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【ドラゴングライドプロダクションズ文芸〈長編〉】蔵ラウンジ物語: 東昇のハイライン_(3799文字)

一.

今は昔、

東昇というサーファーがいた。

彼は何らかの相を見て、

風向きや波質などを見事に言い当てることができた。

のみならず、

波の寿命の長短や、

次にやってくる波を予測し人々に教えた。

先に時(とき)を知るものとして、

東昇先生と呼ばれるようになり、

生活のけりや、

縁起、

はたまた死相まで読みはじめた。

町が東昇に家を与え、

多くの弟子が集まり、

土佐高知はもちろんのこと、

遠く近畿からも卦や見を求める人が集まり、

東昇道場として隆盛を極めていた。

二.

鮎釣りの季節のことである。

東昇が、

弟子の一人を連れて川の上(上流)に行くと、

大勢の鮎師たちが、

川の中に竿を出していた。

友釣りというのは、

糸につけた鮎を泳がして釣ることなのだと、

鮎師たちの長い竿に感心しながら眺めていると、

釣り師の顔が濁っていた。

いわゆる死相である。

横にいる鮎師も、

手前の人たちも死相だらけだった。

今までもこういうことはあるが、

全員に出ているのを見るのは初めてだった。

川!

「鉄砲水が来る」

そう気づいた東昇は、

高く、

良く通る大きな声で叫んだ。

「おーい!釣りをされている人〜!聞こえますか〜!!」

辺りにいた全員が東昇たちの方を見ると、

「鉄砲水が来ます!」

次にそう伝えた。

「!」

「こちらの高いところに来てください!」

鮎師たちは驚き、

目を見合わせるばかりだった。

鉄砲水がやってくるとは半信半疑なれど、

なにゆえに自然相手のことなので、

きっとそんなこともありえると、

わらわらと土手の上にやってきた。

すると、

山の方から轟音が聞こえてきた。

川を疾る鉄砲水だ。

怖ろしいほどの高さの水の塊は、

ものすごい速度で足もとを過ぎて行く。

それを見た誰もが身動きひとつできないほど、

立ちすくんでしまうほどの激烈なもので、

まるで巨大な水龍のようだった。

もし誰かが川の中にいたら、

間違いなく命を落としていただろう。

すでに鮎師たちから死相が失せていた。

彼らはこのことを伝えてくれた東昇にいたく感謝し、

この奇譚によって、

「土佐にすごい人がいる」

そんな評判は、

またたく間に世に広まっていった。

三.

東昇の屋敷は、

土佐東洋町の野根にあった。

凪いだ、

波も風もない満月の夜に、

「波が出ているのではないかな」

東昇がそう言った。

弟子のひとりが海を見に行った。

この梅雨時分の海は、

湖面のように動かないものが常だ。

けれど、東昇の言うように、

美しい波が来ていた。

たわわにふくらみを海面に付け、

ざばばばん

どががぁ

ばきぃ

という音を発している。

風のない世界に波音は溶け、

空に消えていくのだが、

それに次の音がかぶさっていく。

明るい月だ。

その明るさで、

自分の影はおろか、

目が慣れると、

うねりの高低まで判別できた。

後ろから足音がするので、

そちらに目をやると、

ピンテイルのシングルフィンを持った東昇が歩いてきた。

パドルアウトした東昇は、

鏡面のような波に月色のマニューバーを描き、

砂浜から見たその軌跡が、

梵字の”カ”、

つまり不休息菩薩のようだったという話は、

土佐の西に向かう前に室戸岬にも届いた。

四.

「すごくないか?」

興奮した龍樹(りゅうじゅ)はそう言った。

蔵バーのカウンターの下の、

保冷器の中にある瓶を全て出し終わったところだった。

「何がだ?」

真央は、

バーカウンターの白い壁に背を付け、

薄い赤のシャツを着て、

読んでいた岩波新書から目を上げてそう言った。

「東昇という男だよ」

「まあな」

「お前は興味ないようだけど、今の世にはこういう人が大切なんだよ」

「そうだな」

「真剣に言っているんだよ」

「はいはい」

「俺はな、こういう人に政治家になってもらい、

さまざまな環境を良くしてもらいたいんだよ」

「日本人はもっとレジャーの地位を上げるべきだというやつだろう」

「そうだ!仕事の方が重要視されているけど、

俺たちは遊びたいから仕事も真剣にやっているんだよ」

「国民から遊びを取り上げると、生活が濁るというあれだろ」

「そう!社会はその考えを採り入れるべきなんだよ」

外から声が聞こえてきた。

声にも聞こえるが、

それはまるで木琴の音色のようだった。

蔵の外に出てみると、

踏み石の上に背筋を伸ばした東昇が、

満面の笑みで立っていたのを見て、

龍樹の体は小刻みに武者震いしていたという。

五.

「驚きました」

龍樹がそう言うと、

スパークリング・ワインを飲みながら東昇が答えた。

「何のことですか?」

「東昇さんがここに現れたことです」

「….」

「ちょうど真央さんと、東昇さんの話をしていたんですよ」

龍樹の手の方向を見やると、

壁際にいる真央が笑顔を返してきた。

「水の温度はいかがしましょうか」

空のグラスをカウンターに置きながら龍樹がそう言った。

「常温でください」

相も変わらず、

木琴のような音で東昇が答えた。

六.

