中国の小説『西遊記』には、「三蔵法師」が登場する。
だが、三蔵法師というのは一般名詞であり、または尊称であって固有名詞ではない。
西遊記の三蔵法師「玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)」は、
数ある三蔵法師のうちのひとりである。
「三蔵法師」という称号を歴史的に見た場合、
すでにインドで経論律の三蔵に通暁(つうぎょう)した僧侶を
「三蔵法師」と呼んでいたとされる。
(手前は元祖ウナクネ宇宙人である勝又さん)
中国でもこれにならい、
南朝宋(420年~479年)代の求那跋摩(ぐなばつま)がその用例の始まりとされる。
なので、ウナクネ(オルタナティヴ・サーフ)流を貫き、
玄奘三蔵のようにインドではなく、
ワイキキとカリフォルニアに渡り、
経蔵・律蔵・論蔵に長けたYoheyさんが三蔵法師と呼ばれるのは、
自然の流れに沿ったものだと感じられる。
ここで三蔵の経・律・論(きょう・りつ・ろん)について少し。
経とは、 釈迦の教えをまとめたもの
律とは、規則・道徳・生活様相
論とは、経と律の解説と説明
とすると、私たちサーフ界にそれを当てはめてみると、
経とは、 デューク・カハナモクの教えをまとめたもの
律とは、規則・道徳・生活様相
論とは、経と律の解説と説明
このサーフ界の釈迦=デュークは、
世界にサーフィングの楽しさと、
「幸せに安全に波に乗ること」を伝え続けた。
イギリスの王子やエルビス・プレスリーまでも彼の生徒に含まれるというのだから、
いま現在、サーフィングがこのように存在しているのは、
彼の影響によるもの、そう書いてしまっても誰も異論ははさめまい。
とすると、このサーフ界では、
教本やお見本書、美術書の類は多数あるが、
原典であるデューク・カハナモク書がない。
ウナクネ界の三蔵法師と呼ばれるようになるわけだから、
Yoheyは幼少時から、そのウナクネ思想を持っていたのだろう。
山下達郎さんのシュガーベイブに傾倒し、
大瀧詠一さんとのナイアガラ音頭に胸ときめかせる中学生。
さらには『英語』を勉強するや否や、
真の波乗りの研究には、原典に拠るべきであると考え、
聖地巡礼を志し、ホノルル空港を経てサウスショアに至った。
当時の波乗り王であるトム・カレンは、
カリフォルニア出身で、
後にウナクネ派になることも手伝い、
Yoheyは、次の聖地はカリフォルニアだと確信し、
サンディエゴに渡り、大学生というルートを辿って、
カリフォルニアでの旅を続けた。
エンシニータスでは、ロブ・マチャドに学び、
そしてウナクネ界のアナキン・スカイウオーカーとされるジョエル・チューダーとも出会い、
さらに私とも邂逅(かいこう)し、大学卒業後帰国した。
1995年のことである。
彼は国外から持ち帰った”真のサーフィング伝達”を第一の使命とし、
サーフメーカーで働き始める。
しかし、激務である。
時間がない。
時だけが過ぎていく。
そんな中、Yoheyは、
ウナギクネクネ(オルタナティヴ・サーフ)広報部長であるCOLORSマガジンのヨゲさんと知り合い、
さらには私と再会し、
20年前に聖地で見聞した諸々の情報を詳細に伝え、
これにヨゲさんと私が応ずる形で後に編纂された報告書が最近の『naki’s blog』であり、
『COLORS MAGAZINE』とささやかれ始めた。
手前味噌のようで恐縮だが、これらは
“真のサーフィング伝達書”の「新訳」(しんやく)となるべく歩を進めている。
ちなみにデビッド・ヌイーヴァからトム・カレンまでの時代を「新訳」。
ミッキー・ドラやムニョス、ナット・ヤング時代を「旧訳」(くやく)、
それ以前、デューク・カハナモク時代を古訳と呼ぶ。
“The best surfer out there is the one having the most fun.”
これはデュークの言葉だが、
「海の上で一番楽しんでいる人がベストサーファーである」
そんな思想、
これからのサーフ界では重要となってくるだろう。
みんな仲良く楽しく、
そして波に乗ることを”すばらしいこと”となるまで高まるように、
より多くの人に伝えたい。
ウナクネ=オルタナティブサーフィング
真剣=メインストリームサーフィング
必ず接点があるはずで、
間違いなく共存できるはずでもあります。
「ハッピーサーフィングをはじめよう!」
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