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naki's blog

【長編】竜さんと行ったコスタリカ_(6778文字)

カネボウから配布されたカレンダーがあって、

その7月に竜さんの私作品が使用されています。

コスタリカのテラザ。

思い返すと良い旅だったなあ。

そのアーティクルも去年SW誌に掲載済で、

これがその原稿でしょう。

*********************************

初夏は私にとってのコスタリカの季節。

毎年行っているので、

あの長い飛行機の時間を体がおぼえてしまい、

到着時刻になるとすっきりと目が覚める。

コスタリカン・コーヒー、

熱気、

ムーチョ・オラス(たくさんの波)、

カサド(定食)、

フルーツ、

この波あの波が記憶からゆらゆらと立ち昇ってくる。

やはり最初に思い出すのは、

カリチェ岬の波。

青い海、

少し緑がかった波、

岬の先に隆起したリーフ、

こちら側に寄ってくる波、

大きなマニューバーラインとなるライトと、

激しいターンができるレフト。

ここはプライベート・ビーチなので、

ここに住むか、

舟をチャーターしてやってくるというアクセスしかない。

じつはシエィ・ロペスがここに家を所有していて、

ちょうどフィジー戦で家を留守にすると聞き、

鎌倉の中村竜さんと永遠の夏を一緒に過ごそうとやってきた。

夏の南うねりがヒットすれば、

伝説のレフト、

速いセクションが途切れず、

500mの距離が乗れるサーフスポット

『パヴォネス』が姿を現す。

アクセスは、

未舗装道路の山道を越えていくので、

頑強な四輪駆動車が必須となる。

さて、ゲートのドアが開いたようだ。

風が海と織りなすノスタルジア。

飛行機より降りて、

地に足をつけてもまだコスタリカだという実感はなかったが、

長旅に一段落ついたという気持ちで少しほっとした。

ノマド=放牧というすてきな言葉があるが、

私たちはこころの放牧をしにきた。

空港から山道を2時間下り、

ハコビーチでその頑強な四輪駆動車を借り、

その下のカリチェ岬にリッピングを求める。

窓から見えたようにブレイクはかなり混んでおり、

それはアメリカ公立校が夏休みに入ったからということだった。

アメリカの公立校は、

3〜4月は春休み、

そして6月から9月まで夏休みって、

休みだらけだよ。

そういえばマイアミ・フロリダからコスタリカまでは、

たった2時間の飛行時間だ。

少しすると、

サーファーたち全員が舟チャーター組だったようで、

夕方になると10人を乗せ、

そして別の舟で7人が帰り、

ブレイクは去年のように静かになった。

今日は6月8日の月曜日。

水曜日から南の大きなうねりがやってくるという波情報。

夜半、

