Amamian Backdoor
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今朝のことだが、
コーヒーと
“ふちもち(奄美郷土菓子=よもぎもち)”をいただきながら、
最近撮った写真を見ていた。
そして、この作品で目が止まってしまった。
少しして、
『望郷』という言葉が浮かんだ。
なぜボウキョウなのかと考えた。
私がいた龍郷の、
龍=波に想いを馳せつつ、
この波に焦がれている自分がいたからだと理解できた。
この波はいつもあるわけではない。
けれど、こうしてここにある。
今ここに実在こそしていないが、
姿、形、重、量、そして速度。
そんな奄美バックドアだけが持つ、
独特なる海の突起が常に胸の中にある。
私が幸運なことに今この浜に立っているとしよう。
波がなかったり、
南風だったりすれば、
この波には乗ることはできない。
健康でないと乗れない。
真のサーフィンができないと乗れない。
波に乗る自分を浮かべ、
自身に説き、そして何度も問う。
乗れるのか
乗るべきか
そんなことが、
それにまつわることが、
*刹那(一瞬、または永劫)の間に明滅する。
(*刹那については、巻末リンク*1をご覧ください)
波がやってきた
波に乗る
波が変わった
波が無くなった
そんなことを考えていた。
サーフィンは波があるときにするものだけど、
こうして波から離れてみるのもいい。
波の写真だけで、
ここまで波を愛おしく思えるのだと知った。
『波』という月刊誌があったらいいのに、
そんなことを考えていた。
そうすれば、
波のことをさらに好きになる人が増えるだろう。
海を愛し、
それは川を遡り、
山に目が入るようになる、
Katoku, Amami Oshima
嘉徳海岸、奄美大島
Photo by @Yutogreen (グリーンヒル&カフェ)
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良い海とは、
陸地の隆起と交響していること。
海岸はおよそ2億年から500万年前かけて、
海流と季節風、
そして波と交わり、
そして生物は海と陸に育まれていた。
そこにやってきた人間たち。
2本足歩行の知的生物は、
動物たちや魚類がなしえなかったことをした。
「水が必要」
「貯水しよう」
そんなことになり、
堰を作り、そしてダムを作った。
すると、
それまで何万年も流れていた川があり、
その流れがせき止められて、
結果、海に砂が流れて来なくなってしまった。
海に砂が流れてこないと、
春には右に、
秋には左にと積もるようにやってきた砂がこなくなる。
すると、たった数年で海岸はやせ細る。
やせ細るということは、
人間の言葉で言うと浸食。
川をせき止めてしまったのだから、
海はやせ細ります。
これは自然の摂理です。
で、悪者。
どの物語でも、
どんな古典や教書、
聖書に至るまで欲望の化身みたいなものは出てくる。
2本足歩行の知的生物の中にもいて、
彼(彼女)らの特徴は、
後世、
または未来のことは問わず、
現在ということのみが中心ということ。
私たちと違い、
『現在・過去・未来』という脳の作りにはなっていないようだ。
人とは違う生物なので、
自分(たち)さえ良ければよく、
人がどうなっても関係ないようで、
ありとあらゆる海岸を『護岸』という名の、
人工物に変えて海岸を消滅させ続けている。
もしかしたらダムや、
それにまつわるものは魔物の仕業だったかもしれない。
人は誕生から20万年経つ。
どの時代も魔物の存在に気づき退治してきた。
奄美大島の太平洋側南に嘉徳という海岸がある。
奄美諸島の隆起が1億5000万年前だとされている。
1億5000万年かけて、
育んできた森羅万象、
自然の摂理を、
その2本足歩行の知的生物は、
護岸です。
「守るのです」
そう言いながら痩せた海をふさいでしまいました。
さてその嘉徳は、
日本の南では、
もうすでに無くなってしまった人工物ゼロの海岸であります。
集落があり、
その保全を守るためという名目で鹿児島県は、
ここに巨大堤防を作ることを認可してしまった。
実際には2016年に高さ8.5m、
幅530mもの超巨大堤防!を作ろうとしていた。
530mと言えば、
小学校の標準的なプールサイズ.の幅が12m
(×長さ25m×深さ1.2m)ですから、
その44倍以上あり、
長辺ですら、21倍もあります。
幅216mの東京ドームの倍以上あり、
そんなばかげたことが法案を通ってしまった鹿児島県であります。
だが、
それはあまりにもコンクリート会社と鹿児島県の癒着が透明化され、
もちろんだが、環境保護の観点から工事が見直されていた。
だがだが、
喜んでいたのもつかの間で、
それから二年間をかけて、
堤防話は水面下でひそやかに進みました。
超巨大ではなく、
巨大でなら大丈夫。
1/3のサイズなら大丈夫。
180mですから、
東京ドームの80%程度です。
小さいです。
ごくわずかです。
そんな護岸計画は、
今までの実績もあるのと、
県の担当者も魔物に洗脳された手下か、
または入り込んだ魔物によって、
この案件は鹿児島県内の全てを通り抜けて、
今工事が始まろうとしています。
市民、町民、
集落の人たちを欺いているのは、
護岸の「護」ではなく、
「滅」
滅岸とすればわかりやすいのだが、
それでは国民や県民、
さらには地域住民に
「”永遠なる滅岸”という名の海岸工事スパイラル」
よって、
この魔物にそそのかされて、
票田がたっぷりとありますよ
↓
この工事によって利益を得る人たち
そんな動きで各地がこのように進んできました。
ただ、
上記したように滅岸と書いてしまうと、
その企みがばれてしまうので、
護岸という巧妙なる言葉を使うのも魔術。
欲望というのは境がないそうです。
現在だけを見るように洗脳された人たちが早く気づいて、
人に戻ってきて、
より早く自然を取り戻せるように向かいましょう。
そんな求心を書いたのは、
いま巨大堤防建設が入れられようとしている海岸がある。
上記したが、奄美大島の嘉徳海岸だ。
巧妙である。
こういうことが起きないようにするための正義=役所もそうだ。
水戸黄門時代だったら、
これに関わったもの全てにこう言い渡すだろう。
「そのものたち、磔、打ち首、獄門である」と。
工事側も「仕事だから」と思わず、
「自然を破壊する仕事はお断り」
そんな気概を持ってもいい。
でないと獄門であります。
けれど、
もしかしてもしかすると、
この建設工事に関わる全員が、
魔物の手下なのかもしれないと思うと、
少しのあいだゾッとした。
現代の怪談である。
こちらに詳細がございます。
後の “ジュラシック・ビーチ”奄美大島・嘉徳海岸を 巨大な護岸建設工事から救おう!
Happy Life!!
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