年の瀬。
寒いですね。
最低温度を見ていくと、
東京と南カリフォルニアの気温は同等程度で、
摂氏4度前後であります。
この冬は、
暖房器具がないところにいるのだが、
長く寝ていられないほどしんしんと冷えてくる。
修行のようで、鍛錬のような。
やたらと寒い冬の入り口です。
冬至は過ぎたから、
日照時間が春に向かっているというのがじわりうれしい。
今朝は熱い柚茶をいただいた。
しかも自家製のものだから感慨ひとしお。
自炊はすばらしい。
クリスマス前後のリンコン時代が終わった。
メジャーが苦手なので、
今回こそは別のブレイクでサーフしたかったのだが、
あいにくうねりが小さく、最終日はセットで膝。
オバケサイズで腰あるかないか。
サンクレメンテ周辺を含む他地域のブレイクも小さく、
ただ、
ソルトクリークは同時間に胸サイズあったそうだが、
風が悪かったと聞いた。
今年のクリスマスは波を外し、
毎年続いていた
“クリスマスには波が良い”
という不思議現象が終了した年でもあった。
「人の望み通りには波が来ない」
そんな自然現象に戻って、
ほっとしたクリスマスでもありました。
期待と幻想の波。
ケリー・スレーターの人口波が普及すれば、
自然の波がいかに貴重で、
不揃いなのかを知ることになるだろう。
□
さて、
少し前にずっと行っていた石垣島。
「南島」と名を変えて、
その模様はここでお伝えしていた。
そこでそれはたくさんのすばらしい友人たちを得て、
ジンジャーシロップとか、
南島のパワーをNAKISURFでもご紹介していたと思う。
ありがたいことに津村さんの、
海の前にある個室をお借りして快適滞在していたのだが、
ぷっつりと行かなくなってしまった。
理由はひとつだけなのだが、そのことは今日は書かない。
なぜこの石垣島を愛するようになったかは、
ガンちゃん(元ハワイアングロット)に
ご紹介された仲田かおりさん(彩風)
の島唄を聴いたからだと思っている。
じつはそのとき歌詞の全てはわからなかったのだが、
「こんな意味だろうか」
そう妄想してしまったほど好きになってしまった。
これを歌う人、この曲が好きな人、
石垣島を擁する八重山諸島を愛する人たちにそれぞれの単語、
特にイラヨイマールの意味を聞き、
この歌詞の意味を解釈してきた。
ちなみにこの詩を書いたのは、これも石垣島の大島保克さんで、
作曲はBEGINの比嘉栄昇さん(石垣島)。
私の見解を歌詞のあいだ、斜体文字で置いておきます。
よろしければ読んでください。
□
イラヨイ月夜浜 irayoi Tsukiyo hama
.
唄者達の夜がふけ
踊者達の夜がふけ
太陽のあがるまで舞い遊ば
イラヨイマーヌ舞い遊ば
.
唄って踊る人たちの夜が更けていく
太陽が上がるまで、
イラヨイマーヌ(愛しい、なつかしさを想うこころ=宮古島古語)
舞って遊びましょう
.
月夜浜には花が咲く
ゆりのような花が咲く
青く白くもえてよ
イラヨイマーヌ花が咲く
.
月夜浜(石垣島の嘉良くん家付近と言う)には、
百合のような花が、青く、白く燃えるように咲きます。
愛おしく花が咲きます。
.
イラヨイマーヌ桃の花
イラヨイマーヌキビの花
イラヨイマーヌ木綿花
イラヨイマーヌ花が咲く
.
愛しい桃の花
懐かしいキビの花
美しい木綿花
感動的で大切な花が咲きます。
この歌詞付近で、
月夜浜から石垣島を俯瞰し、
さらには八重山諸島を見渡せる高さまで上がっていきます。
.
月ん灯ん波に受け
戻し戻されくぬ浮き世
大和世まで照らし給り
イラヨイマーヌ照らし給り
.
波間に揺れる月灯りの美しい世界
(ここだけではなく)
日本全土(本州)までも照らしてください。
月は、世界のどこからでも見られる状況です。
その解釈の広さを持って、
ここ(月夜浜)から日本の太平を祈ります。
.
イラヨイマーヌ波にぬれ
イラヨイマーヌ流されて
イラヨイマーヌ照らされて
イラヨイマーヌ流されて
.
今まで美しかったイラヨイマール。
この歌っている場所(愛しい月夜浜)が、
波に濡れ(泣いて)
流されて(海がなくなって)
照らされて(元気になり)
流される(また存在を失い)。
これは八重山諸島のみならず、
抗えなかった沖縄の歴史を歌っている気がします。
.
イラヨイマーヌ大和ぬ世
イラヨイマーヌ沖縄ぬ世
(イラヨイマーヌ花が咲く)
イラヨイマーヌ宮古ぬ世
イラヨイマーヌ八重山ぬ世
(イラヨイマーヌ花が咲く)
イラヨイマーヌ大和ぬ世
イラヨイマーヌ沖縄ぬ世
(イラヨイマーヌ花が咲く)
イラヨイマーヌ花が咲く
.
本土、沖縄、宮古に、
そしてこの八重山が美しく(上記した花に例えて)、
大切で太平であり続けますように。
□
この唄で、
八重山の人たちは、
月夜の海で歌う唄者が見えるすばらしい情景だけでなく、
さらには本土を照らすようなやさしい心を歌う人たちに感じられたのです。
だから旅行者を超えて、
石垣を、八重山諸島を愛するようになったのです。
八重山のみなさんお元気ですか?
また機会を見つけて遊びに行きますね。
いつまでもイラヨイでいてください。
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