

新しいシェイプをして、それからいらなくなった1本と交換するから」

「はい」

そんな会話の後、工場長の和田さんやエアブラシアートの奇才下田さん、

岡田さん、オガマさん、抱井さん、長沼さんたちに紹介され、

私の本気サーフィンライフは、

責任みたいなのを感じてさらに没頭していくものになった。

じつは波乗りを始めて1月後に

ドドゲの三浦さんが同じように声をかけてくださり、

パステルスティックのアトムさん、

ローカルタウンの関本さん、

ホットバタードの沼田さんたちを紹介してくださったのだが、

ここではページ数割愛のためその詳細は省きます。

そんな頃、台風波がやってきた。

いつも入っている交換所前の波が大きくなってきて、

何時間後には見渡す限り誰もいなくなった。

ずっとずっとーー1時間以上もパドル&ダックダイブしても沖には出て行けなくなった。

何度トライしてももみくちゃになるだけ。

自分の無力さに打ちひしがれて砂浜で呆然としていると、

下重さんのスポーツカーが上に停まり、

「良い波のところがあるから連れていってやる」

そうして到着したのが、

逗子岬の沖にあるリーフ、しかもポイントブレイクだった。

(現在のサーファーズ岬波)

滑る岩をよじ登り、滑り降りながら岬の先を目指し、

到着すると鳥居が先にあり、

本でしか見たことなかったチューブのすばらしい波がライト方向に口を開いていた。

「お前は新米だから、インサイドでセンパイたちを見学しつつ、乗れる波が来たら乗りなさい」

「はい」

パドルアウトしてその波に近づくと、信じられないような波壁が一直線に拡がり、

それがダンパーにはならず奧から順に波先は飛び出し、

丸まってこちら側に規則的にやってくるものだった。

うねりの動く速さ、泡の重さ、音、

サーファーたちの高速マニューバーにひどく感動して、

全身の震えが止まらなかった。

今思うと、干潮一杯の南西うねりで、

サイズはオーバーヘッドからダブル以下ぐらい。

超が付くほどパーフェクトで、

横山泰介さん、岡本さん、沼田さん、善家さん、

川南活さん、大野薫さん、平野太郎さん、

平野杉さん、前出の下重さん、阿部さん、岸さん、

淳太さんたちが和気あいあいと順番に波に乗ってチューブに入っていった。

それからもずっと私はこの波を想い、

台風はもちろん、低気圧で波が出そうだと聞くと、

夜中から行って、

夜明け1時間前の暗い岩場を縫ってパドルアウトを続けた。

ここは混雑するので、私と同じ時間に入る超早朝好みの人たちもいて、

それで知り合ったのがキンちゃんこと曽根さん。

そうこうしている内に私はアメリカに移住することとなり、

この波は過去のものになり、

初めてこの波に乗ってから33年の月日が経っていた。

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一昨日の夜に、

「明日は南東うねりだけどあそこが良さそう」

そんな予感がして、

夜明けの豪雨の中、そのセンチメンタルなパーフェクト岬波に向かうと、

まんまと台風9号からの波があって、しかも空いていた。

用意の良いことにソニックブームをしっかりと持っていたので、

感傷に浸りながらパドルアウトすると、

淳太さんがいて、泰介さんも岡本さんもやってきて、

それは楽しいサーフセッションとなった。

あまりの波の良さに、

「今日はずっとサーフしよう」と決め、

結局上がったのがお昼前。

5時間半もサーフしてしまった。

背中の筋肉がパンパンである。

湘南Tサイトの村山さんとお会いする約束があったので、

ただちに向かったのだが、鎌高前の大渋滞に巻き込まれ、

大仏前ルートに変更するも、こちらもあじさい祭で大渋滞。

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仕方がないので片瀬山でパン食べ放題のランチとし、

それからまたサーファーズに戻った。

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この逗子にあるSurfersは、

海の上に突き出す岬の上に建てられたオドロキ海の家。

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ナルちゃんこと成瀬さんという方が主宰で、

私がサーフィンをはじめた頃にそれはお世話になった方であります。

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文筆家の岸さんと成瀬さん(右)

波を見ると、やたらと空いていて、たまにくるセットが朝よりも良く、

岸さんによると、

キンちゃんもアトムさんも、沼田さんも入っているという。

ちょっと一緒に何本か乗ろうとウエットに着替え、

パドルアウトしたのだが、

あまりの波の良さにサーフし続けてしまい、

結局夕方まで入ってしまった。

午前と午後の時間を足すと、9時間半もサーフした計算となる。

パドルアウト時間を差し引いても9時間もサーフしていて、

もうすぐ50歳になるのに5’4″のミニボードでユラユラロングパドルしてのこの体力は、

やはり記憶の奧にあった10代や20代の私を連れ戻してくれたからだろうか。

そんなことを感じていると、また雨が降ってきて、

なんとなくだが、梅雨の最後の雨な気がして、

Surfersのおいしい豚バラカレーとグリル野菜サラダをたっぷりと頬張ったら、

これも18歳の時に始めて食べた珊瑚礁のカレーと同じ味がした。

「すごい!珊瑚のカレーだ」

と目を瞠ると、

当時珊瑚礁で働いていた”サンゴ”というニックネームの

ナチくんが横に立っていたのでありました。

33年という時がつながった日と、

「まだまだサーフできる」という確信を得た大事な日。

(終わり)

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日没頃、ナルちゃんと。

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最初見たときはまだ子どもだった横山泰介さんのご長男タイくん。

なんともう26歳になったそうで、

移ろう時の早さにみんな目を丸くしていた。

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岸さんと。

岬波はSurfersから見てこの位置にあります。

夢のようなすごいロケーションであります。

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鎌倉逗子には大雨警報が発令された日。

雨サーフ慣れました。

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夕方雨が上がった。

Surfersになんと元ビーチボーイズのドラマーが来ていた。

アメリカ人にとってもこのロケーションはオドロキだと言っていた。

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ナルちゃんのご自慢シングルフィンを拝見します。

しかも川南活さんの渾身シェイプ。

岬波仲間は永遠ですね。

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これがその絶品昭和60年頃に食べていたのと同じ味の珊瑚礁風カレーby Surfers。

32年前の記憶を呼び起こした味でした。

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9時間サーフの相棒ソニックブーム。

千葉から持ってきて良かった。

「ワイプアウトは、チューブから出たときにリップに弾かれた1本だけ」

そんなスープリームなセッションを記憶に刻んだ。

そして昨日多くの人と岬波でお会いしました。

世界中どこをさがしてもあれだけ品のあるセッションができるところはないと思う。

あれだけ混雑しているのに一度も「ヘイ!」とか、

そういうことを聞かない品のあるサーフィング。

また横山泰介さんと一緒にピークを分かち合い、

そのすばらしさを再確認しました。

深い記憶の溝から湧き出てきたこの気持ち、

ここでみなさんと共有できたら幸いです。

Have a wonderful surfing life!

ありがとうございました。

Happy Suring!!