大粒の雨が降ってきて、

それはまるで台風のようだった。

明日の波を夢見て、風の音を聴きながら眠った。

翌朝、暗いカリチェ岬に行くと無人だった。

気持ちよく乗り、

のんびりとクルーズしていると、

10数人のサーファーたちが歓声をあげ、

舟がやってきた。

年々サーファーが増えているというが、

今年は特に多い気がする。

気持ちよく海から上がり、

自然のプール、

潮だまりで少し遊び、

パヴォネスに出発することを決意し、

蟹の足跡だけがある砂浜をゆったり歩いてシェイ家に戻った。

未明。

水、

エンジンオイル、

スペアタイヤ等、

車の全てを確認し、

地図も再確認して出発する。

途中ドミニカルという混沌の町で迷い、

何度も同じ場所をそして行き止まり巡りとなった。

なんとか山道に出るが、

標識がないのでこの道でいいという確証は何もない。

とにかく陽のあるうちにパボネスに着かねばならない。

山を越えた頃からドライブは一層困難となる。

今年、

コスタリカは記録的な大雨が降り、

橋が落ちていたり、増水によって道が河になっていた。

そんな時は、

(1)沈没しても脱出できるように車窓を開け、

大事なものを身につけ河に進入する。

(2)車がやってくるのを気長に待ち、

どうやって渡るのか、

どこが浅いのかを前走車によって確かめる。

(3)ある時、

ずっと車が来るのを待っていたが、何も来なかった。

そして一匹の犬がやって来た。

犬は河を右から斜めに横切り、

途中から少し流されて、

ラインを正面に戻し、

渡りきった。

俺たちはその犬ラインに忠実に進み、ここもメイク。

(4)渡るのが無理な河もあった。

それは幅100m、深さ推定5mといった大河。

流木が多く流れ、

他車もバスも徒歩もみんなここで足踏みしている。

絶望に似た気持ちで車を降りると、

向こう岸から何かが来る。

それは筏(いかだ)のようなもので、

大きな樽と丸太を組み合わせて何枚かの鉄板を乗せ、

こちら側と向こう岸に張られた鉄線をディーゼルエンジンで巻き取りながら移動していた。

その筏に車を載せ、

待っていた人を乗せ、

バスまでも載せて出発した。

料金は一台200円くらい、

人は30円。

だが、一向に動く気配がない。

見ると、

川に流木群が流れていて、それを待っているらしい。

流れてくるのは直径3m、長さ10mという大木群、

流れが速いので喰らったら一発で転覆するだろう。

流木群はいくら待ってもなくならない。

それをのんびり待つ人たち。

あきらめて車に戻り、本を読んでいた。

しばらくたっても動く気配がなく、

「今日は無理だ。明日まで待つのか」

あきらめた途端に横断を決行した。

“ブイーンドルドル~”

ディーゼル・エンジンが、

向こう岸からの鉄線をたぐり寄せている。

がんばれ!

急げ!