東昇には、

これと言って曲の好みもないというので、

iTunesのプレイリストで、

レイ・チャールズのミックスをかけていた。

「で、東昇さんは室戸に何をお求めに来られたのですか?」

龍樹の質問に、

「おいしいお酒が飲みたくなりました」

東昇はそう言ってはぐらかした。

「それでは〈ハイライン〉というのはいかがでしょうか?」

東昇はハイラインと聞いて、

視線を上に上げたまま微笑していた。

「じつは、この名前は今思いついたのですが、

樽熟成のテキーラ・アネホを炭酸で割って、

海洋深層水の氷を浮かべたものです」

「それをハイラインと言うのですね」

東昇はうれしそうにそう言った。

真央はサーフィンのハイラインを想像し、

テキーラの酔いと重ねてニヤリとしてしまった。

初めて聞いた言葉なのに、

はっきりとした既視感があった。

もしかすると、

東昇に龍樹がそう言わされたのではないか。

そんなことに思いを巡らせていると、

「幻の波を乗りに来たのです」

東昇が先ほどの質問に答えた。

「マボロシの、ですか?」

龍樹が身を乗り出すと、

東昇はグラスを半分ほど傾けて、

氷をカチャリと動かした。

「はい、大暑ごろの大潮干潮に出現する波があります」

「そんな波が室戸にあるんですね」

「しかもこの季節には珍しく、北うねりでないとならないのです」

「夏と冬の混合ですね」

「そうなんです」

「で、明日がその波が来るということですね」

「そうだと良いのですが」

「どんな波なのですか?」

真央がそう聞くと、

東昇はハイラインを全て飲み干してから

「半回転のひねりが波の中にあります」

美しい声でそう言った。

「メビウスの輪ですか?」

そう言いながら真央は、

メビウスの輪の持つループ構造の波を思い浮かべていた。

「そうです。ただ半回転のひねりにも時計周りと反時計回りがあります」

「——」

「ここの波は、北うねりなので——」

「つまり、岬あたりですね」

「その通りです」

七.

明けて、

干潮を待たずに真央は、

東昇の言う波が来るようなところを探していた。

予言通り、

北うねりが届いていたが、

波情報が伝えていないところをみると、

これまでのところ、

誰も気がついていない北うねりだった。

弧を描いた入り江、

鼻(岬状の地形)が、

左から伸びているめぼしい場所に行ったがわからなかった。

「かつがれたかな」

真央はそんな独り言を言いながら車に戻ると、

ピンテイルを抱えた東昇が旧道を歩いていた。

「見つかりませんでした」

真央は悪ぶれずそう言った。

「そうでしょう」

東昇は昨夜と同じ音色の美しい声だった。

うれしそうな表情である。

「よろしかったらご一緒させてもらえますか?」

真央は思いきって東昇に聞いてみた。

八.

「こんなところに小径があったのか」

室戸に詳しい真央も驚いた。

岩場の中に祠が祀られていて、

沖側に大岩があって、

その先に行くと、

小さな入り江が大潮の干潮によって出現していた。

ここは、

陸からだと、

大岩の連なりにしか見えず、

船からは、

沖側の岩礁が見事に遮り、

この入り江があることはわからない地形だった。

岬の横を美しい波が、

左から右へ規則的に崩れていた。

腰胸程度の高さの波だが、

岬に巻き付いた北うねりが、

入り江の内側に「寄ってくる」ということに加え、

波先が海面に突き刺ささるバレル系なので、

下手をすると、

オーバーヘッドの波と感じられるだろう。

「こんなところがあったのか!」

岩の上の真央は驚き、

立ちすくんでいると、

東昇はピンテイルを持って、

岩の上をすらすらと歩いていき、

先端から波飛沫の向こうに跳ね、

流れに逆らってパドルアウトしていき、

しばらく波を待ち、

やってきた最大の波に乗った。

ボトムまで降り切らないでボードを高速でパンプさせると、

ハイラインでバレルに包まれていった。

さすが見事なものだと見惚れてしまった。

だが、

バレルアウトしてくると思ったのだが、

波が終わっても何も浮かび上がっては来なかった。

真央は駈けながら入り江に近づき、

東昇が流されてきそうな岩の間を見るが、

人はおろか、

ピンテイルすら浮かび上がって来なかった。

九.

蔵に行き、

東昇のことを龍樹に伝えると、

観念するかのように、

「そうなるのが、何となくわかっていたんだ」

悲しそうな顔をしてそう言った。

東昇が行方不明ということは、

大きなニュースになったが、

数年ほどすると、

世間は、

彼の名前すら忘れてしまったようだ。

真央は、

梅雨明けの季節になると、

東昇のことを思いだし、

祠の岩場まで行くのだが、

あの大岩はそのままであり、

うねりもなく、

もちろん誰もおらず、

高く広い空の下、

トンビが大きな羽根を拡げて飛んでいるだけだった。