The answer is blowing in the wind(答えは風に飛んでいる)

サーフィンは実在であり、概念である。
Surfing is both real and conceptual.
ダイエットについて考えていた。
英語と日本語の意味が少し違うので、
言葉のもつ正確な意味を調べてみると、
すぐにギリシア語の〈δίαιτα〉に行き着いた。
これだと仮定してみると、
その意味は「ライフスタイル」、
「(食もふくめた)生活習慣」だと書いてあった。
今度はサーフィンという視点で〈ダイエット〉というフィルターをかけてみた。

「良い波を乗ります」
「すこしだけでいいです」
「たくさん乗りたい」
「こんな(奇妙もふくめて)ものに乗りたい」
「有名波に乗りたい」
食べものと波はかなり当てはまる。
食には『悪食』とか『大喰い』とあるが、
これらのようなことは、
古今より忌み嫌われたことであり、
現代もあまり行儀の良い物ではないと知られている。
よって、自身の波乗りを見つめ直すチャンスではないだろうか。
「波を乗る」という行為は、
いわばバイキング形式ではあるが、
多くの場合、
紳士淑女はすばらしきマナーを求められているはずだ。

宗教の多くでは「欲をたつ」のは基本だ。
欲をおさえることを学んでいく。
しかしこういうものは修行状態にしなくてはならない。
ならば私も波への徳を積むために波乗り欲をたとうとする。
まずは自身をしっかりと追い込んで、波のことはもちろん、
ドーンと押されるような感覚とか、
浮遊感とか、
落下の興奮、
水平線にたわむセットみたいなことをたつ。
漢字で書くと「絶つ」だ。
修行のため大好きな波乗りと絶交するのだ。
己に打ち勝て、苦行しないと得るものはない。

ここまで書いて、
まさか「波乗りを絶つ」と暴走していたことに気づいた。
房総半島で書いていると、
ついつい暴走してしまう。(笑)
話を戻すと、
食べ方の指南はあるけれど、
食べるものは自由だ。
すると『食の安全』ということが浮かび、
同様に「波の安全』ということが気になった。
添加物だらけの食べもののように、
私たちの波は汚染されてしまった。

たとえば消波ブロック投入による砂浜消失や、
河川ダム建設により、
流れてくる土砂が減って海岸線が消失したとかそんなことだ。
「ここ、昔は浜があったんだ」
「いい波だった」
そんな悲しみの声を全国で幾度聞いたのだろうか。
何十年も経つのに国民は何もできない。
きょうも消波ブロックという砲弾が全国各地を何万個も飛び交っている。
いや、沈められている。
これではまるでボブ・ディランの『風に吹かれて
(1962:Blowin’ in the Wind)』の歌詞のようだ。
書き始めはこのコラムのタイトルを
「コンセプチュアルの怪僧ラスプーチン」としていたが、
ボブ・ディラン大先生が出たので、
これでは誰も勝ち目はない。
私は権威には動じないが、
感動に動かされる波乗り修行僧であるという意味を含めて、
それでいいのだとしてみた夏の終わり。
(初出、NALU誌2019年9月)
◎
