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naki's blog

なぜ波に乗るのか?_私が波乗りを始めた頃の回想記【前編】_(3222文字)

Nation Sonic Boom 5’4″

ショートムービー、現在製作中です。

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あれから4年が経つのですね。

短かかったような長いような。

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ずっと、永遠のテーマである「なぜ波に乗るのか?」。

そのことを考えていた。

健康になるから?

いや、そうだけど答えは違うと思う。

かっこいいから?

全く違う。

日常生活と全く違うことをしたい。

そうは思える。

危険そうで安全だから。

その通りかもしれない。

フィジーで怪我したのを最後に10年間、無傷だし。

.

でもそんな質問と答えをいくら並べても答えは出ないだろう。

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私は飽きっぽい子どもだった。

文章が好きで、小説家になりたくて、

母に連れられて有名な小説家先生の家に訪ねると、

「それはすばらしいことじゃ」

「で、先生、どうすればこの子は小説家になれるのでしょうか?」母

「うーん、君はまだ小学生だからいろいろなことに興味を持って、

勉学に励み、両親の言うことを聞き、友だちを大切にし、スポーツも大事だ」

「先生、それでは具体的にどうすれば良いのでしょうか?」

「今日から文章を、10年間書き続けなさい。されば夢はかなうだろう」

「文章、何の文章でしょうか?」

「ま、日記でいいじゃろ。日記を毎日書きなさい。

なんでも良いから10年間毎日書いて、それで私のところに持ってきなさい」

「わかりました。ありがとうございました」

という母と先生のやりとりがあって、

私は小説でなく、日記を書くことになった。

初日は、

「こんなすばらしい先生のところに行って、だから今日からここに10年間書きます」

という決意系のものだった。

しかし、2日目は谷川俊太郎さん訳のピーナッツについて書き、

3日目には「今日は何もありません」。

そんな日記帳を19年前に母が亡くなったときの片付けをしていたら見つけた。

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それから空手を始めて、

それは夢中になって、本気で稽古を毎日したけど、

ある日を境に突然行かなくなってしまった。

それからバイク。

スクーターから始まり、

次にはギア付きの50cc(MBX)。

ヤマハのRZ50が欲しかったのだが、

なぜホンダにしたのはいまだにわからない。

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そして中型免許を取って、ホンダのVFに。

ここでもヤマハのRZ350が欲しかったのだが、

”14500回転は軽く回る”というV型エンジンに惹かれてしまった。

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ブーツにグローブはもちろん、

分厚い革ツナギを着て、

最も頑丈だとされるヘルメットをかぶり、

クリッピングポイントへの入り方、高速コーナーでのかぶせ方、

タイヤへの摩擦の最良なる角度等々をいつも考え、峠道を本気で走っていた。

バイクに乗っていると、それは非日常な速度があり、

全てが後ろに消し飛んでいってしまうような感覚があった。

その時だけは自分の人生が消し飛んでも良いと感じていた。

ただ、母だけはそれが心配だったようで、

私がバイクに夢中になればなるほど、彼女の心配は強くなっていた。

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そんなとき、アルバイト先の旅行で千葉の白子海岸に行った。

その海の家にあったのは貸ブギーボード。

友だち3人でそれぞれそれを借り、沖を目指すことになった。

その日は今思うと、肩〜頭くらいのわりと強いオンショア。

しかも小雨のコンディション。

友だち二人はすぐに脱落して、

私は銚子の海で育ったということもあり、

泳ぎには自信があったので、

ずっとずっと沖を目指して腕を回し続けた。

でも、どこまで行っても波は途切れることなく、

白波が沖からやってくる。

1時間は漕いだだろうか。

海の家が遠くに見えたところで意を決して波に乗った。

それが偶然良いセットだったようで、

(もしかしたらだが、直感的に良い波を選んだのだと思う)

