【サーフィン研究所】Time flies with Ford Archbold_フォード・アーチボルドがロン・ハーマン京都へ!(1034文字)

1980年代のことだが、

私はアメリカという国に猛烈に魅せられて、

その結果として住人となる。

引っ越し先のサンクレメンテには、

マット・アーチボルドという天才サーファーがいた。

マットは、

ティミーのボードに乗り、

アーチズ・ガレージというとがったセレクトストアを、

エルカミノ通りにオープンさせた。

私が制作したサーフムービーの題名を付けてくれ、

星さんのランティを着てブバラカ(部原海岸)や、

新島にもやってきた。

箱買いした彼のオリジナルステッカーもいまだに持っている。

マット・アーチボルドは、

強烈な個性を持つロックンロールで、

ハードボイルド風味の超現象的なプロサーファーだった。

彼はやがて長男であるフォードを連れて旅をすることになった。

私は彼ら親子の旅に同行していった。

コスタリカ、

そして種子島にも行った。

それはいまから20〜25年も前のことで、

マットはノースショアからサンクレメンテに戻り、

ニューポート・ビーチにいたフォードは、

サン・ファン・キャピストラノに引っ越し、

アートスタジオで深い創作に入った。

Ford Archbold at his Spun Spirit Studio

やがて事情通のタキローから、

「フォードが、

ハイエンドのアート展開していて、

ニューヨークあたりのスノッブ(snob)から火がついています。

彼のスタイル・アートでは珍しい現象です」

そんなことを聞き、

「明日からロンハーマンで展示が始まるので、

新幹線で京都に行ってきます」

タマサキにフォードを連れて来てくれた。

私たちは、

海上がりのコーヒー屋で、

カプチーノとシナモンロールの香りの中で彼の記憶を探ると、

あの種子島、

コスタリカ、

ニューポート・ビーチでの私を克明におぼえていて、

何歳になったの?

そう聞いてみると、

なんと34歳になったと言った。

フォードは、

フォーディ(フォーちゃん)と呼んでいたほどかわいい子だった。

あのときの面影を少しだけ残し、

立派な長身の青年になっていた。

私たちは口を揃えて、

“Time flies”
(光陰矢の如し=過ぎ去った時間は矢のように速い)

光速で通り過ぎた時間をしんみりと想うのだった。

そしてこれから行く京都やその他についても、

「フォードをよろしくお願いします」

そうやって親の気持ちとなるのだった。

1980’s Burger King Ad

【巻末リンク:おいしいもの編】

【サーフィン研究所】小波こそエックス_御茶ノ水「レバニラ中華 満腹」で得た輝き体験!_(1938文字)

【巻末リンク*2:極みシングルフィン】

【サーフィン研究所発表号】なぜ波があるの?_Groovy Fin “Black Magic Rainbow”_(1827文字)

Happy Surfing and Happy Lifestyles!!

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