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私の波乗りの歴史_第1回_(2282文字)

IMG_1611

波に乗る、つまりサーフィンを知り、

実際に波に乗ってみたら人生が変わり、

51歳を越えて、なおまだその希求は増している。

波乗り、つまりサーフィンが、

サーフィングと正式な表記となり、

そしてさらに波乗道になり、

ウナクネトレーディングカードまで登場し始めてからのイロイロをここに記しておくことにする。

また例によって長くなるのもあれなので、

それはいつかに譲るが、ここに簡単に書いてみることにする。

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波に乗る以前

東口のエキマエにあった月賦の丸井で、

ライトニングボルトのタオル地の鼻緒まで虹色のレインボーサンダルを発見し、

「うーむ、サーファーになると、こんなカッコイイものを履けるようになるのか」

サーフィンに対して畏敬の念を抱くと共に

あまりにもハッピーな虹色に感銘を受けた3階紳士服売り場だった。

ちなみにそのサンダルには2800円という高価な正札が付いていた。

(おそらくライセンス製品だったと思われる)

rainbow_sandal

筆者注:

当時は「陸(おか)サーファー」というファッション風俗があり、

それは波に乗らないのに、

波乗人を演出する若者が多かったことに由来している。

で、サーファーファッションの基本は、

「波乗りしている人が着ることができる」

そんな空手の道場着のような考え方であった。

なので、上記した考え方に帰結するのは当然のことでありました。

さらにここにあえてゲップとショウフダという2つの死語を入れてみた、

ちょうど世間は、

およげタイヤキくんの大ブームに包まれていて、

早熟だった私は、

ニール・ヤングと、ABBA、イーグルスをFM曲からエアチェックし、

それを大切なTDKクロムポジション (Type II) のテープに録音し、

さらには曲名を調べるためにFMファンという月刊誌までも購入していた。

後に大ファンとなるビリー・ジョエルはまだデビューすらしていない。

popeye_rainbow_sandal_tropical

参考:トロピカル松村さん(Blue誌現栄誉編集者)

http://tromatsu.doorblog.jp/archives/29759317.html

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波に乗る

まずは白子で貸ボディボード。

ややあって、

Kセンパイに連れられた太東岬でケン・ブラッドショウのシングルフィンに。

七里ヶ浜で本格的にサーフィンに打ち込む。

(詳しい顛末は本文最後に3部作のリンクをつけておきました。

合計1万字もあるので、お時間のありますときにぜひ)

この頃はサーフィンは楽しむものではなく、

もう少し武道的な観念があったように思える。

それほどまでに海は危険で、真剣に対峙しないといけないものだった。

このとき、私が参考にしたのは、

KCマガジンコミックスの名著

『空手バカ一代全29巻』である。

大きな波にやられても、

たたきのめさても、

なお立ち上がる若き日の大山倍達に自分を重ねることで、

意思の弱い私でも恐ろしい波群に立ち向かえたと、今も感謝している著です。

ちなみに国鉄池袋駅に行った際に、丸井の5F奧にあったサーフィン売り場に行き、

そこに崇められるように陳列され、

さらには販売されていたアランバーンの6チャンネル・ディープシングルフィンを見て、

「上手になれば、これに乗れる」

そう確信めいた光の啓示を受けたボードでもあった。

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果たし合いに出場

NSA主催の全日本選手権。

当時は、

長沼サーフボードでシェイプをしていた下重さんからボードを提供していただいていた。

これもすでに死語だが、テストライダーというヤツである。

それをやっているヤツは、

コンテスト=波乗り競べという試煉があるという。

この成績いかんでは、翌年のボード本数や、

ライダーの扱いが低くなり、さらには見放されるという罰まであった。

その恐ろしいタタカイの最高峰はゼンニホンというのもので、

そのシブヨセンというのが春にあるから、

えーキミも登録しつつ、エントリーして出場し、良い成績を修めるように指示された。

もちろんお世話になっていたDセンパイや友人たちもみんな出るというので、

そのシブヨセンに向けた練習を兼ねて、

南房総の岡田修平さんのお膝元、

和田はロス前で開催されたコンテストのBクラスというのに出てみた。

「12分の間にたくさん良い波に乗ればいいのだ」

そうやって大きな自信を付けて、

支部予選のウエイティング期間に入った。

今でもたまに「シブヨセン明日あるかな?」

そうドキドキして眠れなかった6畳間の土曜夜を覚えている。

ちなみに片瀬海岸は、

腰越寄りにあったマクドナルドの真裏に住んでいたので、

たいていの土曜深夜は、暴走族の騒音であまり眠れなかった。

上記したように『空手バカ一代』の読者でもあったので、

このサーフィンの試合は、巌流島に向かう武蔵の気分でもありました。

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ここまで書いてすでに2000字となってしまったので、

ここからは明日に続きます。

私の波乗りの歴史_第2編_サンクレメンテ近況_(3026文字)

こちらサンクレメンテは、

月曜日から続いていた嵐が去ろうとしています。

今日もみなさんの良い日となりますように。

 

冒頭に書いた3部作のリンクをこの下においておきます。

なぜ波に乗るのか?_私が波乗りを始めた頃の回想記【前編】_(3222文字)

私が波乗りを始めた頃の回想記【中編】_ものすご人気のキャッチサーフ2015、先行予約を受付中です!_(2815文字)

パノラマ&正方形インスタグラム_私が波乗りを始めた頃の回想記【完結編】_(4202文字)


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