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naki's blog

【特大号】レイルロックの方法_星さんの1980年代の伝説話_(3267文字)

台風ノル(5号)からのうねりは続いていて、

昨日から風が北向きになった。

よって、気温は下がり、

突然寒くなったと思ったら雨が降ってきた。

まるで秋になったようで、

土用の丑の日の翌日から季節が変わったことを知った。

「丑の日から暑くなったら残暑」

そんなことをいつか聞いたことを思い出していた。

さて、一宮ジェフリーズ。

読者から

「ライトはジェフリーズでいいと思うが、レフトの呼び方に違和感を感じる」

というご意見があり、

なるほど、

それならばレフトは既存の

『エックス北』に戻そうと考えていた午前4時。

なぜならこのレフトはインサイドでエックスから流れてきたライトと合流する。

いわゆるクロスオーバーというセクションであります。

少し前ならば、この時間になると外が白んでいたが、

本日は曇天ー小雨ということもあり、まだ真っ暗。

ということでも季節が進んだことを知るのでありました。

そのエックス北、

ノースエックスの地形が決まっていて、

かなりパーフェクト波となっている。

思えば、土曜日くらいからこの地形の兆候があり、

突然というわけでもないが、

土曜日はサーファーが数百人(大げさかな)いたが、

誰も気づかなかったので、

やはり沖波だけではなく、

ショアブレイクから逆流のごとく波を見ていくのは重要だと痛感した日です。

UNK-S 7′ Minimal Fin Set-up

.

ほぼフィンレスで、

そのパーフェクトなる斜面を滑っていく愉楽。

こうしてレイルセットができたら、

ノーズに乗ろうが、

どこに乗ろうが安定することがわかった。

秘訣は後ろ足を波側のレイルに置いて、

そこでレイルセット、

つまり斜面とレイルをジッパーのようにロックさせてしまえばいい。

もっと言うと、これこそがバレルライドの極意だとも知った。

そんな2017年であります。

ありがたきはフィンレスサーフィン。

さて、ついにアップルウオッチが手に入った。

さまざまなことが出来るそうで、

充電を終えたらいろいろとやってみよう。

これで波乗りアプリとか作れたらいいのに。

UNK-SX 7′

.

ウナクネSXは、

ついに前田博士によるグラッシングが始まるステージとなりました。

楽しみです!

もしかしたらこれでノル波に乗れるかも。

平塚には

「松風」とか、

「扇の松」という松にちなんだ名前があり、

サーフブレイクも、

ミワチャンズ

とか、

ウルマチュ(ウル松)等々ユニークなネーミングがなされている。

その扇の松(オオギノマチュ)前通りには、

このモッサンことMO3のMO3ストアがあり、

それを駅側、松風町に行くとPeaceman Galleryまである。

さらにはラオシャン花水本店や、

クラフトマニアの間で名高いユニディがある平塚。

大好きな場所であります。

天才MO3の遊び道具がこのトライサイクルに積まれた、

うれしき投稿がインスタグラムにあった。

もしかすると、

MO3はサーフィン五段の資格を有するのかもしれない。

サーフィン・ウナクネ段位審査会_ハダシでビーチボーイズ化_日本外国特派員協会で聖地アトスを感じた_(2213文字)

昨日の午後、

HOKUさんこと、星さんがNAKISURFにいらしてくれた。

「前回来たけどさ、(NAKISURFの)場所わからなかったんだよ」

「すいません。難易度が高い場所なんです」

「でも、今回はマップで調べたら来られたよ」

そうして、

お店で昔話やさまざまなサーフィン話を酌み交わし、

さらには一宮海水浴場北の波を見ながら、

子どもだったクリスチャン・フレッチャーが2度目の、

マット・アーチボルドの初来日に星さんが同行していたという、

貴重なお話を伺った。

「あの時はさ、部原で国際試合

(多分第1回マルイプロ、1983年)があってみんな来たんだけど、

台風かなんかで超クローズアウトして誰も入っていないのよ」

「はい」

「でね。よーく見ると、ぐしゃぐしゃの海の遙か沖でさ、

ひとりだけ波乗りしているのがいたんだよ。

ツインフィンでルースさせながらなんとか乗ってきてさ、

外人ってすごいと思ったらそれがバード・マヒロナだったんだよ」

「バード憶えています!ハワイのマカハ出身で自分は彼と同じチーム(ジグザグデザイン)でした」

「それでさ、アーチとクリスチャンはこういう日はどうするんだろう?

