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naki's blog

パノラマ&正方形インスタグラム_私が波乗りを始めた頃の回想記【完結編】_(4202文字)

 

CW_6583

Christian Wach Canvas Purchase 9’11”

インスタグラムで遊んでいました。

三コマを横に並べてパノラマ。

それを3つつなげて九コマ正方形。

なかなかのジマン作となりました。(笑)

詳しくはinstagramのnakisurfページでご覧ください。

IMG_9588

さて、

昨日、そして一昨日ここに私が波乗りを始めた頃の回想記【前編】を書きました。

回想記【前編】

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/61613

回想記【中編】

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/61626

今日は完結編です。

あらすじは、

駅のソバの丸井でニューボードを買ったKさんが、

17歳のボクを真夏の千葉に連れていってくれました。

そのボクは、少し前に白子海岸でブギーボードで波に乗って、

とってもサーフィンに恋い焦がれていたときであります。

そしてKさんがそのボードをボクに貸してくれることになりました。

ken_bradshaw_main

そのケンブラッドショーのシングルフィンを抱えて沖に向かうと、

海は前回の白子よりも倍くらい冷たくなっていた。

波のピーク部では水深が胸くらいあって、

膝くらいの高さしかないはずだが、

波が来ると、その高さは背丈以上に感じられる。

けれど、その背丈波を何本かやりすごすと、

前回は一度も見えなかった水平線が見え、

ある程度まで沖に出ると波は崩れることもなく平穏そのものだった。

遠くに見える積乱雲。

前回と違って静かな海。

岸側に移動して、

あのときの要領で腕を回して波に乗ると、

柔らかくて短いブギーボードと違って、それは硬くて長いサーフボード、

あれあれと簡単に波に乗ることができた。

でもテイクオフはドーン、と波を滑り降りる例のスタイルで、

腹ばいのままずっとずっと滑っていった。

前回と違うのは、

波が平均的にずっと続いていることだった。

泡も消えないで左右一直線にずっと残っている。

そのまま泡波を滑っていって、

10mくらい行ったところで立ち上がってみると、

おお!

立ててしまった…。

そのままヨロコビながら滑っていくと、

ボードが底に乗り上げてしまい終了となった。

やった!

立てたこともそうだが、

こんなにも安定した平均泡波があるということがうれしくて、

楽しくて、おもしろくて、感動し、走るように沖に戻っていく。

うれしかったのか、

あせったのかはわかならいが、

沖に出るのがもどかしくなって、

途中で泡に背を向けてそこから「押し乗り」をした。

これは立ったままで波のタイミングに合わせて掴んだボードを押し出すと、

それは簡単に波に乗れることがわかった。

波に押されて安定してから立ち上がる。

岸で見学していたおかげでコツはなんとなくわかっていた。

ーー何本も乗っていくうちにーー

膝を傾けると、右に曲がっていくことを知った。

私はレギュラーフッターなので、

太東岬のほとんどの波がライト、

つまり右に乗っていく波だっただろうから、

乗っていける距離がこれで格段に伸びていった。

泡波バンザイ。

サーフィン最高!

