1980年代のことだが、
私はアメリカという国に猛烈に魅せられて、
その結果として住人となる。
引っ越し先のサンクレメンテには、
マット・アーチボルドという天才サーファーがいた。
マットは、
ティミーのボードに乗り、
アーチズ・ガレージというとがったセレクトストアを、
エルカミノ通りにオープンさせた。
私が制作したサーフムービーの題名を付けてくれ、
星さんのランティを着てブバラカ(部原海岸)や、
新島にもやってきた。
箱買いした彼のオリジナルステッカーもいまだに持っている。
マット・アーチボルドは、
強烈な個性を持つロックンロールで、
ハードボイルド風味の超現象的なプロサーファーだった。
彼はやがて長男であるフォードを連れて旅をすることになった。
私は彼ら親子の旅に同行していった。
コスタリカ、
そして種子島にも行った。
それはいまから20〜25年も前のことで、
マットはノースショアからサンクレメンテに戻り、
ニューポート・ビーチにいたフォードは、
サン・ファン・キャピストラノに引っ越し、
アートスタジオで深い創作に入った。

やがて事情通のタキローから、
「フォードが、
ハイエンドのアート展開していて、
ニューヨークあたりのスノッブ(snob)から火がついています。
彼のスタイル・アートでは珍しい現象です」
そんなことを聞き、
新幹線で京都に行ってきます」
タマサキにフォードを連れて来てくれた。
私たちは、
海上がりのコーヒー屋で、
カプチーノとシナモンロールの香りの中で彼の記憶を探ると、
あの種子島、
コスタリカ、
ニューポート・ビーチでの私を克明におぼえていて、
何歳になったの?
そう聞いてみると、
なんと34歳になったと言った。
フォードは、
フォーディ(フォーちゃん)と呼んでいたほどかわいい子だった。
あのときの面影を少しだけ残し、
立派な長身の青年になっていた。
私たちは口を揃えて、
“Time flies”
(光陰矢の如し=過ぎ去った時間は矢のように速い)
光速で通り過ぎた時間をしんみりと想うのだった。
そしてこれから行く京都やその他についても、
「フォードをよろしくお願いします」
そうやって親の気持ちとなるのだった。

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【巻末リンク:おいしいもの編】
【巻末リンク*2:極みシングルフィン】
【サーフィン研究所発表号】なぜ波があるの?_Groovy Fin “Black Magic Rainbow”_(1827文字)
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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