そう思って、奴らを探したらすでにさ、

クソ下のぐしゃぐしゃのショアブレイクで、がっぽりチューブに入って遊んでいるのよ。

やっぱり遊び方が違うな、カリフォルニアもハワイもすごいと思ったね」

「みんなとりあえず、どんなに巻かれても溺れないで浮かんできますよね」

「全然違うよ。でね、なんだか出来そうだからオレもね、そこにアーチたちと入ったわけよ」

「ふむふむ」

「そうしたらさ、チューブに入った途端に自分のフィンでこめかみの横切っちゃって大変だったのよ」

「うわ」

「やっぱり違うな、そこでも気づかされたというわけ」

「1980年代ですね」

「佳い時代だったよ。本当に」

「本当ですね」

「でも日本のサーファーはカリフォルニアもハワイにもなれなかったな」

「そうですね」

「日本独自の路線に行ったのはいいけど、コンペだけが主流で、後はおいてけぼり。

ローカルルールもなんでもいいけど、

わざとダサく見えるようにさ、

切りっぱなしのショートジョンとか着ていたりすると、

初心者に見えるみたいで、何でもないことを注意されたりもするわけよ」

「星さんにですか!」

「そうよ。でもね。注意してくるヤツにはさ、”俺は自由が好きだ”と言うの」

「はい」

「でね、自由になりたくて波乗りしているんだから自由にさせてくれと言うのよ」

「本当ですよね」

「そう、君が言っていることは、

“道の左側を歩いてください”と他の歩行者に強制しているようなものだよね。

そう伝えるとみんな黙っちゃうんだよ」

「それ、いいですね。ぼくも使わせていただきます」

「なんだか日本人というか、サーファーは小さくなっちゃったね」

「昔の先輩サーファーたちは気合い入っていましたよね」

「ダメなヤツもいたけど、びしっとしたサーファーはたくさんいたね」

「このあいだもオーバーヘッドのすばらしい波だったんですよ。

で、知り合いのサーファーたちに連絡すると、

サイズがありすぎるとか、

自分のサイズではないとみんな太東や御宿に行っちゃうんですよ。

でもあれはハワイやカリフォルニア、

きっとオーストラリアもグッドウエーブというもので、

決して大波ではないと思うんです。

本当に良い波で、しかも無人なのに、

説得してもみんないなくなっちゃうのが悲しいです」

「それ、わかる。最近みんなそうだよな」

「で、そうして小波しか乗らないサーファーたちがいて、

ものすごく上手いサーファーがいる、という両極端な分布です」

「泳げないプロサーファーがいるってね」

「リーシュ強制の弊害ですね」

「どうしてこうなっちゃったんだろうかね」

「うーん。1980年代にポパイとかファイン、

雑誌がおもしろかったから、

とりあえず見てくれさえなんとかなればいいのではないか、

芯の部分は知らなくてもいいという若者が増えたからでは?

という仮説を立てましたがいかがでしょうか?」

「お、なかなかの着眼点だね」

「今は波乗りに昔ほど魂やロマンや教えを求めなくなり、

それによって会得とか解脱するということをしなくなった結果、

生産性が著しく低下したのではないでしょうか」

「それは一理あるね〜、オレが調べた調査によると、

サーフ系は1995年がピークだったと思うよ。それを境に下降曲線を辿るという説だ。

よってサーファーたちの熱も冷めていったんじゃないのかな?」

「なるほど」

こうして話はさらに続いていくのだけど、

それはいつかの対談集か何かの機会に取っておきます。

星さんの愛板と、

私の手染めドリームライドTで記念撮影。

星さんは、

いくつもの時代に目を入れて見ている達人であります。

最後にもうひとつ星さんの名言。

「みんな歳を取ったサーファーに対してさ、

レジェンドとすぐ言うけど、

そう簡単にレジェンドなんかなれないだろ。

長くやっているだけでレジェンドなら全員レジェンドになれちゃう。

懸命に長くやっている人だけがレジェンドだぜ」