今日は昨日の続き、
中編です。
1973 (approx.) The Original Bonzer
以下のボードは去年、
全て2015年に乗ったものだが、
こうしてみると、
かなりの頻度でシングルフィンに乗っていたことに気付いた。
千葉北ノースタイガー(北東浪見)
Tyler Warren’s 6’4″ Tracker (single fin)
その昔、シングルフィンのことは、
“むずかしい”サーフボードだと信じていた。
なので、コンテスト時代には、
6’4″のシングルフィンがあり、
パワーリスト(©リングにかけろ)
大リーグボール養成ギプス(©巨人の星)
カリン塔(©ドラゴンボール)
のようなものとして使っていた。
Nation Hot Doggin’ Loggin’
けれど、
わかったのは、シングルフィンは、
トライよりもクアッド、
そしてツインフィンよりも”簡単”ということ。
さらにシングルフィンのときは、
ほとんどワイプアウトはしないということを確信した。
Nation The Pink Champagne on Ice 6’11″ish
このことが何を意味しているのかというと、
「シングルフィンの世界がある」からだろう。
1970’s single fin at Surfer Magazine
シングルフィンは、
テイクオフする瞬間にその独自のラインが出現する。
逆に言うと、そのラインを見たいから、
知りたいからシングルフィンに乗っているのかもしれない。
Nation The Pink Champagne on Ice 5’11”
そのラインに乗っていれば、
ワイプアウトどころか、
夢で見たような波乗りができる。
クアッドやトライ、
またはツインだとこうはならないのは、
ボードの性能があまりにも良いあまり、
「欲」が出現し、
その欲がターンの強さ、
すなわち傾きすぎるボード角度に発展するからだろう。
傾きすぎるボード角度は「ワイプアウト」を意味している。
1970’s Single fin.
それがシングルフィンだと、
自身が落ち着けて、
自分の丈に合ったターンをしたくなるから平穏となる。
Tyler Warren’s Functional Hull 6’10”
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
これは日本の三大随筆とされる鴨長明の『方丈記』の冒頭だが、
これは何を言っているのかというと、
『無常観』に他ならない。
波乗りは、
波瀾万丈というか、
常に先の見えないドラマ。
さらには波の有り無し、波の形、
質、風、地形、うねりの角度等等。
それらすべての複合で成り立っているのが波。
それに乗るサーファーたちは、
いつも無常観を心に抱いているだろう、
そう断定してみると、
その真理が自分に入ってくる。
その気持ちを持って、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
を再び読んでみる。
「常に形を変えるのが波、しかも、もとの水にあらず」
こうなってくるのだろうか。
こうして無常観を自分の身近なものに例えてみると、
心の平静がやってくる気がしてならない。
「穏やかに生きていたい」
最近は特にそう考えている。
波が大きかったりすると、
穏やかではいられない気がするが、
大きくなればなるほど、
私の心は研ぎ澄まされるようで、
そしてとても穏やかになる。
で、道具話に戻ると、
そのひとつの答えがシングルフィンのピュアラインだと、
この項を書いていて突然理解できたのです。
波乗りとは、遊びであり、スポーツであり、
生き方やレジャーだが、
宗教のような不思議な要素や含みを持っているのは、
波が、つまり海が、
とてつもなく(精神的に)大きなものを私たちに教示してくれているからだろう。
改めて、波乗りを深く愛することに感謝する2016年の始まり。
(明日の後編に続きます)
□
[お知らせ]
オルタナティブの旗艦誌であるBlueの最新号が発売となりました。
ご存じの方も多いでしょうが、
私はこの巻頭に連載コラムを持っています。
さらには、今年から文体を変えたので、
ぜひともご覧になってください。