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naki's blog

GW企画NAKIPHOTOギャラリー5_旅_BLUE誌2011掲載_(3022文字)

I’d Go Anywhere. どこまでも。

“Look all around, there’s nothing but the ocean.

Look straight ahead, there’s nothing but blue ocean.”

見てごらん、海だけがあるよ。前を見ても、青い海だけさ。

ずっと、闇の中にいた。

頭上を、風の音が刻んでいる。

幾千、幾万もの雨粒が上を跳ねていった。

永い夜だ。

どのくらい睡っていたのだろうか。闇が薄くなり、風は止んできた。夜明けは近いのだろう。腰を起こし、円弧状のテントジッパーを少し降ろすと、そこには海が拡がり、波の筋が線となっていた。手前では、闇が明滅するように規則的に膨らみ、すぐになだらかになっていた。

待ちに待った波がやってきた。

昨日まで都会にいた。晴れているのか曇っているのかわからない無表情な天候。カラスの鳴き声、電車の時間、渋滞情報。俺は行列をかいくぐり、南行きの機に乗った。離島桟橋に向かい、船に乗ってここまでやってきた。

「旅とは“偉大なる逃走”なのだ」とは旅作家の故開高健さん。全くその通りだと思う。散らばった宝石と駄石の混合内に自分を置き、石を見分け、良質な宝石を手にしたときの胸の高鳴りは、普段の生活をしていたらなかなか味わえるものではない。

波に乗ることを生業としているが、海が相手なので、ご想像の通りチカチカするほどの毎日だ。漁師のように荒れたからお休みということもなく、荒れてこその出番だったりもするので、ときには困難もある。

挑む自分と受ける海。そんな対話でつかさどられている言葉なき波乗り世界だが、ここには物語がたっぷりと詰まっている。その波乱と心情を描いた物語は、波が登場人物となってこころに宿る。そんな物語を味わいたい、所有したいという欲求があるからこそ、俺たちは波に乗ることに惹かれ続けているのかもしれない。

すばらしい波のことを『宝石』だと例えてみると、まさにその通りだと納得した。波は無形の宝石で、それらを集めると自身の財産となる。

波は声紋や指紋と同じように全て違い、土地が変わればさらに違う姿を見せる。ブレイクを変え、季節を待って、深く掘り進みながら発掘する宝石もあるし、思ってもみなかった近所に美しいものが落ちていたりもする。

波乗りの魅力とは何だろうか?そうだな、浮遊感、対自然、滑走支配、自由さと挙げてみようか。さらにその独特な漂流感覚がすばらしいということに気づいた。サーフボードひとつで沖に出るのは漂流そのもの。波に乗ることを目的としているようで、じつのところ“さすらう”ことに惹かれていたのかもしれない。流れ漂い、自分がどこに行くのかわからないのは、日常生活ではなかなか味わえないことだ。加えて困難が何重にも張り巡らされ、それをかいくぐり、打ち破ったりしていくのが楽しさなのだとわかってくると、強い波に弾かれ、沈められるということにも意味を見いだせる。

波に向かうときの心細さ、決心、挑戦心、好奇心、虚栄心、猜疑心、実行力、疎外感、縮小感覚。それらを混ぜながら、ときには振り払いながら進むべき方向を決める。サーフボードを持てば自分が大将であり、将軍である。行くのもよし、休むのもまた佳し。そんな自由さも波乗りの魅力なのだろう。

テントのヘリを乗り越えるようにして這い出ると、砂がヒンヤリとしていた。昨夜の雨が砂浜に無数の小穴を開けていた。水平線の上に浮かぶ雲がオレンジとピンク、青、紫色に色づいている。うねりは未明に見たときよりもさらに大きくなったようだ。何年も待った波が出た。小波のときにはじめてサーフして以来、「ここに大きなうねりが入ったら?」と夢想し、それがいま目の前で現実となった。時間を越えて、肉体的にも耐え、俺はここまでやってきたのだ。

幾本もの筋はある一定のところまで来ると、立ち上がるように切り立ち、生きもののようにうごめき、そして泡となって果てていった。その切り立ち、うごめくところを滑るわけだから、目に芯を入れ、繰り返してその箇所を凝視し、「厳しいが乗れる」という自分なりの結論に達した。

書いていて感じたが、セッションをエピソードに例え、波を登場人物になぞらえるのは楽しい。「あれに乗って、これはやさしそうだ、甘そう、辛そう、あいつはヤバイ奴だ」とやっていると、波群全体の性格が見えてくる。そうして自分を物語に加えていく。またはそうすることによって仲間入りを計ろうとしているのかもしれない。

水を多めに飲み、テント脇においたサーフボードを持ち、ゆっくりと、ゆっくりとワックスを塗り、風でさらに冷えた砂浜を渚に進んでいく。

泡がショアブレイクで膨張し、圧縮したような破裂音を発していた。沖を見ると、水平線を遮るようにうねり群が見える。それは留まることなく上下に揺れていて、俺は意識を閉じ、その波動を見ていた。

沖に、休息の気を感じ、「今だ!」と海に飛び乗るようにパドルアウトを開始した。

あふれる海の鼓動。体幹に気を入れ、腕を振り絞り、沖を目指す。淡い暖色に縁を彩られた泡が層となりやってきた。それを越え、くぐっていると、大きな海壁が彼方で果て、それは轟音と共に怪物のような泡がやってきた。ボードを掴んだまま何回転もし、やがて解放され、薄明の海面を目指す。ようやく浮き上がると、一面が泡の層だった。弾ける泡の音に耳を入れると、泡からの無数で小さな、ささやかな破裂音が聴こえた。目的を達成するためにさらに腕に力を入れて漕ぐ。雪上車のようにノーズが泡をかき分けていた。水平線はうねりで隠されていてまだ見えない。次も同様に沈めこまれた。また大泡が来た。浮き沈みしながら、「これで沖に出られるのか?」という焦燥を打ち消し、泡の粒だけを凝視して、とにかく前に向かって漕ぐということだけを繰り返していた。やがて水平線が見え、重くなった腕に力を入れてさらに強く海を掻いた。

辛勝だったが、“沖に出る”というひとつの目標を達成した。何本もの波が過ぎていく。乗れそうなものもあれば、叩きつけてくるものもあった。少しして、ようやく自分が考える限りの理想の波がやってきた。雲の間から出た太陽が波斜面を輝かせ、それは宗教的に感じるほどの美しさで迫ってくる。

高鳴る胸を抑えながら、そのたおやかな斜面の動きを凝視し、その中に入り込む覚悟をもう一度決め、パドリングを開始すると、それはまるで伝説への入り口にいるかのようだった。

海面に素足で立ちあがり、俺は歓ぶように、踊るように波を滑っていった。

波を滑ることを知って、あの波この波に乗ってきた。そしてその範囲を拡げてみると、まだ知らなかったことがたくさんあった。新しい友人を得て世界が拡がり、生き方そのものが変わった。

それからは「どこかに行こう、何かがあるだろう」いつもそんなことを考えている。

「波乗りは小さな冒険の連続で、それは宝石のようだ」と書いたが、その宝石の輝きは日常から離れるほど光量が増す。俺はここでの宝石を獲得し、日常に戻るのだろう。もう街の喧噪や、陰気な天気も気にならないはずだ。

また新しい宝石を求めに出るのだろうか?

ただ、いまはこのままでいい。この物語の結末を知るまでは。

(了、20101209)

–BLUE Magazine 2011–

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