新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

【サーフィン研究所:思想と科学】波に乗るボンザーという魂と真意_『心の中の波』の作り方(2277文字)

これはいつだかのインスタグラムに投稿したものだけど、

1973年本家ボンザーの複製で、

バックドア東側の波に乗る私が映っている。

コメントがズドズドとやってきて、

クリスちゃんや、

複製主のタイラー(巻末リンク*1)

キャッチサーフのビーフ、

ブラ師匠(ブライアン・ベント)

ドッキー(ドック)

そしてTRはコスタリカのトニー・ロバーツから、

3つの小さな螺旋さんは、

オーストラリアのバイロンベイと、

そしてもちろん日本の方からもいただき、

国際色豊かなコメントとなった。

ありがとうございました。

これは名瀬有屋町の名店コシナカラーの彰(あきら)くんが、

望遠レンズで撮ってくれたうれしき作品。

ボンザーの複製と書いたけど、

1973年製であろうという見立てのボンザーの複製。

しかもオリジナル。

タイラー・ウォーレン家のスタジオ天井に掲げられていたものでもある。

こういうことって、

きっと3Dスキャナーなどで完璧にできるのだろうけど、

私が彼にお願いした真意は、

こういう名品にはオリジナルの左右のレイルの違いや、

絶妙なるバランスが存在していて、

その良いところを、

または表裏陰陽南北を散りばめながらシェイプするだろうと思っていた。

例えば、右のレイルを採用するとかしないとか。

もちろんそんなことは言わない。

それはこちらの理想というか、

全くのファンタジーでもあった。

そして完成し、

サンファン・キャピストラノのタイラー家を経由し、

サンクレメンテのNAKISURF倉庫に届いた。

そこでリクによって梱包され、

LAXから成田空港に送られ、

NAKISURF千葉のハギウダがNAKISURFまで運搬した。

それをバリの山崎さんにお願いし、

奄美に来られる際に持ってきてもらったものであります。

大変な距離を一気に走ったサーフボードとなりました。

初乗りバックドア(巻末リンク*2)と、

それから台風2号で波が上がり、

夢波というか、

魔獣波に乗ったときに感じたことがある。

(巻末リンク*3)

大切なことだ。

重要なことでもある。

今すぐ友人たちと会って、

気持ちを落ち着かせてこの話をしたい。

で、書きものをしている人生でもあるので、

ここに書いて良いか、

BLUE誌で書こうか、

いやNALU誌だ、

(マックスに翻訳してもらって)

サーファーズジャーナル誌かと、大いに悩んだ。

けれど、

これはこのNAKISURF内で公開すべきだとわかった。

なぜならいつどこで何度書いてもこの真意、

深意、心意は褪せることなく、

必要としている人の心に届くからだ。

その感じたこととは、

.
波乗りは悟りであり、慈悲でもある。
智慧から真理を論理的に構成し、
実存的な技術を高めることができれば、
波に乗ることで精神世界への門を示し、
欲望と煩悩を混ぜ合わせ、求心に達する。
.

波乗りは魂だと聞いて育ってきた。

その元々の種子を植えたのは、

当時の優れた書物だろう。

それが先輩たち、

さらに海へ行き、

波に乗るという経験という名の栄養で、

めでたく萌芽した言葉である。

魂があれば、
永遠の波に乗れる。
魂のボードがあれば、
真理を持つ波に乗れる。

そう信じて片岡義男さんの文章を読むと、

私は少年から青年へと転換していった。

さらには、

空志海児さんというペンネームの、

抱井さん文学に心躍らせていた頃もあった。

サーフィング・ザ・マインド・コントロール

私が波乗りを始めてすぐに津田明さんの

「サーフィング・ザ・マインドコントロール」

が発刊された。(1983年10月)

ちょうどボクが18歳になったときというのが興味深い。

そしてこの本が私に

「魂で乗る波」

という種子を供給してくれたのであります。

サーフィンをサーフィングと表記するのは当時の奇跡で、

こんなところからも津田さんの先見性が垣間見られる。

私たちのオビ=ワン・ケノービは横山泰介さん。

ヤング泰介さんが表紙で参加されているのもすごい。

もっと書くと、

瀧朗の導師デビル西岡さん(故人)は、

その表紙内では、

スタイリッシュかつマッチョなサーファーの、

『どこかに羽ばたこうとしているボトムターン』

を披露されていて、

その時代が持っているギラギラ感ごと書籍になっていた。

内容全体に刃物のような鈍い彩度があり、

それが波に乗るという行為、

サーフィング世界全体にエネルギッシュな温度をもたらせていたのだろう。

とにかくかっこよかった。

マメ増田さんのレイバックや、

前出の抱井保徳さんのカットバックなどを日々、

日夜、毎朝、目に焼き付けた。

その反面で、

「サーフィングはテクニックだけではない」

そんな思想と魂の苗木が、

付録として付いてきた大切な教本だった。

『心の中の波』の作り方

(作成期間:数日から数年)

1.波を採取する。

できれば現地で乗るのが一番望ましい。

2.新鮮さがある時に記憶する。

3.常にその波を思い出す。

4.友人たちにその波の話をする。

5.ブログやインスタグラム、

さらにはフェイスブックなどにその波のことを書く。

6.数日間その波のことを忘れる。

7.数日後、

その書いたものから波を取り出すように思い出す。

『心の中の波』はここで一度完成しているのだが、

実際には心の中の波に水分というか、余韻がまだ残っている。

8.さらに数年忘れて、

取り出したときに心の中の波は完成する。

.

ちなみにこれが、

私のインスタグラムのプロフィール写真です。

奄美のたんかん丸でした。

【巻末リンク*1:ボンザーをタイラーが複製するまでの顛末】

【週末タイラー祭り三連発その1】”タイラー・ウォーレン1973ボンザー”誕生までのドキュメント_(2015文字)

【巻末リンク*2:ボンザー初乗り日。東雲玉響】

【サーフィン研究所スペシャル】いにしえのサーフボード編:タイラー・ウォーレン1973ボンザー@奄美大島_(2222文字)

【巻末リンク*3:奄美の魔獣波】

【サーフィン研究所】二月台風の奄美波魔獣_(1520文字)

Happy Surfing!!