中央付近の急激な流れで筏は斜めとなるが、

筏はおかまいなしに進む。

少し心配となり、地元風の同乗者を見ると、

どうやらこれが普通なようで、

めいめいの荷物の上に腰掛け、熱射を浴びながら世間話をしている。

向こう岸に無事に着き、

安堵する暇もなく、

エンジンをスタートさせ、

そのまま村道を駆けたのは、

日没までに到着したいからだ。

パナマ国境近くまで行ったところで3度目のガソリンを補給した。

国道を右に折れると、角にバーがあり、

そこに【←PAVONES 68km】と小さな看板があった。

おお、目的地の名前に興奮し、近づいている確信を得た。

それから2時間後、

まさに夕陽が落ちる頃にパヴォネスに着いた。

思いかえすと迷い、

彷徨(さまよ)った意識のまま、

あらゆる道の方角を疑い、

なんとかここに辿(たど)り着いた。

この夕陽の照り返しの色彩は感動を軽く通り越し、すでに神々しい。

目の前に拡がった湾の左側に面した玉石の河口。

世界で5本の指に数えられるという長いレフトは、

まだうねりが小さく、ささやかなしょぼ波だった。

夕陽の色を落とした雲がやさしく浮いていた。

明日南うねりが入ってくるという予想を信じ、

流木の転がる砂浜を後にし、予約してあった宿に落ち着いた。

出発前にハコの薬局で、

抗生物質を注射してもらった竜さんはまだ弱っている。

よくまあ、こんなでこぼこ運転に文句を言わず乗っていたものだ。

早く治って一緒にサーフィンしたいよ。

夜は瞬間的に去り、時計は4時半を表示していた。

夜明け前にベッドから抜け出し、

波を見に行くと、昨日よりもはるかに大きな波が崩れていた。

例えるのなら、

南カリフォルニアのリンコンを逆さにし、

それを2つつなげたような波質と距離で、

なるほどTHE DAYには500m以上ものセクションがつながるのが明らかだ。

長い波に見とれていたら太陽が昇ってきた。

その瞬間は感動的で、あらゆるものが神々しく映った。

歩いてブレイクに向かう。

大きいセットでダブル程度だろうか、

パーフェクトで、

奇跡的に長いショルダーと、

広いフックを持つフェイスが特徴的だ。

波質は見た目よりも硬く、

レイルが噛みづらく、

フィンが抜けそうになる。

テイクオフし、ファーストセクションは、

飛ばされそうになるのをこらえながらミドルセクションまで行き、

フックに一瞬だけ戻るようなチョット・バックをし、

そのままインサイドに向かい、バレルをタキビ師のようにメイクした。

強い昂奮が高まり、

自然と両手を拡げて「ホーオーホーオー!」と叫んでいた。

THE DAYの成仏(上陸)の目標となる

「湾の端に舟が引き上げてある浜」までは、

まだ100mくらいあったけど、

ゆうに400mはフルスピードで乗った。

また河口の先まで延々と歩き戻り、

また1本、もう1本と波に乗る。

時間感覚を失い、

食事を後回しに波に乗ったのはひさしぶりだ。

昨日の辛ドライブが一気に撒散していく。

夕暮れに竜さんが起きてきて、一本だけ波に乗った。

彼は病み上がりのふらふらの体で長い斜面を上へ下へ駈けていった。

その夜、

バーにやってくるというハン・ソロを倍は太らせた風の舟乗りを見つけ、

「翌朝、向こう岸のマタパロ(Matapalo)というブレイクまで乗せてほしい」

と、

モスアイスレー空港でのオビ=ワン・ケノビのように交渉した。

スペイン語のみの会話だったのでかなり苦労した。

「マタパーロ?マニャナ(明日)、セーズ(7)」

という3つで事足りた気もしたが、

ボート代(往復5000円)ということも重要だった。

とにかく翌朝セーズの7時に出発すると、

虹とイルカと一緒に湾の向こう側まで渡ったのだ。

パヴォネスと鏡写しのライト(レギュラー)波、

夢景色がそこにあった。

緑を基調とし、空の青をはぜたような視界に

「夢心 沸き立つ波の 純粋人生」なる句も浮かんだ。

この『純粋人生』とは、

コスタリカの国のスローガンで、

PURA VIDAと綴る。

まさにこの純な波と、

どこまでも拡がる豊かな空間があり、

そこにこだまする鳥の声。

PURA VIDAという言葉が浮いていた。

長い波にボードを滑らせながら、

この魂をマタパロ波に捧げ、波乗りへの殉教者の気持ちとなった。

だがこれは、

永遠な時間ではないので、

また豊かな日没がやってきた。

蚊取り線香を点け、ベッドに滑りこみ、

目を閉じると、「夢の魔法波」の回想タイム。

今日乗った、どこまでも伸びた緑の斜面を繰り返し思い出した。

髪をひかれる思い、とあるがまさにその気持ちだった。

朝、

パヴォネスがフラットとなるのを見届けてからシェイ家に戻ろうと出発し、

丸一日かけてオフロードを逆戻り。

行きに迷った場所は今ではいい思い出だ。

なぜかラッキー池田のフレーズ

「♪ハイー、ハイッ、ハイッ!♪」と口ずさみ、

軽快にハンドルを切りながら何時間も水たまりを避けながら走っていった。

夕方ぎりぎりにカリチェ岬に戻ると、

近所のサーファーがひとりで波待ちをしていた。

(あんなに混んでいた)サーファーはどこに行ったの?

