Kongo Fukuji, Cape Ashizuri
金剛福寺、足摺岬
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高知の室戸岬から足摺岬のあいだには、
いまだに美しい自然が残っている。
街にいるときは、
視野を広くして、
つとめて瞬時に考えるようにしてきたが、
つまりそこから得ることの稀薄さと疑問という傷だか、
層みたいなものが、
こころに重なっていく。
Kongo Choji, Cape Muroto
金剛頂寺、室戸岬
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重なりつづけた層によって、
視界だったり心が、
人工物や世間に浸透し、
「何か」に自分が奪われていた。
「何か」というのが時間だったり、
希望みたいなこととか、
俗に言う欲求だったのかもしれない。
Shoryu-ji, Yokonami Peninsula
青龍寺(裏側)朝陽
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けれど、
こんな朝陽に遭遇すると、
自身の心にしみこんできた膨大な層が、
どこか遠くに霧散するように消失した。
つい先日、
そんな溶解のような心の脱皮があった。
それからの生活は、
今までとそこまで変わらなかったが、
体に良いものを食べようとか、
いつもより優しくなれる自分がいた。
Catch Surf® Skipper Fish Ⅵ 6’0″
Nakisurf Original Twin + Vektor VMK
at Westside of Cape Muroto
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海に行くと、
波が砕ける音が違って聞こえた。
強い波が弾ける音に興奮した。
波先からの飛沫、
風の流れと雲の形、
向こうにある岬が、
まるで龍が寝ているようにも見えた。
波腹を幾度も滑る興奮によって、
再び純潔となった私は、
「何か」の豊穣さにみたされていった。
今度の「何か」とはこの世界のことだと仮定してみた。
けれどそれは、
人が造ったデジタルだったり造形物ではない。
やはり心が地球を感じることであり、
宇宙までを範囲にしなくてはならないと感じたのは、
半年前の奄美以来だった。
(巻末リンクを参照ください)
でも逆に考えると、
自身の心は半年間も持ったのか。
いや、
自分ではその許容範囲をどことなく知っていて、
そろそろ脱却というか、
取り戻したというところにやってきた朝陽と波。
どちらも私の心を溶かし、
起こし、
はがし、
そして取り出したというのをここに残しておく。
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【巻末リンク:半年前にやってきた「何か」】
Happy Surfing and Happy Lifestyle!!
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