新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

【サーフィン研究所】空海は甲浦より舟で室戸に向かったという仮説_(1197文字)

Catch Surf® Skipper Fish Ⅵ 6’0″

Nakisurf Original Twin + Vektor VMK

at Misakimachi, Tosa

.

最近はバックサイドばかりである。

背中側のレイルをセットし、

後足に体重をかけつつ波を滑るのは、

フロントサイドとは全く別感覚だ。

バックサイドのことを考えていると、

伝説的なグレイト・サーファー、

マーク・オクルーポのことを思いだした。

あの太いラインは、

カービング大国の誇りであっただろうし、

強靱な足腰と、

柔軟で絶妙な加減がファンを倍増させた。

マーク・オクルーポことオッキーは、

バックサイドの方が上手だったと思う。

とすると、

ダミアン・ハードマンや、

バートン・リンチたちと同じ系譜であろうか。

オッキーのビデオを流しながら、

鏡に映して自分のスタンスにすると、

後ろ足がブルブルと震えるように呼応した。

サーフィンの醍醐味は、

ここファミリーマートのステーションでも味わえることを知った。

昨日ここで、

「土佐は鬼国に候」

そんなことを書いたが、

これは阿波=徳島に1000年ほど前から続く言い伝えだ。

で、

河合和尚から

「もし空海が、室戸まで舟で行ったとしたら?」

そんな仮説が出てきた。

この話のポイントは、

「(空海の口に)明星が飛び込んできた室戸岬」

であり、

「(空海は)阿波国(徳島)より、

どうやって鬼の国まで南下したのか」

という検証の続きだ。

ちなみにこれは和尚の特技、

1級小型船舶操縦士からの質問であり、

阿波から室戸までは、

帆船でじゅうぶんに行けると判断してのことだった。

だが、

室戸名物である断崖絶壁には舟はつけられない。

すると港が必要だろう。

空海が旅をしていた当時、

港はいくつあったのだろうか?

たぶん港はなかったのだと思う。

せいぜい入り江の裏側の、

砂浜に舟を乗り上げるタイプだけだっただろうか。

気になって調べてみると、

野根と桜津(神浦、かんのうら。現在は甲浦)に漁師の集落があった。

しかも桜津は、

入り江に舟を入れられる。

とすると、

空海は帆船に乗って、

北東風で下り、

室戸岬を通り過ぎたのち、

南西風で羽根岬あたりにたどり着いたのであろうか。

いや、元だ。

空海の時代の元浜はさぞかし広かっただろうと想像する。

元浜に満潮を待って上陸し、

マンライ成仏したのだと仮説を立てたら落ち着き、

その元浜の上に金剛頂寺があることに説明がついた。

ちなみに西にも同様な浜があり、

足摺岬の大岐の浜が、

その朝陽=東浜にあたる。

ちなみに足摺岬は、

空海に由来がある金剛福寺だ。

もっと調べてみると、

「797年(宝亀五年)に空海は甲浦を経た」

という書物を見つけた。

想像は遠からずだろうか。

【巻末リンク:最近の交信状況】

【サーフィン研究所特大号】宇宙的な感覚_2021カレンダー5種!!_(2538文字)

【巻末リンク*2:その昨日のポスト】

【サーフィン研究所】土佐は鬼の国!?_蔵ラウンジ_(1161文字)

Happy Surfing and Happy Lifestyle!!