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naki's blog

【NALU】究極の波とは?_(2088文字)

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サーファーとして取材を受けることになって、波乗り精通系+新進気鋭監督と同行していた。サンオノフレの波を見渡せる丘の上にカメラを持って立ち、夕陽で暖色に染まってきたとき、彼がこう聞いてきた。

「NAKIさんにとって、究極の波はなんでしょうか?」

これは簡単に答えてはいけない質問だと思いつつ、波のことを最初に思い浮かべた。そして波乗りにまつわるさまざまな記憶が、走馬燈のように頭の中に浮かんでは消えた。

私は究極の波をずっと探し求めていた。”孤独の旅路(ニール・ヤング, 1972)”の歌詞に、“ハリウッドに(演芸、芸術活動への関心を示している)行き、レッドウッド(自然回帰志向を示している)にも行ったけど、まだ『本物の幸せ(ハート・オブ・ゴールド)』は見つけられない…” (当時の歌詞カードには、”金色に輝く純粋な優しい心を掘り出す”と書かれていた)そう、ニール・ヤングのように、究極の波を思想も含めて自分流に探していた。究極の波なのだから、自身のバックグラウンド、そして波乗りに対する方向性も重要だろう。そう思い、波乗り創始時代まで一気に記憶をさかのぼらせて、甚大で膨大な波質のことを思いだしていった。

私は最初に九十九里の遠浅波に乗った。そして湘南鎌倉の波に毎日乗れるように生活を設定した。そこでは台風が来たらこうなった、とか、満潮干潮の違い、風によっての波質の変化等々、さまざまなことが起きていった。大げさに言うならば、究極の波は、常に刷新されるような毎日だった。もちろん、その時だけでなく過去に来た伝説の波のことを先輩に直接聞き、本で読んだりして想像を巡らせることになる。その伝説話の中で、大波に巻かれると30秒間も海面に上がってこられなかったと聞けば、実際に風呂の中で同じだけ息を止めたりもした。(笑)波に乗る行為が純粋だった頃、つまりインターネットもなく、さらには波情報ですらない時代。雪が降った翌日はなぜか波がある、そんなことを知っていく。春となり、砂浜に打ち上がった新ワカメを片手に家路に戻る海の恵みのうれしさ、新島の青く、強い波を知ったときの興奮、河口波のすばらしさ。そして日本を出て、バリのリーフブレイクで体験した偉大なる波々。その激烈と究極波路線は、ハワイのノースショアで極まるのです。そこからカリフォルニアの多様なる図鑑のような波に巡り会い、さらにはフィジー本島、サーファー未踏島の恐怖波、コスタリカの熱帯パーフェクトリーフ、カリブ海の冒険洞窟波(デビルズダンジョン=サルサブラバ)、エルサルバドルの岬波(群)を知り、はて、波とはここまで多彩で、それに乗ることができる遊び、いや人生とはどうなっているのだ?そう思いつつ、果てにはノースハワイ島にも住み移った。そこには南に急激海底隆起波&キッズが集う再生波があり、西には永遠に続きそうな波、そして北西には今だかつて見たことのないモノスゴビーチブレイクに行き着き、そこで起きた、起こったさまざまな事象、人との邂逅があり、波、海の崇高さをさらに知ったのです。巨大虹の大きさも濃さも。今度は自分の生まれ育った日本に目を向け、奄美大島、八重山諸島、大隅諸島、沖縄を旅してきた。

「究極の波は?」という質問には、”誰でも楽しくサーフできる波です”と答えた。それはありとあらゆる人、上級者から初心者の子どもも含めての波質。うねりの速度が遅く、遠浅、波面も柔らかく、怪我をしずらく、毎日、長期間サーフィングができる波。”すごい波”というのは、怪我という要素をはらんでしまう。なので、究極というのは、一瞬という時制ではなく、長期間という意味とした。で、その誰でもできる波が目の前のここ(サンオノフレ)なのですが、ありとあらゆるサーフボード、または浮き具に乗っています。「究極の波は乗るもの」でもある。そうやってつい先日行き着いたのが、「浮き具はいらない、だから何も持たないボディサーフでもよろしい」そんなことです。

少し話は変わるのですが、今から30年前のことです。私たちの大師匠である抱井保徳さんが、頻繁にボディサーフをされていました。そのときはその意味はおろか、ボディサーフは、ただ単に抱井さんの嗜好であろうと決めつけていた。けれど、実際にはボード浮力の極み、つまりボード浮力ゼロを体現されていたり、波を全身で感じることを実践していたりと、彼にとっての究極な波乗りを体現されていたのです。

「具体的には、サンオノフレやワイキキのような波が究極だと思っています」そう補足しながら、水平線に沈んだ太陽。その残滓の暖色を追っていた。沖からふくよかなうねりの線がゆったりと岸に押し寄せてきて、サーファーたちは、知ったスタイルで、それは個性的に波に乗っていく愉快。

十人十色。100人いれば100種類存在しているとされるのが、「究極の波」だろう。あなたにとって、究極の波はどんなものでしょうか?

(了、11/25/16)

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