と聞くと、

私たちが行っている間にパヴォネスと同じうねりがここにも届き、

混雑は狂騒となり、

1ピークのポイント・ブレイクに50人が押し寄せたそうだ。

乗れない波、

または人を避けることに嫌気がさしたビジター・サーファーたちが、

ここを見限ってしまったという。

そして、誰も来なくなったという。

なんとタイミングがいいのだろう。

もしパヴォネスに行かなければ、

私たちも混雑で燃え尽きる、

または怒りのサーファーになっていたのだろうか。

翌日は早朝から魂のセッション。

ここの複雑な岬の地形が織りなす波は、

まるで魔法の玉手箱のようで、

次はどんな波が来るのか?とクラクラするほど楽しい。

波乗り後、

町に出るついでにビーチブレイクに行き、

ハモサの大木前無人ブレイクで竜さんがスラッシュしまくった。

帰りにスーパーで食材をたんまりと仕入れ、

『肉魚野菜マカロニポテトサラダゆで卵ジュース付きの200円定食』

に目をうっとりとさせ、腹を満腹にさせる。

やがて曜日はドミンゴ、つまり日曜日となった。

このカリチェ岬は別荘地なので、休日となると人口が増加する。

カリチェ岬の青と緑を混ぜた色の波上にさまざまな人間が集まっている。

ラテン系が多いからなのか、

それぞれのキャラがずばりと立ち、なかなかおもしろいのでここに羅列してみた。

(A)10年前よりこの高級別荘地に住んでいる自称レジェンドの経営者。

グーフィースタンスの45才。

(B)サンホセに自宅があり、ここに親の別荘があり、

毎週末サーフィンしにくる19才男。フロントサイド命のレギュラーフッター。

(C)Bの従兄弟。パドリングがようやくできる程度。17才だと思う。

(D)南アフリカから二年間の契約でサンホセに赴任してきた白人40才。

ここにも家があり、投資目的で購入したという。

「俺の家は、去年は5千万だったが、今では値上がりして1億出しても買えないよ」

というのを手を変え品を変え説明してくる。

だが、

インサイドレフトの掘れるセクションでプルアウトしてしまう。

Aの長老がいつもこのことをたしなめている。

(E)岬の向こう側から自前の小ボートでやってくる銀髪白人。

ここに20年住んでいるというがAとは仲が悪いようだ。

両手を挙げたジグザグターンがインサイドでの得意技の52才。

(F)その銀髪の彼女であろう18才くらいの子。

Tフロント、

Tバックの極小ビキニでパドリングし、

周りを唖然とさせる。

しかしガニマタ横走りだけの乗り技。

(G)Aの許可を得て、正面ゲートから入ってきた観光客相手の悪徳レストランの経営者47才。

「パラッパラッパラ〜」と大声で叫びながら

8’0”のシングル+スタビのド派手ファンボードでバックサイドレフトを刻む。

図体が大きく、一見アルパチーノ風の目つきであるが、重度の肥満。

しかし、岩場に上がる際に手際が良く、

わが岩場研究班の竜さんを驚かせた。

海から上がると俺たちにビールを勧めてきた。

(H)カリフォルニアでサーフボードのサンディングマンをしているというこれまた肥満の白人。

友人がこの別荘のオーナーでそこを借り、

11日間休暇に来た40代の男。

ロングボードでたまにレフト波に乗るが、

テイクオフできるとバンザイを2回し、泡に飛び込む。

話をすると、ここの波は怖いと、正直に白状したので、

飛び込むと危ないと説教をした。

(I)そのHの彼女。

長身で太め。推定体重90キロ、

ピークの真下でパドリングするので、ちょっぴり邪魔な35才くらいの白人。

(J)黄色のボードに乗った黒髪アジア系のブルースリー風、

やせ形色男。

レギュラーフッターでエアにチューブまで決めるブレイクの王者。

マナーが良く、ハンサムなので、その笑顔にFがうっとりとしていた。28才。

じつはこれ竜さん。

(K)セットはみんなに乗せ、

オバケ波が来て無理にそれを追いかけ、

見事に撃沈して一番お気に入りのボードを折ったアジア系のレギュラーフッター39才。

これはじつは私。

まあこんな人間観察をし、

みんなの休日を邪魔しないように楽しんだ。

翌日からも同じように早朝カリチェで波遊び、

潮が干くと、エストレオ・セントロに行く。

このエストレオというのは黒砂遠浅の地形。

それがびっしりと300m幅で決まり、

柔らかな斜面と丸まった3角形の波先を見ていると、

まるで芸術品のように美しい。

ある朝、

ハコとハモサの間の国道沿いにTERRAZAという一見リゾートホテルだが、

