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naki's blog

【サーフィン研究所の集い】ヨコハマヒカルマチ_白くまと辻堂Blues_(1629文字)

細野晴臣さんのファンならば、

横浜中華街にある『同發新館』はエルサレムであり、

野球人で言うところの甲子園であり、

フェンウェイ・パークだろうか。

細野さんには、

いま世間をにぎわしているトロピカル三部作の中核となるアルバム

『泰安洋行(1976年)』があり、

いまから44年も前、

『泰安洋行』の発売へ先がけて、

音楽関係者を招いて行われた伝説のライブの場所がここだ。

この伝説ライブのメンバーがすごい。

基本ティン・パン・アレーのメンバーだが、

ニューオーリンズ風にピアノを弾く矢野顕子、

坂本龍一のキーボード、

田中くん(ハックルバック)のベース、

ハマグチ・モントーヤのパーカッション、

鈴木茂がバンジョーを奏で、

林立夫のセカンド・ライン・ビート、

そして細野さんがマリンバをタリラリランといった具合で、

その中で歌われていた

「ヨコハマ光る街」に行ってみたかった。

やってきてみると、

なんとタキビ神がいた。

まさかの再会である。

しかもここで。

聞いてみると、

「今日ここに細野さんが来られると聞いてきました」

「同發(ドウハツ)におられると!?」

「もしかすると本館にいらっしゃるのかもしれません」

「行きましょう」

そんな安倍晴明と源博雅のような会話となった。

タキビ神は、

この泰安洋行聖地巡礼後、

心がこもったステッカーデザインを寄せてくれていた。

これはハリー・タキビ神Co. Ver.

船長さん蝶々さん、

東京からフニノニニ(笑)あの娘の元に行く

なつかしのライブ歌詞が浮かんでは漂っていた。

明けて翌日。

湘南はサーフライダーあたりの海岸のことだ。

「豪ちゃんいいかい?波のポケットにこうすると、

ジョン・ジョンのドギードアなんだよ」

「はい」

「それでね、こうして偏加重のレイルをこう滑らせて」

「はい」

「最後はテイル加重にしてメイクというわけだよ」

「さすがです」

「でしょ、私は嘉納治五郎の

数倍サーフィンがうまいという自負があるのだよ」

「そりゃそうです。(相手は柔道家ですからね)」

きんちゃんたちはこんな会話をしていた。

サーフィン研究所の所長は中村竜さんだが、

次男の滉(コウ)くんがこちら。

さすがの安定したテイクオフである。

ナッキーとアキちゃん、

楽しさマックスで、

さらにさらに上手になりたいというので、

アルケーは水ですよ。

そしてヘラクレイトスは火です。

エンペドクレースとリゾーマタ、

アナクシマンドロスと、

ト・アペイロンですよ。

そう説明すると、

「わかりました!

かき氷に練乳と、フルーツとアズキですね」

鹿児島出身のアキちゃんはそう言うので、

「それは白くまというアイスだよ」

そんな顛末もあった。

指導はむずかしい。。。

「定年間際でさ、

リモート勤務となると、

こんなJJFバックドアみたくなるね」

「それはうれしいとおっしゃっているんですね」

「そんなところかな」

「実質ケリーとのヒートが決勝でしたね」

結局は、

パイプライン・マスターズの話になっていく。

昨日も登場したタキロー。

キャッチサーフのオレンジがきれい。

「サンゾーでなく、イタキローと呼んでください」

そんなことを言っていたのを思いだした。

コウくんのお兄ちゃんの源(げん)くん。

物静かで、

そしてたくましい心を持つ男の子だ。

昭和の頃には、

源くんみたいな子どもたちだらけだったような気がする。

そしてこれがコウくんのサメ探し。

探検しているのだそうです。

かわいい!

私も中華街でインスパイヤされた

『辻堂Blues』というトリミングを披露した。

オリジナルは、

1944年のホーギー・カーマイケルである。

カラーズマガジンのヨゲさん&ヤマさんも駆けつけ、

サーフィン研究所は、

所長と一緒に和やかに湘南波の研究を続けたのだった。

こちらは所長の実母、

クイーン・ナカムラさんが、

孫たちにハッピーサーフィンの指導をしていた。

【巻末リンク:細野さんからの贈りもの】

【サーフィン研究所】三部作について_未来の人へのプレゼント_台風波アソート_室戸おいしいもの研究所_(2033文字)

Happy Surfing and Happy Lifestyle!!