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【黄昏時に水の山を滑ることについて】
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波に魅了され、
その魔力から逃れられなくなった。
波に乗るのは、沸き上がるような歓びがあるから。
俺は、波に乗るために存在している。
波至上世界から逃げおおせた友人もいた。
けど、彼らはいつかきっと、
いや必ず波世界に戻ってきてしまうのだろう。
波の真実を知ってしまうと、
誰も逃げだすことはできない。
生を凝縮したようなそれぞれの波瞬間がすぐにでも、
もしかすると明日やってくるかもしれないからだ。
おのおのが「波滑走の記憶」を胸の奥にしまい、
それぞれの記憶を燃やし。魂が宿る。
海に近づき、小さな波を越え、大きな波を潜り、
海に畏怖し、呼吸ができることに感謝する。
滑走はその次の話だ。
こんな単純なことなのに、
逃れられない強い魔力の属性はどこにあるのか?
波乗りに対して何かを求め、
こんなことを思惟(しゆい)すること自体がナンセンスなのだろうが、
一般的に「軽薄」だとか、
「若者のする遊び」と思われがちだからこそ、
ここ、つまりこのコラムで、
その網目のように張り巡らされた楽しみと歓びを表現している。
一吹きの風がさざ波となり、
それが幾千にも重なってうねりとなる。
同方向に、
闇と陽の下をひたすら駆けているうねりを想像したことがあるだろうか?
遙か遠くの海で、こちらに向かって幾億もの波が海面に動いていく。
その中のひとつの波に乗るために、
たった一条の光を得るために俺はここにいるのか。
美しい波を追いかけ、輝く波を待つ。
「波ありき」
そんな直情的な欲求の中で生きる幸せは他に例えようもない。
一瞬の炎のような波もあるし、
永劫に続くと思えるような波の日もある。
サーフボードという船を使い、
ひとり海に漕ぎ出ていき、
孤高を味わい、その滑走や、
波と一体になるという行為に耽り浸る。
たとえどんな圧倒感のある波も崩れて去ってしまうと、
いつかは虚無となる。
波を通じて広大なる海を知り、
そして無限遠の宇宙を感じる。
自分が自分であることの無意味を知り、
そしてその無意味に慰められる。
波からの飛沫がそらに飛び、
それが雨雲となって地上に降りそそぎ、
海に流れ込んでひとつの円を閉じる。
風が吹いて、
波となって、
風となる自己の姿。
そんな想念を、
艶やかな波の記憶をまとった自身が出現したとき、
満たされたふくよかな魂が飛び上がり、
それは光と闇の合間を回って自身に戻ってくる。
波に対して歌えるか。
その短い生を歌おう。
夜明けの波の鮮やかさ、
祈るほどの大波、
沸き立つ白泡、
忘れがたいほどの滑走を。
いつも波のことを胸に秘めているのが我が人生。
海の上から見える岩岬に白い砂浜、
青い海の珊瑚礁、飛翔する鳥。
紅いそらに雲がロマンチックに色づき、
その色彩の海を滑る魔法。
耳を鳴らす風に季節を知り、
逆光の波面に散る光の美しさよ。
波の神と契りを結んだ心の念よ。
星明かりに飛ばない鳥を知り、
内から来る憂いが浮かび上がる。
高き水を滑れば深き魂を知る。
また、
そんなことには頓着しない天を感じたとき、
はじまりに戻った俺は、また波を想いはじめた。
(了、BLUE誌巻頭コラム2011/11号より)
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