あくまでもリゾート風味にとどめたという貧なモーテル調のホテルがある。

ここの裏に銘サーフ・ブレイク『テラザ』があるという。

サーファーは歓迎されていて、

ただの波チェックなのに、

ホテル内のドライブウエイを走りなさいと、

駐車場係が教えてくれた。

フロントを堂々と通り抜け、

プールの向こう側に出ると、

茶色い洞窟のような大バレルが爆発していた。

たったひとりのサーファーが巨大バレルに吸い込まれ、

長い時間をその中で費やし、遙か向こうから吹き出されていた。

この波に魅せられ。

フロリダから移住してきたチャーリー・クーンだった。

元ASPサーファーなので、

竜さんと私は目をみはり、

ここに来た偶然に感謝し、

ボードを抱えて沖に出た。

河を従えた黒砂の砂浜が拡がっている。

これはもう少しすると、熱したフライパンのように熱くなるのだろう。

そして大岩が岬側に隆起しているテラザは地形が決まりやすく、

クローズアウトしづらいビーチブレイクでその名を馳せている。

竜さんと、

そのチャーリー君(・クーンね)のバレルセッションが始まり、

中央アメリカの妖気漂う浜を世界レベルのフィールドとした。

今まで竜さんの波乗りについてあまり触れていなかったが、

漁師が一目置くという潜り技術、

鎌倉の斜面と、

世界の波で鍛えたテクニックで師匠チャーリー君を驚かし、

見物に来ていたコスタリカン、

そしてフロリダサーファーにスパイスを与えていた。

このまま俺たちのこころの放牧は続き、

神がかったこと、

動植物にドラスティックな天候、

楽しい友人達のことをこのまま書き続けたいのだが、

枚数が多くなりすぎて、

もうすでに誰も読んでいないだろうからここで終わる。

「旅で大事なのは、友と夕陽と波だ」

そのことを確かにしてくれた私の30代最後の夏がこれで終わった。

“Farewell.”

永遠の夏(とわのなつ) 遙か南の(はるかみなみの) 夢雫(ゆめしずく)

(了、4/7/06)


7 thoughts on “【長編】竜さんと行ったコスタリカ_(6778文字)

  1. TAKEO

    (A)のリップのそばで体をかがめるがなぜかチューブには入ってはいない。しかしそれを深いバレルだと信じている45才。
    何だか勘違いが私とおんなじです。(私は43ですけど)
    竜さんのインプレ、同じエリアなのでとても親近感があり参考になります。

  2. たけ

    相変わらずキメがお上手ですね。
    ところで、テンピュールでの梱包。考えてもみませんでした・・・
    同時に旅先での安眠も約束されると言う、まさに伊東家的なスペシャル裏技ですね。。(笑)

  3. Fg

    嗚呼、憧れのコスタリカ。いつか行ってみたいです。ちゅーか、フナキさんの人生欲張り過ぎ!(笑)うらやましぃー!!

  4. ふなき

    TAKEOさん、
    昔の友人に
    Q)ボードの上でジャンプしているだけでエアと信じている26才。

    というのがいました。
    竜さんAVISO FFと一緒に寝ているそうですよ。

    たけさん、
    テンピュールってどこに書いたか忘れちゃって、探したらありました。
    掲示板でした。

    http://www.number7.jp/board/formz.cgi?action=res&resno=3595&id=nakisurf&from=tree#3681

    寝る時にMY枕があるのってかなりいいですよ。

  5. ふなき

    Fgさん、
    ノースハワイはコスタリカそっくりと気が付きました。
    でも動植物が1/100種しかいないですね。
    大蛇をまた目撃したいなあ。
    モンヘのモンちゃん何をやっているのかなあ?

  6. Todd

    ボカバランカ。グーフィーの俺にはまさにパラダイスでした。
    初日に胸波が入りまくりだったせいか、いきなりローカルが「ジャポネ、ゴーゴー!」とセット波を譲ってくれたり(笑)
    大自然で育つトカゲはあんなにも大きくなるんですね。
    nakiさんのおっしゃる通り、旅に大事なのは友と夕陽と波と、、ビール!ですかね。

  7. naki Post author

    Toddさん、
    ボカバランカ!
    ジャポネはグランデオラスに乗りますよ?。
    トカゲは野良犬みたいにたくさんいました。
    お返事遅くなりました。
    2年半かかる通信ですね。