それはものすごい落下をして、吹き飛ばされるように波に乗った。

ただファーストセクションを過ぎると、波はみるみる弱くなっていく。

長く乗りたい、岸まで乗っていきたいので、

左右を見ると右側の波が強く見えたので、

足を入れて抵抗をかけて、じわじわと失速しながらも右に行く。

セカンドセクションの衝撃があって、

また同じようにすぐに弱くなっていく波。

また右側に行けば波は生きている。

今度はバイクのように体ごと傾けると、

失速しないでボードは曲がっていった。

「ウオー!」

感動するほどのスリルと体感Gを受けたまま、

その次のセクションに飛び込むと、

もみくちゃになって、うれしさのあまりボードを離してしまった。

浮かびあがると、

足が付かないほど深かったので、

岸に向かって泳ぐと、もう岸のそばで、波の先に砂浜があった。

そこからさらにのんびり泳いでボードを取って、

今度は岸から近いところからさっきの要領で波に乗り、

バイクのように何度も体を傾けてターンのマネをしていた。

「波乗りはものすごくおもしろい!」

そう実感した瞬間だった。

でも、あまりにも夢中になってしまい、

「(迎えの)バスでみんな待っているぞ」

先ほどの友だちが雨の中やってきて、

しぶしぶ上がると、手足全てがふやけていた。

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で、それからずっと波乗りのことを考えていた。

バイクよりもスリルがあって、

しかも転んでも吹き飛ばされても無傷であるから、

もしかすると安全で、

それならば母を心配させることはないだろう。

そう自分に言い聞かせていた。

時代は、駅のソバの丸井百貨店でサーフボードが売っていて、

ライトニングボルトの分厚い10cmはあるレインボーソールのサンダル。

タオル地の鼻緒が付いているのがサーファー風だった。

テクノカットよりサーファーカット。

モードよりもアロハシャツにジーンズ。

レイヤーカットにボウルカット。

ヒゲにオキシドールでブリーチした髪。

知り合いの人がサーファーだったので、

安くボードを売ってもらえないかと聞いてみると、

「あのさ、お前だから言うけど、波に乗れるボードはないんだよ」

そういう返事が返ってきた。

どうしてそうなのかを聞いてみると、

「ナイショだからな」

と小声で教えてくれたのは、

彼は、「陸サーファーだけど、そうは見せない」

ということに徹底的にこだわっているということだった。

ボードにセックスワックスのストロベリーもきちんと塗るし、

晴れたらどこにだって日焼けしに行くし、

サーフ用語は全て知っていて、

今思うと、

「マメマスダのレイバック」とか、

「カカイのローラーコースター」

という津田明さんの著書からの受け売りだった。

ハワイには行ったことがないが、

だいたいの波の場所は頭に入っているという。

「サーフィンするなら奄美がいい」

そんなことも言っていたことを思いだした。

(その頃の私は、奄美は新島の向こうにあると思っていた)

さらに自慢のサーフボードを見せてもらった。

そこに付けられて丸まった極太リーシュは、

パイプライン製の黄色い半透明のもので、

それについても聞くと、

「あのな、これが一番ビッグウエーバーに見えるんだよ」

続けて、

「サンセットビーチで切れないのはこのタイプだけさ」

というようなことを会話にはさむと、

彼のカノジョたちはイチコロらしかった。

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トロイのハイネック、新島、ハマトラ、ニュートラ、50円ゼビウス。

花札の任天堂からファミコンが発売され、マリオ、ドンキーコング。

YMO、松田聖子、小泉今日子、PL一年生の桑田真澄、

千代の富士、サザンオールスターズ、矢沢永吉、沢田研二、ET。

時代は陸サーファーの存在が終わりを告げようとしていた。

私はまだ白子海の家以来、サーフィンができないでいた。

バイト先に、

本物のグッドサーファーとされていたKさんがいて、

彼は丸井の4階で、

「ケンブラッドショウのシングルフィンを買ったから、

来週の店休日(火曜日だった)に千葉に行こうぜ。

大波用だから波が大きくないと走らないらしいんだ」

平日だけど、ボクはKさんと一緒に千葉に行くことになった。

私が波乗りを始めた頃の回想記【中編】_ものすご人気のキャッチサーフ2015、先行予約を受付中です!_(2815文字)

(こちらに続きます)

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