映像作家のジョージ・トリムたちが、
フォードアーズにBBQグリルを持ち込み、
ビールと、
カーネアサダ(ビーフ)・タコスを作ってくれた。
ごちそうになったから宣伝するわけではないが、
彼の新作『Forbidden Trim』がもうすぐ完成するようで、
現在日本での公開を考えているという。
14秒台の西うねり。
ミドルス・トレッスルズまで行った。
ミドルスは、
ローワーズの隣であり、
長い波壁が特徴の殿堂波である。
ミドルスも教会岬も、
ローワーズも、
つまりトレッスルズは、
サンオノフレに駐車して歩いていく。
この行き方だと、
教会岬を過ぎると、
全く人がいなくなるのがうれしい。
さらにはアッパーズ、
ローワーズは競技志向のサーファーが多いこともあって、
混雑のイライラを反映してかギラギラしている人(睨んできたりされる)がいたり、
坂の上から自転車やスケートボードが高速で降りてくる人が怖いので、
今までストレスに感じていたが、
この行き方だと、
ハイキングみたいに「ヤッホー!」と豊かな気持ちとなるのがいい。
今日は戻ってくると、
ブライアン・ベント、つまりブラ師匠がいて、
1930年代のサーフボード、
つまりボックスの初乗り日だったとご満悦だった。
このボックスにはワックスがほとんど塗られておらず、
「滑らないの?」
そう聞いてみると、
「こういう風に乗るものなんだ」
「どういうこと?」
「この時代の波乗り箱はスタンスに負荷をかけて乗るものではないんだ」
「なるほど、テイクオフのときに角度を決めたら、
そのまま乗っていくだけなんだね」
「その通り」
さすが80年も前のボードだけあって、
会話もユニークなものとなった。
これはブラ師匠がこのボードにインスピレーションを受けて描いたもの。
この作品が大好きになったのはここに書くまでもない。
昨日お休みした回想編の続きです。
ボクはジョー・マクナリティとメキシコに行って、
ハービー・フレッチャーに会い、
コンテストに出て良い成績を収め、
サンクレメンテに帰ってきて、
すぐに行った場所があった。
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サンクレメンテ。
旅行者のボクにとっては帰国日が迫っていた。
メキシコ編で書かなかったが、
向こうで偶然出会って、
意気投合したのがニーボーダーのロイ。
「私はポップアートを描いていて、
サンクレメンテに住んでいるから戻ったら遊びに来なさい」
というので、
サンクレメンテに戻ってきてからすぐに彼の、
キャピストラノ・スタジオに行くと、
オーシャンビューであり、
その窓の下でボクと話しながら何もない紙の上にすばらしい絵をすらすら描いていく。
げげ、
これは鳥山明さんのサンクレメンテ版だと、
感動して立ち尽くしてしまった
このロイこそが、
ウエイブ・ウォリアーズやサンクレメンテ・ローカルズの
カバーアートを描いていたロイ・ゴンザレスだった。
大好きを通り越しているほど、
愛していた映像作品のメインビジュアルのアーティストが目の前にいて、
それは恐れ多くもあり、
飛び跳ねてしまうほどうれしいものだった。
1990年代のクリスチャン・フレッチャーとロイ。
マット・アーチボルドと同様、
サンクレメンテの濃いキャラクターなのは間違いない。
この画力。
ロイは現代のリック・グリフィンとされていて、
初めて会った頃が、(人気的には)その絶頂時だったと思う。
このときはサーフコミックスを日本で出版したいんだと言うので、
「間違いなく少年ジャンプやマガジンなどに連載されると思うよ」
そう伝えると、
うれしいのか悲しいのかわからない顔をして笑った。
ロイとは、
ずっと交流が続いていたが、
彼がバハ・カリフォルニア(メキシコ)先端のリゾート地カボ・サンルーカスに引っ越してから音信がなくなった。
この時ロイは、ガスという現地人と知り合い、
かなりしてからその彼とFABというGnarly(この場合は危険という意)なブランドをスタートさせた。
そのブランドのアップアンドダウンがあったりもしながら、
ロイは初めて会ったときと何も変わらなかった。
(9年前のハービー・フレッチャーとロイ、私)
その18年後の2007年には、
私とロイが、
アストロデッキ総帥ハービー・フレッチャーを巻き込んで、
NAKISURFオリジナルデッキパッド『Zパッド』を制作した。
(正式名称は「Zライダー・ストンパッズ」)
これらのパッケージアートのグラフィック全てをロイが担当し、
デッキパッドデザインは、
ハービー・フレッチャーという伝説の布陣である。
(Zパッドは、第二期まで生産されたが、ほぼ売り切れてしまった)
ロイはこの後、
2011年にサンクレメンテの中心に大きなアートストア
『ART SUB KULT』をオープンし、
全ては順調だと思っていたが、
このアートストアの出資者が、
健康上の都合で閉店することとなり、
そのことに少なからずショックを受けたロイは、
インドネシアのどこかに隠匿した。
「食事はおいしく、
波は温かくて、
人はやさしくて笑顔で最高だぞ」
ロイはそんなことを私に言っていたと人伝いに聞いた。
ちなみにロイは、
サン・クレメンテでは伝説のサーフショップ
『サーフスポット』を引き継いだことも知られている。
少年時代はマット・アーチボルドと一緒に過ごし、
リトルリーグでも同チームだったという。
『ラリー・バートルマン』
波の位置、
ボードの角度、
スタンス場所、
ラリーのシャカサインのポーズ、
そしてハッピーな表情。
グッドサーファー、
怪波乗人たちから絶大な支持を得て、
さらにはハービー・フレッチャーが、
ありとあらゆる勝負機会にロイを起用していることでもわかるだろう。
クリスチャンの有名すぎるこのロゴデザインもロイの作品である。
そんな波と気候、人、建物、食べもの、
カルチャーに恋をするようにサンクレメンテの全てが好きになり、
その気持ちに浮かれたままボクは、
ロスアンジェルス空港から成田を目指すべく、
バリグ・ブラジル航空に乗り込んだ。
「さらばサンクレメンテ」
ボクは空の人となっていった。
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【特大号】16秒の南うねりは伝説的なフォードアーズ_ブイ計測値のおさらい_私の波乗りの歴史_第18編_昭和64年の長沼サーフボード_(4690文字)
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冒頭のジョージ・トリムの”フォービデントリム”予告編です。
これだけ作りこまれたサーフムービーは珍しい。
Happy Surfing!!
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