もう俺は一人前のサーファーだ。

あの知り合いの人みたいにはったりではなく、

ちゃんと波に乗っているんだ。

そんな想いが体を満たしていた。

そして、この時代のサーフィンは、

やたらとかっこよく、

だけどとても危険なものとされていて、

さらには未知なもので、憧れが強いものであった。

作家の片岡義男さんは、

さぞかしすごいサーファーだと国民が信じていた。

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今と違って情報も少なく、

サーフィン話は雑誌からの受け売りがほとんど。

でもここにあるサーフィンは、

雑誌に載っていたハワイやカリフォルニアの波とは違うけど、

おだやかで、

バッティングセンターの球みたいに均一で、

とても簡単に乗れることがわかった。

うれしくて波に乗り、また乗っていると、

日焼けで顔が痛く、目も痛くなってきた。

視界がパチパチするので、

必要のないときはなるべく目を閉じていた。

そんなとき、

ひとりのサーファーが見たこともないスピードで、

波の、泡でない壁を滑っていた。

赤いボードに乗ったその人は波の上に上がって、

また下に降りてはどんどん向こうに滑っていく。

「あれをやりたい!」

そう思い、沖に出て、

その人がどうやっているのかを研究することにした。

沖で見る彼はやたらとかっこよかった。

だまって沖を見つめて、

サーフボードの先に手を置いていた。

スプリングスーツのロゴ、サーフボードの赤、

彼の仕草や身につけているもの全てに崇拝するような気持ちで崇めていた。

それはまた、人間ではないものを見ているようであった。

彼が波を待つ。

どうやらボードの上に座っている。

その真似をしてみると、何かが決定的に違うようで、

そんなことは絶対に不可能なほど不安定で、

グラリとしてすぐに沈没してしまうボク。

そしてパドリング、

その人は静かに腕を回すだけで、ものすごい速度で動いていく。

自分のとは根本的に違うことがわかり、

「これは真似してみてもどうにもならない」

そう悟ってしまった。

仕方がないので、また足の付くところに戻って、

それまでと同様に押し乗りを繰り返していた。

そこにその赤いサーファーが乗ってきて、

ボクの真横でクルリンと回った。

それが360(スリーシックスティ)だということは今はわかるけど、

そんなことが波の上で、

しかも自分が乗っているこの小さな波の上でできることに感動し、

サーフィン世界はどこまでもどこまでも広いということを知った。

その後、小さくてパーフェクトな波が来て、

1秒間だけ波の壁を滑ることができ、

猛烈に感動して、さらにさらにと乗っていたら、

Kさんが浜にやってきて大声でボクを呼んでいる。

「よーし、Kさんにこのスバラシ乗りをお見せしよう」

とばかりに波に乗って、その日一番のターンをしようとした途端、

膝を曲げすぎたようで、体が傾きすぎて耐えられずにドップンと落ちてしまった。

「ぐやしい。でもうれしい」

立てたのをKさんは見てくれたであろうから、

うれしさ満開で近づいて行くと、

「帰るぞ」

とそれだけ言って、背中を向けてしまった。

何かに怒っている。

多分、ずっとKさんのボードでやっていたからだろう。

車に戻ると、

Kさんはエンジンをかけていたので、

慌てて帰り支度をするボク。

ボードを彼の青いキルティングのケースに入れて、

それをルームキャリアに固定して、

さっと着替えて助手席に乗り込むと、

冷えた体にエアコンがやたらと寒く、ブルブルと震えてしまった。

窓だけが暖かいので、

そこに手を付けて息を止めるようにしていたらすかいらーくに着いた。

距離的に茂原のあたりだったのだろうか。

そこは千葉方面に向かって街道沿い左側にあった。

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(写真はイメージで、当時のものではありません)

今でもガストとしてあるのだろうか。

気づいたらお腹がぺこぺこで、朝から何も食べていなかった。

Kさんはお腹が空いていて不機嫌だったのだろう。

車外に出ると、その暑さがうれしかった。

店内に入るとまた寒さが戻ってきた。

次の波乗りのときはジャケットを持ってこよう。

そんなことを何度も考えていた。

ハンバーグ定食を注文し、クリームソーダも頼んだ。

料理が来るまでの間、

あの最高だった波乗りの話をKさんとしたいのだが、

彼はなかなか口を開かない。

まだ怒っているようだ。

でも波乗りがこんなにおもしろいとは思わなかった。

これからは波乗り命である。

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(写真はイメージで、当時のものではありません)

バイクはもう本気で乗らずに、これからは波乗りを真剣にやろう。

まずはボードを手に入れて、

バイクには積めないから車の免許も取らないと。

バイトの時間増やせるかな。

そういえばサーフボードはケースに入れたら電車にも載せられるって、

新聞に書いてあったな。

Kさんはもう二度とボクと海に行かない気がする。

そんなことを考えていた。

大盛ご飯をお代わりして、

最高の食事が終わって車に戻ると、

少しだけ機嫌が良くなったKさんが

「そうだ、サザンの新しいLPあるんだぞ」

とカセットを入れた。

そこから流れてきたのが「マチルダBABY」で、

真向に立つ悪魔の要塞
見張る男はでかいのなんの
君が捕われの身なんて たとえ夢にも思えない I say

It’s just a fantasy, oh oh
夢ならはよさめて
It’s just a sympathy, oh oh
Hey little girl, I say, “C’mon”, little girl
逢いたい気持ちが So much more
言葉では言えないほどに
体がふるえてやまぬ マチルダ・ベイビー No, no, no…

という奇っ怪な歌詞と、

リズミカルなメロディがその時の自分の気持ちに妙にマッチして、

今も忘れられない楽曲になった。

「夏のサーフィン」を思い出すときは、

いつもこの曲なのであります。

それから色々あって、

結局次にサーフィンできるのは18歳になってからなんだけど、

それはまたいつか書きます。

そしてサーフィンを始めるまでのあいだ、

勉強しようと思い立ち、ボクはこんな本を買った。

「サーフィング・ザ・マインドコントロール」

サーフィング・ザ・マインド・コントロール

ここにはサーフィンの教えとなる全てのことが書いてあって、

後に知り合うことになる抱井保徳さんやデビル西岡さん、

マメ増田さん、添田さんに加えて、

いつか大好きになる奄美大島の写真が誌面を飾っていた。

「テクニックだけではない」

という思想がみっしり散りばめられていた大切な教本だった。

1億人がサーフィンと口語表記だった時代に、

きちんとSURFINGと記していたことに本物を感じた。

すごいよ津田さん。(著者、編者)

この本をずっと大切にしていたんだけど、

引っ越しに次ぐ引っ越しでどこかに行ってしまった。

古書屋を回ったときに探しても皆無。

インターネットでなんでも見つかるこの時代にも関わらず、

どこにも見つからず、今は図書館に数冊あるだけのようです。

誰かお持ちでしたら今度、

フィッシュフライやグリーンルームのときに見せてください。

syugei_nakisurf

いつかみなさんの佳き時代のことを聞かせてください。

もう二度と戻れないし、

同じことは起きない大切な時ですね。

どうぞすばらしき週末をお迎えください。

今日もNAKISURFにお越しくださってありがとうございました!

当時大好きだったバカボンを置いておきます。

天才バカボン