
あれから200kmほど走っただろうか。
こんな波を見つけた。

伊豆のターさんに最後お会いしたブレイクで、
彼を偲んで、
つまりターさんの気持ちになってサーフすると、

「八龍がうまい」、
「新小林に行け」と、
彼が私に教えてくれたフレーズに続き、
ヤオハン下賀茂店までが青い海に浮かんだ。

昔で言うところの憑依だとうぬぼれつつ、
夏のようにまぶしいきらめきに向かってテイクオフしていった。

今日は薫さんの本のご紹介をしつつ、
私が寄稿したコラムを掲載する。

(無題)
昭和58年ごろ、
JJモンクスという本格的なフレンチ・レストランが七里ヶ浜の前にあった。

そのテラスのテーブルで薫さんと泰介さんは、
氷が浮いたワインクーラーを横に置いて、
白ワインを飲んでいるのをよく見かけた。

まだティーンだったボクにとって、
こんなフランス映画みたいなことにすっかりとドギモを抜かれてしまい、
40年以上経ついまも鮮明に思い出せることのひとつだ。

その頃に飲まれている酒といえば、
ラガービールだかりだったし、
もしかするとワンカップ大関のような酒を飲んでいた。

そのなかで、
白いジャケットを着て、
海辺のフレンチでボトルワインを飲んでいるということは、
まったく違う世界のことだった。

あれは真夏の午後のことだった。
私はモンクスの横を通って浜まで向かおうとすると、

「ダメだよ。
サンダルを履いていくのは、
じつにカッコ悪いぞキミ!」
そんな声がかかった。

その声の主である薫さんは、
鮮やかなシャツを着てワイングラス片手に笑っている。
けれど目が笑っていない。

横にいた泰介さんもこちらを見て、
「そうだそれが正しい」
というお顔だった。

よくわからずにその場に立ち尽くしていると、
「キミね、
本物のサーファーを目指すのなら足裏を鍛えなさい」
補足するように教えてくれた。

その教えは真言となった。
他にも真言になったものはいろいろあるが、
ボードは地面と平行に持たないこと、

ボードラックを使わない、
幼稚園生みたいな帽子をかぶらない、

やたらとサーフボードを洗わない、
そしておしゃれして好い酒を飲めということだった。

わからなかったのは、
競泳用パンツでサーフするのがセクシーだとおっしゃっていたが、
いまだに私はそのいでたちでサーフしたことはない。

あれからサーフボードはさらにペラペラとなり、
フィッシュ回帰があり、
ファンボードはミッドレングスへと名を変え、

またシングルフィンに光が当たり、
ログやグライダーも一般的となったけど、
薫さんの教えはいまも有効で、
そして真のサーフィンの教えがその中に散らばっていた。

それらのことを思い出すたびに、
あのギラリと輝くワイングラスと、
薫さんが笑ったお顔を思い出す。

――薫さんを見かけなくなって少しすると、
世の中は小麦色の肌は良くないとされ、
美白がよろしいということになった。

けれど、
そんな流行に踊らされない信念を得たのも薫さん由来だ。

私はたくさん日焼けし、
波に乗り続けている。

逗子サーファーズに行くと、
泰介さんはステキなシャツを着て白ワインを飲んでいた。
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サーフ関係よろず相談 NAKI

掲載:BADFISH Kaoru Ohno
https://store.salt-mag.jp/items/123775473
【PROFILE】
⼤野薫(Ohno Kaoru) 1951年2⽉19⽇〜1999年8⽉30⽇
プロサーファー、編集者、エッエイスト、ショップオーナー
ʼ70年代初頭〜ʼ90年代にかけて、時代の先を⾒据える鋭敏な感性と、天才的ともいえる⽂章⼒・表現⼒で、⼀つの時代を切り開いたサーフヒーロー。お洒落で、やんちゃで、それでいてナイーブで、⼥性にはめっぽう弱い。男⼥に関わらず誰にでも愛される、少年のような⼈だった。惜しむべきは傑出した才能を持ちながらも、誰もが知り得るような著名な功績を残してはいないことだろう。ただ、彼が残した無名の信条や世界観は、今でもサーファーの中に⽣き続けている。あるものは、スケートカルチャーの礎を築き、あるものはビデオグラファーとしてサーフムービーの新たな境地を開き、あるいは挫折し夢破れた⽣活の中、⽇々の⼩さなこだわりの中に⼤野薫が残したスタイルの⽋⽚は潜んでいるかもしれない。サーファーの間では、波の上での⾝体表現から、世界観、フィロソフィー、信条に⾄る「⽣き様」に近い表現として、スタイルという⾔葉が使われる。⼤野薫が今でも愛され語り継がれている理由、それは彼が最⾼にスタイルのあるサーファーだったからに他ならない。
●⼤野薫の魅⼒
・詩的でセンスあふれる⽂章⼒
・サーフィン界の未来を⾒通す知的でジャーナリスティックな感性
・常に⾃分より若い世代に興味を持ちフックアップする姿勢
・ファッションやカルチャーへの感度
・やんちゃな中にあるナイーブな⼀⾯
・カルチャーの垣根を超えていくボーダレスな感覚
●⼤野薫の功績
・アメリカ⻄海岸のカルチャーを輸⼊し、独⾃の解釈を加えて、⽇本におけるサーフカルチャーや⻄海岸的ライフスタイルの礎を築いた
・芝⽥満之とともに『Daze』を刊⾏し、それまでになかったカジュアルな装丁と写真に⽂章が添えられた体裁で、後に多くのフォローワーを⽣む写真集の⽅向性を⽰した
・サーフィンから得られるインスピレーションを、⾃⾝のアイデンティティとして創作活動に活かし、クリエイティブに⽣きるというライフスタイルのロールモデルとなった
・仲間とショップを開き⾃⾝でアパレルやプロダクトデザインを⼿掛けるという⽣き⽅は、後に⽣まれる若者によるドメスティックブランドの先駆けともいえる
・国際的な交友関係と視野の広さを持ち、⾃⾝の連載では批判を恐れずにサーフィン業界の構造的問題に切り込むなど、⽇本におけるサーフィンジャーナリストの先駆けとなった
◎
