ボックスというサーフボードを眺めていると、
すでに幕を閉じてしまったデザインだとわかる。
たとえば、
2サイクル・エンジンだったり、
カセットテープ、
フロッピーディスク、
レーザーディスク。
電車の切符や運転時の地図もほぼなくなったように、
この箱型のサーフボードも姿を消してひさしい。
板状のサーフボードは、
100年前にデューク・カハナモクが世界各地を巡業して広めたものだ。
中空のボックスと違って釘もいらず、
水も入らず、
ほぼメンテナンスフリーで、
発泡ウレタンが普及したこともあり、
いまもサーフボードの主流として続いている。
100年もの時を経て、
30kg以上もあったサーフボードは、
1960年代には10kgとなり、
サーフィンはより身近なものになった。
ナット・ヤングが、ログという9フィート後半のボードをかっ飛ばせたのは、
ジョージ・グリーノウのフィン・デザインのおかげであり、
それからマニューバリティの時代がやってきた。
‘60年代後半には、
折れたログがフィッシュとなり、
デビッド・ヌイーヴァたちの伝説が生まれた。
1970年となり、
ジェリー・ロペスのライトニング・ボルト神話が起きた。サーフ人民は、
シングルフィンのミニマリズム(最小限主義)と、
東洋の神秘を重ねてロペスに手を合わせた。
シングルフィンに沿ってコンケイブを深く掘り、
そこに宇宙的な二等辺三角形片を付けたデザインが登場した。
キャンベル・ブラザーズのボンザー・システムだ。ボンザーは、
各地のエンスー・サーファーを感涙させ、
続々とボンザー教に入信させた。
その後、
マーク・リチャーズが、ディック・ブルーワーと組んで、
『究極の小波ボード(the ultimate small-wave board)』
というツインフィンを誕生させると、
ボンザーやシングルフィンは衰退した。ツインフィンとスワロウ・テイルの相乗効果によって、
ターン円弧はより狭くなり、
それまで一般的だったピンテイルやダイヤモンドテイルの評価は下がった。
1981年、
サイモン・アンダーソンによるスラスター(トライフィン)が出現すると、
ホットドッギング(激しい)サーフィン派の支持が増え、
エレガントさはどうでもいい存在となってしまった。
ホットドッギングとエレガントを融合させたのがトム・カレンで、
多くのサーファーがカブキターンの夢を見た。
1990年代に入ってすぐ、
ケリー・スレーターがサーフボード浮力を限界まで削ぎ、
これによってロブ・マチャド、
シェーン・ドリアンやカラニ・ロブに代表されるモーメンタム世代が誕生した。
たった3kg前後の軽いサーフボードによって、
曲芸のようなターンが次々と現実になっていった。
サーフボードの浮力は、
これまで評価されるものだったが、
ありすぎるものは、
曲芸を阻害するものだと思われるようになった。
プロ浮力は『適正浮力』として一般に定着し、
いまも波に乗れないサーファーがあふれているのは、
このペラペラボードのせいである。
高浮力=ロングボードの革命は、
ハービー・フレッチャーでも成しえなかった。
ただ、
タカヤマに乗ったジョエル・チューダーが唯一古式クーデターを起こしたが、
それでもまだ一部にしか受け入れられていないのだ。
伝統を重んじるヤング・サーファーも増えてきたが、
ほんの一部の支持を集めているにすぎない。
ちなみに私はトム・カレン世代だが、
ケリー・スレーターにあこがれず、
エレガント系のブラッド・ガーラックに寄り、
ジョン・ジョン・フローレンスのすごさに曲芸世界から身を引いた経緯がある。
いまは古式世界に意識を向け、
ほぼ滅亡したボンザー思想を引き継ぎつつ、
まだ見ぬ波乗り世界を発見すべく波に乗っている。
(了、2024/08/10)