photo by Brian Miller
Cole BLACK AND WHITE
5’10” x 18-3/4″ x 2-1/4″
Semi-Flat Deck
Single to Double Convave
トレーダージョーズに行くと、
(Trader Joe’s)
なぜか長い間生産を中止していた
『ベーコン&ほうれん草サラダ』が棚に並んでいた。
もう2度と食べることがないだろうと肩を落としていたので、
まとめ買いしたのは言うまでもない。
冬のあいだは一切食べたくもなかったお菓子類を欲するようになったのは、
春のせいなのか、それとも波乗りのおかげなのか。
ブライアン・ミラーとフォードGT。
ヒマワリ色が291。
タイラー・ウオーレンがニュージーランドから戻ってきたので、
今週もNAKISURF分のカスタムオーダー分がたくさん完成してきました。
どうぞお楽しみに!
メキシコ人しかいないメキシカン屋。
私はマヒマヒ(シイラ)ブリトーを注文し、
タイラーは自身のカスタムオーダーだった。
メキシコでは定番飲料のカンタループ・フレスコというのをタイラーに勧められて飲んだが、
小さい頃に銀座三越地下2階で飲んだメロンジュース400円とまったく同じ味で、
それに驚いたサンファン・キャピストラノ市。
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さて、連載企画の第19回目です。
最初から読みたい方は第1回であるこちらをご覧ください↓
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カリフォルニアから帰ってきたボクは、
その短く、幅広のボードのすごさを確認した。
で、なんとかそれを複製しようと、
鎌倉市寺分にあった長沼サーフボードを訪れて、
シェイパーの下重さんにお見せすることに。
カリフォルニア好きのシェイパーと、
そうでない人がいることに気づいたことまで書きました。
前回、18編はこちらです。
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【特大号】16秒の南うねりは伝説的なフォードアーズ_ブイ計測値のおさらい_私の波乗りの歴史_第18編_昭和64年の長沼サーフボード_(4784文字)
日本と波質がほぼ同一のカリフォルニアを意識するようになると、
膝波が楽しくなった。
ハワイのときは、大波ばかり気にしていたが、
湘南は小波日が多かったので、
晴れた日は、サンクレメンテ気分でサーフしていた。
コンテストにも勝てるようになり、
けれどあちら風の波乗りを真似してもジャッジの評価は低かった。
(自分の波乗りに原因があった)
そこで、
1970年代のハワイアンクラシックとカリフォルニアを混ぜたら少し良くなって、
そんなつもりでやっていたら周りはボクがドノバンの真似をしているという。
他の友人は、
ブラッド・ガーラックにも似ているというので、
彼の波乗りも参考にし、
さらにはトム・カレン、ラリー・バートルマン、
マット・アーチボルドも入れて、
グレイトサーファーの寄せ鍋みたいにしようとしてみたが、
体幹筋力というのが欠けていたことに気づき、
茅ヶ崎の1号線沿いにあったスポーツセンター”パルバル”に行ってトレーニングしていた。
ノーズライドをしているビデオを見ると、
願ってもいなかったハービー・フレッチャーのようで、
友人たちには、
「ハービーの真似までするのはやり過ぎだ」
そう注進されたので、
「違う、これはハービーの師匠フィル・エドワーズだ」とごまかした。
波乗りの知識と情報が格段に増え、
それを体現することによって、
詳細に入り組みつつ、波乗りのレベルはアップしていった。
自称波乗り博士とも化していた。
雑誌のバンクナンバーやビデオが教材で、
新しいものが出ると、全てを完全記憶するまで見続けた。
テーラー・スティールという秀才フィルマーが、
ケリー・スレーター、シェーン・ドリアン、ロブ・マチャド、
カラニ・ロブたちを主役に使い、モメンタムがリリースされた。
これは茅ヶ崎のプロスペクトたち、
つまりヨゲ(カラーズマガジン)や脇ゆうじ、
モテギ、カズヤたちの世代どまんなかだったらしく、
世間はモメンタム一色となった。
ニュースクールの登場である。
私はどちらかというと、
こういう激ターンのツギハギ映画というより、
ウエイブウオリアーズのようなアート系が好みだったようで、
一応は世間に迎合しつつ「モメンタムすごいぜ」と言っていたが、
じつのところそこまで好んで見なかった。
そんなとき、サーフフィルム界の天才ジャック・マッコイが、
新作『バニャップ・ドリーミング』を大々的にリリースした。
一瞬、「これだ!」とドキリとしたが、
バリー”マンガ”バリーやオッキーの波乗りも良かったけど、
オーストラリアの荒野波が好きではないのか、
何が理由かはわからないが、なぜだか自分の琴線に触れなかった。
動悸と息切れがするものを、と感じていたら
『インザウインド』が登場した。
この作品内にあるカリフォルニアシーンがすばらしく、
「乾いた大気を切り裂く波乗り」をしたいと夢見がちな日々を過ごした。
サーフィンを始めたときよりもさらに波に乗ることの委細を求め、
ターンの種類が格段に増えていった。
もちろん毎年ハワイ、またはカリフォルニアに行くことは続けていた。
こうなってくると、アメリカに定住したくなった。
ニュースクール技であったバックサイドリバース360や、
京都琴引浜で開催されたプロクラストライアルに合格して、
茅ヶ崎の家に戻ってくると、
そのポスト内に分厚い国際郵便が入っていた。
その中には大量の申請書があり、
近くに住んでいたオーストラリア人のマーク・マクガフィンに見てもらうと、
どうやらUSAグリーンカードが抽選で当たったようだった。
「アメリカに住める」
どうしようもないほど願っていたことなのに、
なぜか現実的ではない、
そんな不思議な感覚に包まれながら、
鎌倉から越したばかりの、
茅ヶ崎のチサンホテル付近に借りていた家を解約し、渡米することになった。
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次回20編に続きます。
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