こんにちは、
こちらカリフォルニアはいよいよ波が小さくなってきました。
11時の時点で快晴、無風。
しかし混雑で有名なトレッスルズでさえ車が3台しか停まっておらず、
干潮ということも相まってほとんどフラットというコンディション。
そこで、サンオノフレにロングボードをしにいくことになった。
クリスちゃんにパーチェスを借り、
その『11:02AM/0.37feet(11cm)』という干潮いっぱいに到着し、
まず見えたサンオノフレ岬はやはりフラット。
チャーチも同様。
しかしそのまま奥に進んでいくと、
オールドマンズに薄い高さのセット波が入ってきたので、
「これでサーフできる」と車を降りて、
そのブレイクを再チェックすると、
セットでスネから膝程度の波が入ってきていた。
こんな日はショートボードだとテイクオフすらままならないので、
パーチェスで沖に向かった。
インサイドの海藻地帯を切り裂くようにパドルアウトすると、
やがてくっきりとした水平線が見えてきて、
それが筋となって盛り上がり、
ささやかな海のコブが近づいてきた。
1回、2回、3回とプレーニングを得るまでパドリングし、
そのまま波の斜面にレイルが届き、
やさしく、静かなグライドタイムとなった。
マジカルなるサーフセッション後、
ウエットスーツを脱いで、
タオルをかぶったままその無風のそらと飛び交うカモメを眺めていると、
ロングボーディングは、
サーフィングという名を借りた禅芸術みたいだ、と気づいた。
それは、
大波や掘れ波のときのようなスペクタクルな気持ちとは反極の、
優しく豊かな全身感覚。
「危険に向かい、スリルを味わう」
という高速滑走とは反対方向にベクトルが向かっていて、
「ポジティブで、ヘルシーでオーガニック」
という最近の、ジュースCMのようなコピーが浮かぶが、
実際にそれとは違うのは、やはり海に相対して、
「自然」という危険と関わってきたからか、
陸に戻ってきたときにやり遂げたという達成感があるのがいい。
そんなことを思った日であります。
もっと思ったのが、
「アバンギャルドなロングボーディング」
ということ。
これは、ロングボーディングの流れを解体し、
そこから新しい種を派生させ、
芸術と目的の混同を図るというのはいかがだろう?
新しい滑走を求め、私たちが感じることを追求していく歓び。
そんな波乗りを夢想した日。
なにを書いているかわからなくなったカリフォルニア時間の深夜0時半。
俺におかえり。
明日にHow do you do!
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